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2016年5月11日 (水)

米オバマ大統領の広島訪問決定

日経の記事を掲げます。

5月11日 米大統領報道官「オバマ氏は広島平和記念公園を訪問」 

そしてホワイトハウスは、何と発表したのか、ホワイトハウスの発表は次の通りでした。

The White House May 10, 2016 Statement by the Press Secretary on the President’s Travel to Vietnam and Japan

オバマ大統領は日本の前にベトナムに訪問する。広島に関して次のように核兵器なき平和と安全保障の追求を引き続き続ける意志を示すことが書かれている。

Finally, the President will make an historic visit to Hiroshima with Prime Minister Abe to highlight his continued commitment to pursuing the peace and security of a world without nuclear weapons.

米の報道は、どのように伝えているかは、この5月10日NY Timesの書き方が代表的だと思います。

NY Timesの記事に1945年8月8日のNY Timesへのリンク(これ)があった。更に探すと8月7日NY Timesもあり、8月7日に最初の原爆投下(First Atomic Bomb Dropped on Jan)とある。8月8日版には広島の60%が破壊された(Wiped Out)とある。日本での報道は、このHuffington Post JapanFuffigntによれば8月7日朝日新聞は「B29 2機は広島市に侵入、焼夷弾爆弾をもって同市付近を攻撃」と報道。8月8日には「新型爆弾で相当の被害」と報道していた。

トルーマンの原爆使用の決定を批判することは、相当難しいと思う。逆の面で考えると、日本は何故8月6日以前に和平交渉を切り出せなかったのかとなる。和平交渉に入っていれば、原爆投下の錦の御旗は消え失せると考える。ヤルタ協定(参考:この国会図書館Web)は1945年2月11日に署名された。「ドイツ」国が降伏し「ヨーロツパ」に於ける戦争終結後2月又は3月後のソ連参戦を、ソ連、米国、英国の3国で決めた協定である。公表されたのは1年後の1946年2月であろうが、日本は1945年2月からそう経過しないうちに、その情報を入手していて当然と思う。5月7日にドイツが降伏したことは、日本政府には即刻伝わったはずである。原爆投下については、これがなかったならば、8月15日の玉音放送がどうなっていたのかとも思う。あるいは、ソ連参戦が8月9日より遅かった可能性はあるが、北海道、東北あるいは関東付近までソ連軍がやってきて日本は米国とソ連の2国統治により日本は第二次大戦後分裂国家として出発していたのかも知れないとも思う。

実際に、どこまで、どうだったのか、21世紀の末頃にはもっと解明されているかも知れないと思う。戦前の日本の国会体制・政治体制には、大きな欠陥が存在していたと考える。それを引きずってはならないのだが、未だ影を引いている部分もあると思う。

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コメント

ポツダム宣言 - Wikipedia
4.日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。

次の訳と比べると、Wikipediaの訳が如何に酷い訳かが良く分る.
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http://matome.naver.jp/odai/2136232117008395701
四 無分別な打算によって日本帝国を滅亡の淵に陥れた、わがままな軍国主義的な助言者によって日本国が引き続き統制されるべきか、あるいは理性の道を日本国が進むべきかを、日本国が決定すべき時期が到来した。
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我が儘な軍国主義的助言者とは、昭和天皇に他ならない.
天皇支配に依る戦争を続けて滅亡の道を歩むのか、天皇支配を止め戦争を止めて理性の道を歩むのか、日本が決定しろと言っている.
で、日本はポツダム宣言を黙殺し、天皇支配に依る戦争を続けたために、広島、長崎に原爆を落とされることになった.


陸軍、海軍、政府それぞれが情報を得ても、その情報を共有しようとはしなかった.小磯内閣の時、これではいけないということで情報を一元化するために情報局を作った.朝日新聞社の社長が情報局総裁に就任したのだが、彼いわく『新聞社にいたときは机の前に座っているだけで色々な情報が入ってきたが、大臣になったとたんに情報は何も入ってこなくなった』.

ミッドウェー海戦の損害を、海軍は天皇には全て報告したが、東条総理大臣には半分しか報告しなかった.ある日東条英機は、天皇と話をしていて、自分と天皇に損害認識に大きな違いがあることに気がつき、調べさせて損害の実態を知ることになった.

陸軍、海軍、政府、それぞれの情報は、全て天皇には報告されていたので、天皇は全ての情報を握っていた.天皇が、我が儘な無分別な打算により情報操作を行い、国を影で操ったため、日本は滅亡の道を歩むことになった.


