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2013年8月 4日 (日)

「脱原発」は敗れ去ったのか

自分でも、衝撃的なタイトルであると思う。8月2日のダイアモンドオンラインに森達也氏がタイトルを勝手につけるな。批判するなら最後まで読め として書いておられる記事を読んで、その中で森達也氏が批判されている次の毎日新聞(福井地方版)の記事に、このような衝撃的なタイトルがついているので驚いたのである。

毎日 6月2日 今「原子力」を考える:新聞労連・新研集会 なぜ「脱原発」敗れ去った 排除の論理を疑問視 /福井

毎日の記事は、再稼働反対の熱気は冷めつつあり、これで良いのかと再稼働反対派に問いかけ、警鐘を鳴らしているとのニュアンスも感じられるが、タイトルで「敗れ去った」と使っており、この断定表現には、問題があると思う。福井県には、敦賀、美浜、大飯、高浜があり、原発集中地域である。集会で発表した森達也氏自らが記事で内容を不正確と述べていることから、それに間違いないと思うし、このような読者に誤解を与える記事は良くないと考える。

1) 運動は敗れ去ったのか

下火になったとか、熱気が失われた、あるいは参加者が少なくなったと言うのは、報道される回数も少なくなったことからして、やはり事実であると思う。しかし、それは、敗れ去ったと言うことではない。形を変えて発展することもあると思う。支持者が拡大し、共通の目的として掲げる内容が異なることもあり得る。これらは、敗退ではなく、発展である。

私のあるブログで頂いたコメントに「反対運動では、対案は不必要としている。」というのがあった。実は、多くの日本の運動のスローガンで「・・・に反対」と言うのを掲げていて、ではどうするのかとの対案がないことやあるいは参加者により対案についてはバラバラであることもある。

運動を成功させるためには、そのことに対する正当な説明をすることが可能で、また批判にも耐えられなばならないと考える。原発の運転には、放射能汚染があり得るからとの懸念は、正しい。一方、そのリスクの度合いと大きさやメリット・デメリット等についての議論なしで運動は成功するのだろうかと思う。むしろ、そのような議論の展開をすることにより成功すると思う。但し、その主張が正しい場合であり、直ちにではなくても、然るべき近い将来に実現・達成となる可能性も十分ある。

2) 政権の問題

3.11の時の政権には、大いに問題があったと思う。例えば、原発のストレス・テストを首相は要求し、原発を保有する電力会社に実施させた。何のためであったのか、今でも私には分からない。大飯原発が現在運転されているが、どのような基準か、他の原発に同じ基準を当てはめたらどうであるのかと思う。不透明な基準で原発の運転の可否を決定すべきではない。

福島第一原発の事故に際しても、国民を欺いた。原発から交・直全ての電源喪失の通知は政府に対して発された。緊急事態であるとして、現状把握と通信コミュニケーションの確保は、最重要であったはずである。自衛隊には緊急通信網を設置する力があるはず。そして、あらゆる専門家を動員して対処すべきであったと考える。何故、そうしなかったのか?首相の問題なのか、役人の問題なのか?現政権は、安全と確認された原発から再稼働すると述べている。しかし、緊急事故に対する政権や政府内部の対応能力はどうなのか、福島事故の問題はどうでったのかを国民に開示し、反省と対応を述べるべきである。想定外は、永遠に無くならない。想定外の事故でも、対応能力を持つべきと考えるし、人間だからマニュアルに書いていなくても、最善を尽くす対応があると信じる。

3) 論理と議論

論理と議論が下手な国は滅びると思う。論理は、必ずしも正しいとは限らない。批判を受け、議論を積み重ねて、発展し、適用可能となる。

事業仕分けでスパコンについて「何故1位にならなければならないのですか?」との質問が有名であった。1位になることが目的ではないにも拘わらず、この質問をしたのである。スパコンに、それだけの税金を投入することに、どのような意義があるのかを議論すべきであり、結果としては、もっと税金を投入すべきであったのかも知れない。事業仕分け自身は、情報開示につながることから賛成するのであるが、短時間で一方的な議論に陥りがちであることを忘れてはならない。下手をすると、与党議員のパフォーマンスと宣伝の場に利用されるだけとなる。論理がない議論になれば、無駄なだけである。

論理や議論は、時間を要する。原発問題で言えば、推進派と反対派の2つに単純に分かれるものではないが、両者を含め、個々の問題を正当に評価し、判断して、その方向性やロードマップを作るべきと考える人を含め、内容ある議論をすべきと考える。なお、原子力については、工学や物理の専門的知識が必要な部分もある。これについては、専門家は、国民に対してできる限り説明を尽くすとともに、そのような関連を書いた文書やWeb等を紹介すべきである。

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コメント

対策とは、損失(経済的、人の死亡他含む)をどこまで容認すかで決まる。 原発でいえば、ICを再設置することであ。 ICの水素爆発の確率と、ICを使用しなかった場合の炉の損失確率。

「反対運動では、対案は不必要としている。」これは、中西さんの対案を出せば、運動は終息すると思っているのだろうか。 現実無理な対案(すべて無くせ)なら出しても、運動は維持できるが。改善対案なら反対運動にならない、彼らの立ち位置から少しでも譲ると運動は終息してしまうとの恐れから。対立が維持できないと運動は終息との事。

投稿: omizo | 2013年8月 5日 (月) 11時13分

omizoさん

コメントをありがとうございます。
なかなか厳しいご意見であるとも思うのですが、意見なり運動なり様々な形や種類があってよいと思います。でも、中庸な提案や改善提案では運動が成立しないから、ほとんど無いのでしょうか?

しかし市民運動ではなく大手マスコミが理解できない報道をするので混乱します。例えば、8月5日の朝日新聞の「9640人、白血病労災基準超す 事故直後、年5ミリシーベルト 福島第一原発」です。http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201308040380.html

年5ミリシーベルト以上の被ばくを問題にしている。しかし、電離放射線障害防止規則の第4条には、「放射線業務従事者の受ける実効線量が五年間につき百ミリシーベルトを超えず、かつ、一年間につき五十ミリシーベルトを超えないようにしなければならない。」とあります。放射線業務従事者には、レントゲン技師や医師も含まれます。原発での運転員や保守作業員も含まれます。これらの人達により我々の生活は支えられている。

何ミリシーベルト以上が危険であるのか、法や規則においてどう定めるべきかが本当にすべき議論のはずと考えます。

投稿: ある経営コンサルタント | 2013年8月 5日 (月) 12時16分

http://www.fdsc.or.jp/AnnualReport/AR26/AR26_48_52Ono.pdf

これをどうぞ。

投稿: omizo | 2013年8月 5日 (月) 12時34分

omizoさん

紹介あった文書を読みました。多くのことで、線は明確にはならないが、法や規則とする場合、グレーゾーンはグレーゾーンで置くとしても、数字で明確にしないと役に立たないと思います。時代の変化とともに、法や規則が対応していくことは、発展だと思うのです。

投稿: ある経営コンサルタント | 2013年8月 5日 (月) 13時50分

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