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2014年2月 7日 (金)

大王製紙の前会長井川意高の「熔ける」を読んで

大王製紙の前会長井川意高氏の「熔ける」を読んだ。

既に読んでおられる方も多いと思うのですが、私の感想を書いてみます。

序章「灼熱」では、シンガポールのマリーナベイサンズのカジノのVIPルームでのバカラ賭博の記述から始まる。「いったい今日は何月何日なのだろう。いつ食事を取ったのだろう。酒は一滴も飲んでいないミネラルウォーターすらいつ口にしたのか記憶がないな・・・・」というような表現は、バカラ賭博で100億円以上もの金を失うような賭博をした人にしか書けないような文章に思え、迫真的な真実性を感じた。

バクチで身上をつぶしてしまう人は、なかにはいる。この人の場合、その金額があまりにも大きい。「熔ける」からの引用になるが「マカオで多くのカジノを所有するカジノ王スタンレー・ホーが吐いた名言がある。『客が勝って帰るのは怖くない。客にはいくらでも勝ってほしい。負けた客がカジノに来なくなるのが一番怖いのだ』」 法で許されているなら、カジノ経営はビジネスである。ビジネスの観点からは、鋭い当を得た表現と思う。私はルールをよく知らないが、井川意高氏によれば、バカラとは丁半バクチであり、2分の1の確立であることから、勝つ確立は2分の1。しかし、勝っている時点で止めることは、その先の勝ちを失うように思え、続けることとなり、最終的にはとことん失ってしまう。しかし、勝って終わることもある。その場合、その勝った時の絶頂感・高揚感は忘れられず、次にまたカジノを訪れることになる。

人間の弱さである。しかし、単純にそれだけではないと思う。私は、「熔ける」を読んでいて感じたのが、孤独感である。金曜の夜から日曜の夜まで、バカラに集中する。仕事から解放され、ストレス発散をするには、バカラしかなかった。仕事とは、大王製紙グループの経営であるが、大王製紙グループとは、中小企業でしかなかった。ファミリーに楯突く人間を育てることはできなかった。それは、ほとんどの中小企業でそうである。設備投資の直後に不況が来れば、中小企業は直ちに窮する。楯突く人間や批判する人間を抱える余裕は、中小企業には存在しない。企業グループと言っても、子会社等が合理性を追求するための設立ではなく、融資の都合や、様々な確執や、取引関係等の都合で生まれてしまい、統合することもできずにいることがほとんどである。

私の最大の読後感は、大きくなりすぎた中小企業体質を引きずっている会社の経営についてである。大王製紙について言えば、ここまでの大会社になったのだから、経営を信頼して任すことができる人材を育てることができていたなら、井川意高氏も、ここまでバカラに入り込まなかったであろうと思った。せめて信頼して相談できる相手でもいれば良かった。

しかし、実は、信頼して相談できる相手を持つことは実際には容易ではない。オーナー会社の子孫に生まれたりすることが、不幸とは言わないが、幸福とも限らない。ごく一般の市民・国民として生まれ、自分の意志で自分のやりたいことができ、友を持てていることも、大いなる幸せなのだと思う。

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