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2009年1月 8日 (木)

100年に1度の不況なのか?

100年に1度の不況というような言葉が使われることがあります。本当なのだろうか?と疑問を持ちます。東洋経済 1月6日 100年に1度? 未曾有の危機は恐慌につながるか?! しかしデータが語るものはも、そのような疑問を書いていました。私も、そうなんです。

1) 近年の不況

手っ取り早い比較として昭和31年以降の毎年度の前年度実質GDP伸び率を経済成長率として、次のグラフを書いてみました。データは、内閣府の国民経済計算からです。

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経済成長率で捉えると、昭和31年度以降でマイナス成長が記録されたのは、2001年度、1998年度、1974年度の過去3回であり、2008年度もマイナスの記録となるのは、ほぼ確実です。1998年度と2001年度にかけては、一つの日本の景気の谷であり、不況が続いた時期でした。おもしろいのは、1998年は小渕氏が小泉氏を破って自民党総裁となり、小渕内閣が発足した年であり、2001年は逆に小泉氏が自民党総裁となり長期の小泉政権が発足した年です。この1998-2001年度不況はバブル崩壊の余波が約10年続き、失われた10年と呼ばれる日本経済回復のための時期であったと言えます。

バブル経済の絶頂期は1998-1990年度であり成長率は、6.0%、4.4%、5.5%を記録しました。

その前の1974年度は、1971年のニクソンショックによる外国為替の変動相場制への移行、1973年の第一次オイルショックや狂乱物価の影響を受けての不況でした。但し、日本経済のファンダメンタルは強い成長力に支えられていたことから、それほどの影響はありませんでした。

昭和31年度以降の経済成長率推移から判断すれば、1990年以降は安定成長経済に入ったと考えます。従い、安定成長期に高度成長を目指すと失敗する。着実な安定成長を目指すことにより、真の発展を遂げることができると思います。その意味では、行き過ぎた自由主義は経済格差を大きくし、歪みを増す。むしろ、安定成長を目指すことを考えれば、今の不況は大したことではなく、単なる調整期に過ぎないと思います。

2) 終戦不況

昭和20年以降の終戦後の混乱期は、深刻な不況であった。生産能力自身を失っていたことから、今とは比較ができない程の大不況と考えます。衣食住に、事欠いたのであり、戦争が終わったことの喜びがあった。平和のありがたさがあった。だから、そんな経済的に恵まれていなかった時代であるにも拘わらず、民主主義と平和日本の再建に向けて人々は生きていったと思います。

米国はいざ知らず、日本とヨーロッパやあるいは中国を初めアジア諸国にとっても、第2次大戦直後は、今と比較的ないほど物資がなかった。食料がないと言うのは、経済的には最も大変なことです。終戦は今から60年少し前のことですから、100年に1度の不況との表現は間違っていると思います。

3) 昭和大恐慌

昭和大恐慌の時代とは、狭義では1929年ニューヨーク株価大暴落以後を世界不況と捉え、世界不況の日本への影響である。しかし、1919年に終了した第一次世界大戦後の復興需要がヨーロッパ諸国の復興と共に落ち着きを見せ、日本の産業が不況に入いっていたこと、1923年の関東大震災、その後の震災恐慌、金融恐慌があり、1923年頃から長期に暗闇に入っていた状態と考えるべきと思う。小林多喜二の蟹工船が発表されたのが、1929年であった。満州国建国宣言がなされたのが1932年であるが、満州国に関しては日本の不況対策の意図も含まれていたと思います。

昭和大恐慌の時代とは1923年頃から戦前一杯続いていた大不況であり、言わば大不況の結果が日華事変であり、米国戦であったと思う。植民地経営で不況脱出を計ろうとしていた。最後には策が尽き、貿易で輸出入とも最大の相手先であり経済のパートナーである米国と戦争をすることで打破しようとしてしまった。

経済面のみでの判断で動くものではなく、政治体制や制度が絡んでいるが、富国強兵の方針を転換することができない硬直的な対応により、入り込んだ不況から脱出する手段を講じることができず、泥沼状態にあったと考えます。

すくなくとも、今は自由に判断が下せ、政策実行ができるのであり、昭和大恐慌と比べれば実に抜け出しやすい状態である。逆に政策的に失敗すると昭和大恐慌になってしまうという教訓を学ばねばならない。

4) 大政奉還・江戸城開城

徳川の世が終わったことは、武士の消滅である。地方の藩が直ちに消滅したわけではないが、江戸幕府は江戸城開城と共に消滅したのであり、江戸における徳川幕府と藩の江戸屋敷の経済需要は消滅した。職人の多くは受注を極端に失ったはずである。農業が経済の大部分であったはずであるが、第2次産業、第3次産業では大きな需要減が生じ大不況になったと考えられる。

大日本帝国憲法の発布が明治22年、第1回帝国議会開会が翌年の明治23年である。明治2年に版籍奉還がなされ明治政府が存在し、勅令でなんじゃかんじゃ可能であったかも知れないが、近代的な法制度は憲法なしで存在できない。景気対策も様々な法がインフラとして存在するから可能である。

大政奉還・江戸城開城は1867年、1868年であり140年以上経過し、100年に1度の比較対象にならないが、未だ日本は産業革命以前の状態であったのであり、経済へのインパクトは今の不況とは比べものにならないほど大きく、しかもコントロールする手段も当時はほとんどなかった。

少なくとも今の状態は、大政奉還・江戸城開城と比べれば、月とスッポンであり、大したことはない。100年に1度などと大騒ぎをするよりは、じっくりと正攻法で望めばよいと私は考える。

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» 麻生太郎内閣の通信簿 その5 百年に一度の不況の真実 [平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ]
親愛なるアッティクスへ 年末から引きずっていたこのシリーズですが、この際、まだ、よくまとまってないのですが、麻生政権もいつまでもつのかわからなくなってきたし、とりあえず、終わらせておこう・・・と。 で、以前、予算案を評して、新聞に「哲学無き予算編成」という見出しが載ってましたが、この点では、まさしく、言い得て妙・・・、その通りだと思います。 世の中には、小泉純一郎内閣時代の切り捨て政策を悪く言う人たちがいますが、でも、それって、小渕恵三内閣のときのバラマキの反動だという見方はできないで... [続きを読む]

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