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2018年8月12日 (日)

翁長雄志氏

翁長雄志氏は、8月8日に亡くなられた。翁長氏は、1985年に那覇市議に初当選し、1989年に再当選した後、1992年からは2期8年間沖縄県議となり、2000年に那覇市長に立候補し、当選。2014年の沖縄県知事選挙立候補のための辞任に至るまで那覇市長を14年間弱歴任された。県知事選において、辺野古移設の反対を唱え、その後知事に就任後は、辺野古の海の埋め立て工事の反対を貫いた。

那覇市議への初当選の1985年は、沖縄の本土復帰1972年から13年後であり、翁長氏は沖縄県知事選挙立候補表明まで、自民党に所属していた。翁長氏は、辺野古移設賛成論についても反対論についても、その理由や賛成・反対している人々の本音や裏の事情まで精通しておられたのだと思う。だからこそ、辺野古の埋め立て工事を阻止すべく知事として全力を尽くした。翁長氏は、この5月15日に浦添市の病院を退院し、膵臓ガンであることを公表されたが、実は、この時、自分の体の事について、自分で認識しておられたのだと思う。その上で、自分は政治家として残る人生を全うする事を誓っておられたのだと思う。

この琉球新報の記事「沖縄と沖縄人の誇りのために闘った政治家・翁長雄志氏 その生きざまを写真で振り返る」という記事の冒頭は次である。

沖縄戦から5年後の1950年、那覇市に生まれた。父助静(じょせい)さんは旧真和志市長を務め、兄助裕(すけひろ)さんは西銘順治知事時代に副知事を務めるなど政治家一家に育ち、復帰前から保革の激しい対立を見て育った。

記事からも、2010年知事選での仲井真弘多氏の普天間飛行場の「県外移設」という公約には翁長氏の働きかけがあったことが伺える。

ところで、辺野古埋め立てが必要かと言えば、私は全く不要だと考える。このICT(Information Communication Technology)の時代に時代遅れの小さい飛行場など必要性はない。オスプレイなら埋め立て無しで運用できるし、海兵隊は嘉手納を使えばよい。そんなことをとっくの昔に分かって、無意味な埋め立てをさせないと頑張られたのが翁長氏だと思う。

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