情報を一元化しなければならないと考えたのは、日本だけではなかった.
アメリカは日本の、陸軍、海軍、政府、全てに同時に共通した情報を与え、共通の認識の元に降伏を決断させるために、ザカライアス放送を開始した.

ザカライアス放送は、5月のドイツ降伏以降、トルーマン声明に始まり十数回行われたが、最後は8月4日、ポツダム会談を終えたトルーマンがアメリカに戻り、原爆投下命令書に正式に署名したことを受け、『今すぐ降伏しろ』と、降伏を促すものであった.

ザカライアス放送は、短波の宣伝放送を用いて行われた.その内容は天皇にも伝えられ、『謀略かもしれないが、承知の上でも乗らないと事態の打開の道は開けない』と言う天皇の意見があって、日本からも短波放送により打ち返し放送が行われることになった.

『日本は戦争に負けたことがないので、降伏の仕方が分らない』
『嘘つくな、西郷隆盛は西南戦争で負けただろう』

アメリカからの放送は、日本に無条件降伏を促すものであった.無条件降伏なので、当然、降伏の条件は何も示されないのであるが、日本は国体護持にこだわり、必死に条件を探ろうとするだけで、事態は何も進展しなかった.

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日本は、8月10日深夜か11日の未明であったと思うが、スイス、スウェーデンの大使館を通じて、国体護持を前提にポツダム宣言の受諾を表明した.
NHKは大使館等の手違いを防ぐために、独断で短波放送による受諾表明を行ったために、広くアメリカ人の知るところとなったらしい.
8月11日、フィリピンの捕虜収容所に居た大岡昇平は、看守から日本のポツダム宣言受諾の話を聞かされたと言っている.
日本へ爆撃に出撃したB29搭乗員は、何時爆撃中止の指令が届くかと無線に注意していたが、ついに中止命令は来なかったとも.

おまけ
広島へ原爆が投下された、その翌日の8月7日、天皇は皇后の名前で、今のお金で30億円を越える寄付を国債赤十字に申し出た.

連合国側は日本に対して、捕虜の待遇改善のために寄付を行っていたが、日本は天皇の御用銀行である横浜正金銀行を通じて受け取り、不当な為替レートで取り扱って、寄付の大半をピンハネしたと言われている.

天皇が寄付を行おうとしたスイスの銀行口座と、連合国が寄付を行った銀行口座が同じ口座であったので、イギリスの申し出により天皇の寄付は差し押さえを受けることになった.

投稿: rumichan | 2016年5月12日 (木) 09時32分

rumichan さん
コメントをありがとうございます。

ポツダム宣言の英文は、次の国会図書館のWebにあります。
http://www.ndl.go.jp/constitution/e/etc/c06.html
引用された部分は、次の文章です。
”6.There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and misled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.”
東条英機他開戦に導いた指導者と読むべきと考えます。

なお、こんなのは外交文書の一つであり、俺の読む方ではこうなるとして交渉すればよいのです。想像で外交交渉をすべきではありません。
当時の訳文は、次のようになっており、英語を理解したり、外交交渉をした人たちが存在していたわけで、もしそのような人たちの意見も聞かずに勝手にわめき散らしていた連中がいたとすれば、めちゃめちゃですな。
「無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者」

投稿: ある経営コンサルタント | 2016年5月13日 (金) 00時15分

永野修身海軍軍令部総長

1941年7月30日の上奏
石油を止められたので開戦するしかなくなったと上奏し、
『書面には勝てると書いてあるが、勝てる見込みはありません』と、天皇に言った.
天皇は、首にしろと言って怒った.

永野修身が1941年9月6日の御前会議後に言ったと言われる言葉.
彼は一言も勝てるとは言っていない.
> 戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、
> 戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、
> 戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
> われらの子孫はかならず再起三起するであろう。(「太平洋戦争への道」角田順)


第二次上海事変以降の日中戦争は、海軍が主導し天皇の要望によって行われました.揚子江流域は海軍の管轄地域であり、陸軍は関わりたくなかったのです.

