終戦の日と東条英機メモ
終戦の日は、大東亜戦争のことについて、少しは思いを及ぼした方がよいのかなと思いました。
1) 東条英機元首相のメモ
1945年8月10日から14日までの間に東条元首相が書いたメモが国立公文書館から公開されたとのニュースがつい最近ありました。
このメモの要旨が次の共同47のWebにあります。この要旨をもとに思いをめぐらせました。
2) 歴史の整理
8月10日から14日までを、整理した上で、考えた方がよいはずなので、その整理をしました。整理のための資料は全て国会図書館の日本国憲法の誕生からです。
7月27日 米英中、「ポツダム宣言」発表
7月28日 鈴木首相、記者団に対しポツダム宣言黙殺・戦争邁進を表明
8月6日 広島に原爆
8月8日 ソ連、対日宣戦・ポツダム宣言参加
8月9日 長崎に原爆
8月10日 御前会議、国体護持を条件にポツダム宣言受諾決定 午前9時在スウェーデンと在スイスの日本大使館に対して東郷外務大臣から電信を発信
8月12日 米国からの回答文が到着(在スイス日本大使館からの電信受領18時40分)
8月14日 御前会議、ポツダム宣言受諾決定 午前11時在スウェーデンと在スイスの日本大使館に対して東郷外務大臣から電信を発信 天皇、終戦の詔書を録音
8月15日 正午終戦の詔書を放送 鈴木内閣総辞職
3) 歴史から学ぶ
東条は、1944年7月に総理大臣を辞めていますが、普通の人ではなかったのであり、上の出来事に直接の関与はなかったにしろ、全て知っていたはずです。そう考えて、このメモを読んでいくと、その当時のことが理解できるし、現在の我々に対する教訓を与えてくれていると思います。学ぶことは、知ることではなく、分析してその結果を、将来に生かそうとする努力だと思います。
4) 8月10日
東条メモが何故8月10日からか。残っているのが、偶然そうである可能性もありますが、やはり8月10日がポツダム宣言受諾を日本政府が決定したからだと思います。午前9時には東郷外務大臣から電信を発信しており、早朝の御前会議だったのだと思います。1941年12月8日の対米英宣戦の大詔の時の総理大臣であり陸軍大臣であったのですから、8月10日のポツダム宣言受諾決定は意味するところが個人的にも大きかった。
5) 8月12日
米国の回答が届くのが12日の18時40分ですから、東条がその内容を知るのは13日だったかも知れません。8月10日の決定は、国体の護持が条件だったが、やはり米国(英国、ソ連、中国も代表して)からの返事は「ポツダム宣言の通り」との言葉であった。(続きを読むに返事を入れておきます。)
その結果、8月14日のポツダム宣言をそのまま受け入れる決定しか残されなくなった。だから東条のメモも13日は「願くは今後の国民諸君、降服によりて来るべき更に大なる苦難を忍びに忍び他日の光栄ある帝国建設に努められんことを伏して願て止まず。」と、ポツダム宣言受諾を受け入れ、戦後の日本復興に思いを馳せ巡らせた。
6) 学ぶべきこと
学ぶべきことは多いと思います。東条も10日は「皇位確保、国体護持については当然にして、・・・」と書き、11日には「新爆弾に脅え、ソ連の参戦に腰をぬかし一部条件を付し在りといえども」と書いています。私は、米国の返事に接するまでは、東条も国体護持に希望をつないでいたのだと思うのです。その望みが消滅したとき、自分の死を覚悟し、国の将来に望みを託した。
東条メモの全文を読まずして、冒頭の共同47の要旨を読んだのみですが、武士道を感じます。東条は広島・長崎の原爆のことを相当程度知っていたはずですが、11日のメモのような言い方をしており、現代人からすれば、不謹慎この上ないとなるのでしょうが、当時の日本人の感覚は、東条メモの感覚が一般的だったのだと思います。
冷静に考えれば、変だと思うこと。自分自身が冷静だと思っていても、他人から見れば、冷静ではない。そんなことが、たくさんあると思います。当時の日本人の思考はどうであったのか。例えば、御前会議とは何であったのか。会議ではなく、儀式ではなかったのか。それまでに実質的に決まっていて、それを確認するための儀式。今でも、日本の社会の中で、そんな儀式のような会議も多くあると思うのです。
だから、KYは今に始まったことではなく、日本に古くからあった。KYは、すべきではない。自分の考えを他人に伝え、理解させること。それが確立されないなら、民主主義もなく、戦前あるいはそれ以前に戻ってしまうのではと思います。
7) 国体
国体護持とは、何であったのでしょうか。天皇制でしょうか。そうすると戦前の天皇制とは何かになってしまうのです。私なんかにとっては、極めて訳の分からないものになってしまいます。
NHK TVが、「国のために死ねますか?」なんて聞いているのが出てきます。さすがNHKは、バカですねと思います。国のために死ねる人なんか、誰もいないと思います。国とは、何ですか?存在しているのですか?政府は存在します。最近、グルジアで南オセチア問題で紛争が起こりました。南オセチアは、グルジアなのかどうか私には何とも言えません。国とは、本来あいまいなものです。欲望を持った人が、愛国心という言葉を利用して、暴走させる。多分、南オセチアに住む人にとって、愛国心とはグルジア政府に反抗することではないのかなと思います。
訳の分からないものは、訳の分からないものとして、排除しておくことも必要なのだと思います。
昭和20年8月11日23時24分(日本時間12日7時24分)ベルン発
12日18時40分本省着
在瑞西 加瀬公使
東郷大臣
第八七六号(緊急、別電)
Answer of the United States Government to the Japanese Government on behalf of the Governments of the United States, the United Kingdom, the Union of Soviet Socialist Republics and China.
With regard to the Japanese Government's message accepting the terms of the Potsdam Proclamation but containing the statement - with the understanding that the said declaration does not comprise any demand which prejudices the prerogatives of His Majesty as a sovereign ruler - our position is as follows :
From the moment on surrender the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.
The Emperor will be required to authorize and ensure the signature by the Government of Japan and the Japanese Imperial General Headquarters of the surrender terms necessary to carry out the provisions of the Potsdam Declaration and shall issue his commands to all the Japanese military naval and air authorities and to all the forces under their control wherever located to cease active operations and to surrender their arms and to issue such other orders as the Supreme Commander may require to give effect to the surrender terms.
Immediately upon the surrender the Japanese Government shall transport prisoners of war and civilian internees to places of safety as directed where they can quickly be placed aboard allied transports.
The ultimate form of Government of Japan shall in accordance with the Potsdam Declaration be established by the freely expressed will of the Japanese people.
The armed forces of the allied powers will remain in Japan until the purposes set forth in the Potsdam Declaration are achieved.
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