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2019年12月19日 (木)

太平洋戦争開戦(その7)日米の国力差

太平洋戦争当時の日米の国力差とは、どの程度であったのかを見てみます。

1) 日米GDPの比較

すぐに思いつくのはGDPです。当時GDPという概念は定着しておらず、また信頼すべきGDP統計は特に日本では未だ存在していなかった。実は、GDP以外でもあてはまるが、国と国の統計比較は人口のように単位が共通な場合は、比較が容易であるが、経済力の国際比較は容易でない面がある。

ここでは、Univesity of GroningenのMaddison Historical Statiscs(Home Pageはここ )の統計データを使い、比較を行った。

1870年(明治3年)から2016年までの147年間の日本と米国のGDPをグラフにした。2011年を基準とした実質GDPのグラフです。グリーンは、米国GDPを日本GDPで割った除数であり、米国GDPが日本GDPの何倍になっているかを示している。1993年には2.6倍近くまで縮まったものの、2016年は3.7倍強に拡大している。一方、1945年には16倍以上のGDPの国が米国であったのである。

Japanus18702014

もう少し期間を戦争を間にした短い期間の1926年(大正15年/昭和元年)から1946年(昭和21年)までの戦前・戦中についてグラフにしたのが次です。1929年にウォール街の株価大暴落が発生し、世界不況が始まった。米国ではGDPが1929年の水準に戻るまでには10年を要し1939年にやっと回復した。この間の日米GDP格差(比)は1933年には4.8倍程度に縮まったが、太平洋戦争が始まる1941年には6倍強となっていた。

Japanus19251946

更に戦争に関わる期間として盧溝橋事件の前年の1936年から1946年までの期間をグラフにしたのが次である。6倍程度のGDPの差があったが、戦争に突入して、その差はいよいよ大きくなった。日本のGDPは、軍需産業もあり1943年にピークとなったが最早それまでであった。

Japanus19361946

2) 石油

太平洋戦争開戦(その4)日米交渉 の中で、昭和16年11月26日東郷外務大臣より在米国野村大使宛(電報)を紹介した。この電報には米国より昭和13、14,15年と同様に年間400万トンの石油を輸入したいと書いてある。更に、蘭印より年間33万トンの石油確保の見込みと書いてある。米国の日本向け石油輸出禁止は1940年8月の航空機用ハイオクガソリンに始まり、1941年には全面的に禁止となった。

日本で石油を何に使うかと言えば、軍艦の燃料と軍用飛行機の燃料である。石油の面でも日本は米国と戦争できる状態ではなかった。実は、米国こそ、当時世界の石油を支配していたのである。

Worldoilproduct19302000

1940年頃の世界の年間原油生産量は20億バレル。米国の生産量は15億バレル。原油生産量の75%程度が米国であったのである。15億バレルを重量にすると約2億2千万トンである。日本が米国から何とか輸入したいと思ったのが4百万トンなので、米国産原油の2%が欲しかったのである。

石油に関する日米の差は余りにも大きかったのである。

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