太平洋戦争は、海軍なくして行うことが出来なかった戦争であり、やはり海軍主導で行われました.
南洋の島嶼の例をあげれば、
海軍は戦局が不利になると見るや、航空機を引き上げさせて、更に航空整備兵を潜水艦で救出し、少人数の海軍陸戦隊を人質として島に残して陸軍を見殺しにしました.
海軍は最初から、全く勝てるとは考えていなかった.はじめから負ける戦争を、陸軍を海外に連れ出して兵力をバラバラにしてしまおうと考えて戦争を行っている.
なぜなら、敗戦時に日本本土に陸軍が沢山残っていると、それだけ日本本土で悲惨な戦闘が行われることになる.だから、日本本土の陸軍を如何にして減らすか、それを考えて海軍は戦争を行ったのです.

東条英機はどういう人間か?.
海軍にはめられて一生懸命戦争を行った、タダの阿呆です.

投稿: rumichan | 2016年5月13日 (金) 18時48分

rumichan さん

何度もコメントをありがとうございます。

投稿: ある経営コンサルタント | 2016年5月13日 (金) 23時03分

戦争=お金

日清戦争
当時、清は欧米から軍艦を買って北洋艦隊をつくり、長崎にやってきた.
日本も、やはり欧米から軍艦を買って、十ヶ年計画で軍備を整えつつあった.
グラバーをはじめ武器商人は死の商人である.日本と中国が軍拡競争をして、そして戦争になったら、勝ち負けに関係なく日本も中国も経済的に破滅し、欧米諸国の食い物になるのは明かな事.
だったら、軍拡競争をする前に、互いに戦力の乏しいままで戦争を行ってしまおう、と考えて日清戦争は行われた.

『清朝廷を倒したら、誰から賠償金を取るのだ』、伊藤博文は大本営に乗り込み、こう言って北京攻撃と止めさせた.
『こじれると、清は賠償金を払わなくなる恐れがある.すぐに受諾しろ』、三国干渉を受けて外務大臣の陸奥宗光はこう言った.
日清戦争は、賠償金を取ることを目的に行ったことが分る.
清にはお金が無かったので、三国干渉を行った国から借金し、日本の国家予算の三年分弱に相当する賠償金を、七年月賦で支払った.
その結果、清は経済的に欧米諸国の食い物になった.

日露戦争
日清戦争では戦費の1/3が外貨として流失した.それを参考に戦費の1/3の金額の国債をイギリスで発行し、外貨を確保することにした.この国債には、タバコの専売権、港湾の使用権等の担保が設定されていて、その配当金は国債の利回りより高額であった.
日露戦争は、誰も日本が勝てるとは思っていなかった.国債を買ったイギリス人、アメリカ人も同じであり、日本が負けて担保物権が手に入ることを期待して買ったはずである.

日本にも勝てるかどうか分らなかった.もし負けたらどうなるか?.ロシアが日本を軍事的に占領する事になるのか?.
そうはならない.なぜなら、ロシアが日本を軍事的に占領してしまったら、国債の担保が失われてしまうので、その前に、イギリス、アメリカが戦争を止めさせたはずである.

日中戦争
国家総動員法を発令し、管理統制経済により、国家予算の70%から80%をつぎ込んで戦争を行った.
『欲しがりません、勝つまでは』、戦時国債を乱発し、戦争中から物価は値上がりした.
このような経済運営を、二年間、あるいは太平洋戦争が始まるまでの四年間、継続したらどうなるか?.
戦争を始めて二年後に、あるいは四年後に戦争を止めたとしたら、日本経済はどうなったのか?.
こう考えれば、なぜ戦争を止められなかったのか、なぜ太平洋戦争に突入してしまったのかが分るはず.

投稿: rumichan | 2016年5月14日 (土) 10時20分

rumichanさん

コメントをありがとうございます。興味深く読ませていただきました。

でもそうなんですかね。日中戦争は止める手段を構築せずに初め、やはり構築できなかったって。その面は私もあると思います。しかし、一方で中国なんて少し脅かせばすぐ降参するから、この戦争はすぐに終わるというような世間知らずの視野の狭い考えでいた人も多いように思うのですが。

投稿: ある経営コンサルタント | 2016年5月14日 (土) 23時51分

第一次世界大戦
ユダヤ資本がイスラエル建国を条件に、イギリス、フランスにお金を貸した.
戦況は膠着状態になってしまったので、ユダヤ資本はアメリカを動かして参戦させ、決着がつくことになった.
ユダヤ資本は貸したお金を取り戻すため、裏側で工作し、ドイツに天文学数値の賠償金を科した.
賠償金返済にあえぐドイツは、経済低迷に苦しみ、国民の不満がヒットラーを生みだすことになった.

