福島第一原子力発電所非常事態に思うこと
福島第一原子力発電所の非常事態は、続いており、外部電源がつながり、ディーゼル発電機も最低1基は稼働状態になったようです。
読売 3月20日 福島第一2号機、配電盤に通電…3号機にも放水
多少は落ち着いたとしても、放射能が外部に漏れ出さないようにするには、原子炉建屋を補修し、外部と隔離可能とし、建屋内の圧力を大気圧以下になるよう、吸い込み送風機で空気を吸い、それをフィルターを通して排気筒から排出し、原子力発電所があっても、なくても放射能に変わりがない従来と同じ状態にする必要があるはず。相当の時間を要するし、現段階において、そこまで考える余裕はなく、とりあえず臨界状態を絶対に防ぐこと、可能な限り圧力容器内の高放射能レベルの気体を空中に放出しないようにすること等で、精一杯と思います。
この非常事態の原因を究明することは、時期尚早ではあるが、思いついたことを書き留めておくのも必要とも思う。そこで、思いつくままに書いてみると、以下のようになりました。
1) ディーゼル発電機のダウン
私の理解では、福島第一発電所の電力は、東京電力新福島変電所経由で発電した電力が送電される。同時に、新福島変電所は東北電力南相馬変電所といわき幹線と呼ばれている東北電力の275kV送電線で結ばれており、かつ福島第一発電所と新福島変電所の間は500kV送電線のみならず154kVでも結ばれており、途中の大熊変電所で東北電力の送電線とも接続されている。送電ができれば、逆方向の受電も可能。今回の地震では、この全ての送電線が機能しなくなり、福島第一発電所は、発電機が停止すると、東京電力の他の発電所からも東北電力からも電力を受けられないことなった。
そのような時のためにディーゼル発電機が設置されていたのである。そして、ディーゼル発電機は正常に稼働した。しかし、地震から55分後の午後3時41分に停止し、電池からの直流電源のみとなり、シナリオ外の非常事態に陥った。この報告が次の福島第一原子力発電所からのプレスリリースです。
3月11日 福島第一原子力発電所 原子力災害対策特別措置法第10条第1項の規定に基づく特定事象の発生について
ディーゼル発電機も複数台設置されていたのであり、全機が使用不可能となったのは何故か?55分間稼働してたとすれば、津波との関係は?原子力発電所は、計器による自動監視を前提に作られているのであり、安全確保に電力は絶対必要。そのため、ディーゼル発電機は非常に高い信頼性を念頭に設置されていたはず。この疑問に、非常事態収束後回答を得たい。
2) 原子力発電の安全性
産経新聞のZAKZAKが、衝撃的な記事を出している。
ZAkZAK 3月18日 事故原発は“欠陥品”? 設計担当ら35年ぶり仰天告白
このようなことは第一福島1号基にのみあてはまるのか?もしかしたら、原子力発電所のみならずほとんど全てでないのかと思う。神戸地震でも、倒壊しないはずのビルが倒壊し、今回も安全なはずの防潮堤が津波に役立たなかった。あまりこんなことを言いすぎては、パニックを生むだけであり、冷静に考える必要があるとも思うが。
3月20日の日経には、「津波への対応 女川と差」という記事があった。今回の地震と津波で、東北電力女川原子力発電所は、非常事態には至らなかった。津波に対して、第一福島と第二福島は津波の高さを6mと想定し、敷地高さを10mにした。女川は9mと想定し、15mの敷地とした。福島第二が非常事態に至らなかったのは、外部電源から電力供給を受けられた。それほど大きな差ではなかったが、明暗を分けたといったような内容である。
もし、今回の福島第一の非常事態の原因が、津波対策であったなら、実は2002年に問題となった検査・修理結果の虚偽記載は、行為そのもののみならず、その内容も評価されるべきではないか。津波対策を放置したことと、どちらが重大なことか、原点にもどって考え直す必要性を感じる。原点とは例えば、国として津波高さの対策基準を設けるべきか、あるいは電力会社の設計思想で個別に対応すべきかも含めてである。
ほんの少しの差であっても、結果がまるで異なる場合がある。人間は完全無欠な物を作れず。数多く、長期にわたって使われている物は、欠陥があっても、少しづつ改良がなされ、安全性は高まっている。原子力発電所は、どうであろうか?事故やトラブルがあった際に、原子力発電所は大きな被害を起こす可能性がある。
3) 国民のための安全性
読売が次のような記事を出していた。
読売 3月18日 政治主導空回り…「危機の連鎖」に対応し切れず
原子力発電は、政治主導で推進してはならない。国民のために安全性を検証する機関をつくり、そこが審査し、結果を公表し、それを国民が承認して進めるべきである。何故なら、数多く、長期にわたって実証されていない以上、安全とは言い切れないからである。
日本の原子力とは、政治主導で進められてきた部分が相当あるように思う。米国と日本の政治・産業の利害が一致したことにより導入・推進された部分があると思う。
原子力についての研究や開発、そして利用に私は反対するわけではない。しかし、政治が関与して、ねじ曲げることは、してはならず、国民の決定により推進すべきと考える。1956年に原子力委員会が発足したのであるが、その第1回の原子力白書には次のように書いてある。
日本学術会議第39委員会においては,原子力予算が成立した以上,原子力研究の遂行に遺憾ないよう努力すべきであるとの態度をきめ,4月20日からの総会にはかつた。総会では激烈な論議のすえ,第39委員会提案による二つの決議が可決された。 1)原子力の研究,開発および利用の情報は完全に公開され,国民に周知されること。 この公開,民主,自主の三つの項目は日本学術会議の原子力研究の三原則といわれるようになつた。この三原則は幅の広い表現であるため論議の対象となり,反対意見もあつたが,後に原子力基本法にとり入れられ,わが国原子力開発利用の基本方針となつた。 |
この原子力三原則が、政治によりないがしろにされていないのかという点である。輸出するなら原子炉輸出の前に、三原則輸出をすべきではないかという点である。勿論、使用済み核燃料であるプルトニウムがテロリストに渡らないようにするために、公開できない情報が存在する時代にはなったが、発電所の図面すら公開されなくては、安全性を審査できないことになる。審査員のみに判っているだけでは、三原則冒頭の公開原則に違反している。
日本学術会議の議事録をあたっていないが、立派だと思う。核兵器と原子力開発を、きちんと結びつけて、最初に核実験禁止を述べている。軽水炉やプルトニウムのことを当然知っていた人達であろうから。
原子力委員会は、内閣府に属し、活動し、我が国の原子力政策の基本方針を策定している。現在5人の委員がいる。この5人に、一人ずつ自分の考え(今回の非常事態について及び今後の原子力政策についてを含め)を国民に先ずは説明することを要求すべきだし、委員は説明義務があると思う。氏名のみ、あげておくと、近藤駿介、鈴木達治郎、秋庭悦子、大庭三枝と尾本彰の5名である。
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