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2010年8月16日 (月)

65年目の終戦の日

2010年8月15日は、65年目の終戦の日であり、多くの新聞の社説は、終戦から学ぶべき平和への決意といったようなことを述べていると思った。幾つかの社説を読んだが、日本経済新聞の社説が、私には一番しっくりときて、賛成意見を述べたいと思う社説であった。

日経 8月15日社説 敗戦の教訓をいまに生かしているか

日経社説にある「歴史から学ばなくてはいけない。」とする言葉は、私は好きですし、真実を追究し、学んだことを生かすことにより、発展があり、過去よりも優れた未来を作ることができると信じる。私なりに、終戦に関しての歴史を読んだ結果を書いてみることとします。

1) 終戦の詔書

終戦の詔書とは、玉音放送として、天皇が65年前の正午にNHKラジオを通して読み上げた文章である。国民にとっては、初めて聞く天皇陛下の声であった。開戦は、大本営発表で十分であった。しかし、終戦は、当時の国民が、反感を持たずに納得するようにするには、玉音放送で、天皇が録音版であれ直接呼びかける儀式が必要であると、当時の鈴木貫太郎首相を初め政府首脳部及び天皇自らも、判断したと考える。

終戦の詔書は、この国会図書館のWeb(写真)及び(テキスト表示)にあります。楷書で、丁寧に書いてあり、最後のページに天皇の御名御璽(直筆サインと印鑑)がある。文章は、当時の役人・官僚・政治家が必死になって考えたことがうかがわれる。

冒頭で、戦争の終結であるポツダム宣言の受諾を述べています。「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

但し、「共同宣言ヲ受諾スル」で、当時の国民のどれだけの人が理解できたか、私は調べていないが、ポツダム宣言の内容を分かっていなければならない。ポツダム宣言の内容を知らずとも、日本に対する戦争中止を呼びかける宣言をしたことを知っている人もいただろうし、あるいは「受諾スル旨通告」ということで、天皇が政府をして受諾する通告は、当時戦争中止しかなかったのであり、この部分で、主旨を理解した人も沢山いたと思う。

続いては、「朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス」と、陸海将兵は、よく戦ったと述べ、「尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」と、これ以上の戦争継続は民族の滅亡と人類文明の破壊になると述べている。

終戦の詔書の、国民(爾臣民)に対する最大のメッセージは、「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の部分であると思う。この部分こそ、日本国憲法の、例えば憲法前文の次のような平和主義の基になったのだと思う。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


2) 判断

第2次世界大戦のヨーロッパのVictory in Europe Dayは5月8日であった。その結果、米英ソは、ドイツのベルリンから南西25kmほどの都市ポツダムでヨーロッパの戦後処理について、7月17日から8月2日まで会議をし、Postdam Agreement(参考ここ)が合意された。その際、日本に対して13項目からなる終戦勧告としてのポツダム宣言が、米英中の3国による合意が成立し、7月26日に発表された。(その文章(英文)については、この国会図書館のWebにあります。)

日本の戦争は、米軍が3月26日沖縄で慶良間諸島他に上陸し、沖縄本島に4月1日に上陸、沖縄での組織的な戦闘は、6月末までには終了していた。普通に考えれば、沖縄戦が最後の戦闘であったはず。ポツダム宣言から、その受諾決定までには、20日近くを要している。何であったかは、国体の維持を目指したからである。国体とは、意味が曖昧な言葉と思うが、字からすれば国の体であり、ポツダム宣言の第12項には、次のようにあり、日本の民主国家樹立による占領軍の撤退が書かれてあり、国としての存続はポツダム宣言が認めていた。

The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.

日本は、日本の民主化要求その他を全て合意したのである。条件としては、唯一天皇問題であったのであり、この8月10日9:00東郷外務大臣から在スウェーデン加瀬公使 電信番号 649 のように、”The Japanese Government are ready to accept the terms enumerated in the Joint Declaration which was issued at Potsdam on July 26th, 1945 by the heads of the Governments of the United States, Great Britain and China, and later subscribed by the Soviet Government, with the understanding that the said Declaration does not comprise any demand which prejudices the prerogatives of His Majesty as a sovereign ruler.”として、天皇の特権に侵害がないことを申し入れたのである。

日本からの申し入れに対する連合国の回答(この外務省12日18時40分着加瀬公使電信番号876号)は、早かった。E-Mailは勿論、Telexもなく、幾つかの中継を経てのトンツーの暗号電信を使ったはずで、日本・スウェーデン間の通信片道でも10時間以上を要した。連合国回答は、ポツダム宣言の通りと述べたまでであるが、”The ultimate form of Government of Japan shall in accordance with the Potsdam Declaration be established by the freely expressed will of the Japanese people.”と、日本国民の自由な意思による政府の樹立を述べた。

これを終戦の詔書で読むと、「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」とあり、「国体を維持することができ忠良な国民を信頼し、常に国民とともにある。」となっている。

国体という言葉の曖昧さを利用して書かれたのが終戦の詔書である気がするし、終戦に導くには、これ以外に方法はなかったと思う。しかし、一方で、ポツダム宣言は民主国家の樹立を述べていたが、天皇の存続を否定はしていなかった。8月10日9:00東郷外務大臣電信の日本語訳には、天皇ノ国家統治ノ大権とある。この大権とは、何であるかは、明治憲法による天皇の地位と理解するが、そもそも、それ自体が曖昧である。大日本帝国憲法第1条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」であり、このままでは、三権分立も何もない天皇独裁となり、憲法自身意味がなくなる。一つの読み方は、天皇機関説である。第5条の「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行」や第57条の「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」も、明解な解釈が困難な文章と思う。権力闘争の勝者が、天皇の威厳を使って、運営していたのが実態に近いと私は思う。

そうだとすると、ポツダム宣言受諾までの20日近くは、天皇が戦争犯罪人とならない確証を得たかったのではないかと思う。敗戦に向けて、どう処理するか。戦後復興が、最重要課題となる。天皇が復興の先頭に立てるなら、国民が復興に一致団結でき、戦争へのエネルギーを復興に向かうエネルギーに転換できる。だからこそ、終戦の詔書で「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ・・忠良ナル爾臣民ノ赤誠・・爾臣民ト共ニ在リ」となったのだと思う。

3) ポツダム宣言受諾通告

4国に対する受諾通告は、Communication of the Japanese Government of August 14th 1945 addressed to the Governments of the United States, Great Britain, the Soviet Union and China.と題して8月14日11:00 に東郷外務大臣から加瀬公使に電信が発せられた。”the Japanese Government have the honor to communicate to・・・”なんて、Honorなんて言っており、興味があります。1項目目は、現在完了形で”His Majesty the Emperor has issued an Imperial Rescript”と述べ、受諾と直接表現せずに、終戦の詔書を発したと述べています。2項目目は、”is prepared”のような表現になっています。

無条件降伏なる言葉が使われるが、その意味は、ポツダム宣言第13項にある unconditional surrender of all Japanese armed forcesであり、軍隊が降伏し、戦いを中止することです。第2項目目に戦闘の中止と武器の引き渡しが書かれているが、命令を出して、それを伝えねばならず、これからやるよと言っており、そう言わざるを得ないねと思います。

日本の戦後復興は、終戦の少し前から、始まったのではと思います。終戦から65年目を機会に、私なりに歴史を読んでみましたが、やはりおもいしろいですね。そして、学べることは多いと思います。

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