日比谷焼き討ち事件
日露戦争で賠償金を取れなかったことを怒り、国民が暴動を起こした.
戒厳令が敷かれる暴動だった.

日中戦争
山本56が肝いりで開発した、96式陸上攻撃機による南京渡洋爆撃で開始された.
それはさておき、ルールベルトは南京無差別爆撃を隔離演説で非難したが、その裏ではアメリカは日本に軍事物資を売りまくって稼いでいた.
再び、それはさておき、日本は2年程で外貨を使い果たし戦争を続けられなくなる、と言うのが大方の予想であった.
ところが、予想に反して日本は戦争を続けた.
どの様にして?.
日本は金塊を木箱に梱包してアメリカに送り、横浜正金銀行の支店がアメリカ政府の目をかいくぐって売りさばき、そのお金で軍事物資を買っていた.(予想通り、外貨は尽きたのです)

またまた、それはさておき、
横浜正金銀行は金塊を予定価格よりも高く売り抜いて、余剰金をアメリカの銀行に預金していた.
経済封鎖を受けて、石油の禁輸だけでなく、その銀行預金も差し押さえられた.
当時の石油輸入代金の3年分に相当する金額だったと言われている.


おおざっぱに言って、
軍事費の割合が国家予算の30%程度なら、国民の生活は決して豊かにならないが、国の経済は何とか成り立って行く.
(と私は思う.ウクライナ紛争以前のロシアが30%.太平洋戦争前のアメリカは、4.6%)
国家総動員法で、国家予算に対する軍事費の割合が70から80%の経済を2年間続け、戦争を止めたら経済は破滅する.
国の経済が破滅して、誰がその責任を取るのか.誰も責任を取りたくないので、戦争を止められなかった.
日露戦争では戦争に勝っても、賠償金が取れなかったと言って国民は暴動を起こした.
日本はそう言う国であり『欲しがりません、勝つまでは』、勝つまで戦争を止めることは出来なかった、戦争を途中で止めたら欲しがることが出来なくなるので、途中で止めるなんて考えられない事だったのです.

ちなみに天皇財閥は日本最大の財閥で、当時の天皇は世界で一番の大金持ちだったという人もいます.
天皇の御用銀行である横浜正金銀行がアメリカへ送った金塊は、誰の金塊だったのか?.


1941年7月30日、アメリカの石油禁輸を受けて、海軍軍令部総長の永野修身は上奏を行った.
アメリカとの開戦が避けられなくなりました.そして、
『書面には勝てると書いてありますが、勝てる見込みはありません』と言った.
『あいつは勝てる見込みのない戦争をしようとしている』、天皇は永野修身を首にしろと言って怒った.
けれども、戦争を止めろとは言わなかった.

1941年9月6日の御前会議
天皇は日露戦争の時の明治天皇の歌を詠み、陸軍参謀総長の杉山元、海軍軍令部総長の永野修身に感想を求めた.
日露戦争は、アメリカの仲介によってロシアとの戦争を終わらせた.つまり、アメリカの仲介(交渉)によって中国との戦争を終わらせろと言いたかったのでしょうが.
なぜはっきりと、そう言わないのか?.
戦争を止めろと言うと、言った者が経済破滅の責任を負うことになる.だから天皇は軍部の口から言わせようと、明治天皇の歌の感想を求めた.
永野修身も同じで、彼は天皇の口から戦争を止めろと言わせようとした.『勝てる見込みはありません』と言えば、普通は、勝てない戦争は止めろと言うはずなのだけど.....

みんながババ抜きをやって、一番最初に逃げたのが近衛文麿.最後にババを引くことになったのが東条英機でした.

投稿: rumichan | 2016年5月15日 (日) 18時15分

日清戦争では、明治天皇の要望で、文民官僚の伊藤博文首相参加により大本営が設置された.
伊藤博文は大本営に乗り込み『清朝廷を倒して誰から賠償金を取るのだ』と言って、北京攻撃を止めさせた.

日中戦争では、1937年11月20日、勅令により宣戦布告なく設置できるよう法律を改正して、文民官僚立ち入り禁止で大本営が設置された.
同じ頃、蒋介石は重慶遷都を決定していた.誰から見ても勝敗は決定していた.
この時期になって、なぜわざわざ大本営を設置したのか?.
何のために大本営を設置したのか?.

大本営設置に際し、現地軍に対する天皇の勅語.
『戦争の目的を達成するのはまだまだだ.なおいっそう奮闘し、朕の期待に応えよ』


昭和天皇はヨーロッパ旅行の時、第一次世界大戦の戦跡を見学し、ナポレオンの胸像を買い求めてきた戦争好きだった.
ナポレオンの胸像は書斎に飾られていて、敗戦と同時にリンカーンとダーウィンの胸像に取り替えられたと言われている.

江戸時代は徳川将軍の独裁の時代だったが、御意見番という将軍に直接意見を言うことが出来る人間がいた.
明治時代は元老政治で、元老は天皇に直接意見を言うことが出来た.
昭和の頃になると、元老は西園寺公望一人しか残っておらず、彼も歳で興津に隠居していた.

そして、治安維持法で国民の意見を封じ込めた結果、天皇を批判する者、天皇に意見を言うことが出来る者は誰も居なくなった、完全な独裁者の時代であったのが分る.
2.26事件では、民間人を軍法会議で裁き死刑にしてしまった、天皇は法律にも縛られない存在で、天皇に背けば全て逆賊、反対に天皇が良いと言えば何をやっても許される時代だった.

天皇は完全な独裁者で、我が儘で誰の言うことも聞かないので、当然、天皇を失脚させようと考える者がいたとしても、何も不思議なことではない.
2.26事件も怪しいが、失敗したのであろう.
次が日中戦争で、勝敗が決定した戦争に大本営を設置して、『さあ、大元帥のあなたが戦争の指揮を取りなさい』とお膳立てしたら、戦争好きの天皇はその気になって、どんどん深みにはまって行き、結果はご存じの通り、太平洋戦争になり大敗を喫することになった.

太平洋戦争で海軍は負ける戦争を、天皇を失脚させる目的で負ける戦争を行ったが、これも結果的に失敗だった.
おそらく、年月の経過と共に首謀者が死んでしまったり、権力を失ってしまった為であろうと思う.

投稿: rumichan | 2016年5月18日 (水) 12時50分

rumichanさん

興味ある書き込みをありがとうございます。

「海軍は負ける戦争を、天皇を失脚させる目的で負ける戦争を行った」とありますが、天皇を失脚させた後、後釜はどうしようと考えていたのでしょうか?

投稿: ある経営コンサルタント | 2016年5月18日 (水) 21時58分

後釜は秩父宮以外に考えられません.(本人がどう思っていたかは別問題)

秩父宮は2.26事件で天皇に関与を疑われて、しばらくヨーロッパへ行かされました.
この時ヒットラーに会っていて、『ヒットラーは役者で、全く信用できない』と言っているのですが、ところが日独伊三国同盟を強力に推し進めようとしていて、理解に苦しみます.(一般的に良識のある人物と言われているのですが)

杉山茂丸 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E8%8C%82%E4%B8%B8

伊藤博文は日露間の戦争を避けるために、ロシアと同盟を結ぼうとしていたが、杉山茂丸は裏で画策して日英同盟を結ばせて日露戦争に導いたと言われている、日本の黒幕です.
1935年に亡くなっているのですが、表向きは『後の事は知らん』と言ったらしい.
あくまでも例え話としてですが、このような人物が裏で何かを画策したとすると、様々な人脈の、色々な人間が関与したと考えられます.

投稿: rumichan | 2016年5月19日 (木) 19時32分

「後釜は秩父宮以外に考えられません」となると秩父宮を天皇にと思っていた人たちが存在したわけで、その人たちも秩父宮を人間としてみるのではなく天皇という道具にしか思っていなかったことになると思います。

そうすると、そもそも日本における天皇とは、言葉の上では現人神と呼んでいたが、実質は人間以下で、誰かの奴隷であった。奴隷の主人になろうとして、戦いを繰り広げていたとの説も成り立つような気がしますが。

投稿: ある経営コンサルタント | 2016年5月21日 (土) 00時16分

山本56
山本56は海水からガソリンを作という詐欺師を海軍に呼んで、三日間かけて実験をやらせた阿保でした.皆が詐欺に決まっていると言っても聞かなかったそうです.
こんな奴が当時の海軍では天皇で、絶対的な権力を持っていました.

山本56は事ある毎に、真珠湾を攻撃してやる、アメリカ西海岸を攻撃してやると豪語していました.太平洋戦争の直前になって真珠湾攻撃を思いついたのではありません.
ですからアメリカは、日本を追い込めば山本56が真珠湾を攻撃してくる事を予想した上で、ハルノートを突きつけました.山本56はアメリカの陰謀に嵌まったのですが、だからといってアメリカが悪く、山本56が良いことにはなりません.わざわざ真珠湾まで出かけていって戦争をしかけた、阿保は阿保です.

ようは、相手が悪かったからと言っても、自分が正しいことにはならないのです.善悪はあくまでも絶対的な価値観で判断する必要があります.(管直人が悪人であったとしても、吉田所長が善人である証明にはなりません)

日中戦争を例に取れば、
石原莞爾は、『居留民を引き上げさせて保証金を払え、その方が戦争をするより安く済む』と言いました.
派遣軍の司令官の松井石根は、『南京まで行く.宣戦布告をしろ』と言いました.(松井石根は蒋介石と面識があって支那に詳しく、多くの友人から独自の情報を得ていて、表向きの目的である上海居留民保護だけでは終わらない認識でいたと思われる)
宣戦布告をしていれば、アメリカの中立法により軍事物資の輸入が途絶え、当時の日本の軍事物資の備蓄は3ヶ月程度なので、現実の戦争に照らして考えると、南京攻撃あたりで戦争を終えなければなりませんでした.
もし、日本が不利な展開になったならばどうなったか?.
蒋介石はソ連からも軍事援助を受けていたので、アメリカにとって蒋介石とソ連の結びつきが強まっては都合が悪いので、アメリカが干渉して戦争を終わらせたであろうと思われます.

つまり、宣戦布告に反対した者達が、戦争を拡大させ泥沼に引きずり込んだと言えます.(山本56もその一人)

書き加えておけば、第二次上海事変以降の日中戦争は、揚子江方面で紛争が起きたときのための、海軍第3艦隊作戦計画内安にそって行われました.
多分、陸軍は内容を知らなかったと思われますが、海軍渡洋爆撃隊により南京渡洋爆撃で開始して、陸軍が南京を占領する計画でした.


海軍は、戦艦、空母の場合は艦名を上げて天皇に戦果報告をしていた.
ある日天皇が言った.『この船が沈むのは3度目だな』.

ミッドウェー海戦の損害を、海軍は天皇には全て報告したが、東条英機には半分しか報告しなかった.ある日東条英機は天皇と話をしていて、自分と天皇の損害認識に大きな違いがある事に気がついて、調べさせて損害の全容を知った.(天皇だって気がついたと思うけど)

ドーリットル爆撃隊の報告で、陸軍は9機撃墜の報告を行ったが、天皇は全く信用せず独自に調べさせた.

嘘つきは悪いに決まってるが、陸海軍が嘘をついていることを知りながら戦争を続けた天皇は、一体なんなのか?.

1941年9月6日の御前会議、その前日に天皇が杉山元と永野修身を呼んで、交渉が先か戦争が先かと問い質したのは有名な話.
天皇 『お前が二月三月で終わると言った戦争が、未だ終わらないではないか』
杉山 『支那は奥が広うございますから』
天皇 『太平洋はもっと広いぞ』
この直前にも、天皇が杉山元に『南方進出をしたらアメリカがどう出るか』と聞いたら、杉山元は『何も心配いりません』と答えながら、石油を止められた.

天皇は杉山元が嘘つきで当てにならないことは良く分っていたはず.
先に書いたように、永野修身が『書面には勝てると書いてありますが、勝てる見込みはありません』と上奏して、天皇は首にしろと言って怒った.
嘘つきと首にしろを、陸軍参謀総長と海軍軍令部総長に据えて、普通の感覚で考えれば絶対に戦争はしないはず.

投稿: rumichan | 2016年5月21日 (土) 21時08分

rumichan さん

書き込みをありがとうございます。

真珠湾攻撃については、真珠湾攻撃がなかったなら、米国の第二次大戦参戦(ヨーロッパ戦)はずっと遅かったはず。日本による真珠湾攻撃の結果、ドイツは米国に開戦を布告した。米国議会は日本とドイツ他との戦争を承認した。(英国からの参戦要請に対して、議会には反対論が多かった。)

真珠湾攻撃について、ドイツがどこまで知っていたか、私はよく分かっていません。一方で、山本56なんかは真珠湾攻撃の結果、米国は第二次大戦(太平洋戦とヨーロッパ戦)に出てくることと、米国参戦結果は太平洋でもヨーロッパでも連合国勝利になることを予想していたのではと思うのです。

投稿: ある経営コンサルタント | 2016年5月23日 (月) 23時33分

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