2016年8月 7日 (日)

原爆・終戦の1945年8月を考える

NHKスペシャルは、広島原爆の8月6日に「決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~」を放映していた。(この番組

その内容は、明確な決断がなかった可能性があるとのことであった。私は、調べていないので何も言えないが、逆に明確な意志が存在したとも思える点もある。

それは、NHKが百合子さんの絵本-陸軍武官・小野寺夫婦の戦争-という終戦スペシャルドラマを7月30日に放映していた(再放送8月25日)。このドラマの内容は、夫が掴んだソ連参戦の情報を妻が暗号化して日本に送ったが、その情報はいかされなかったことを一つの主題としている。

ソ連参戦の情報とは、この国会図書館のWebにもあるヤルタ協定である。念のため、ソ連参戦の部分を抜き出すと次である。

三大国即チ「ソヴィエト」連邦、「アメリカ」合衆国及英国ノ指揮者ハ「ドイツ」国カ降伏シ且「ヨーロツパ」ニ於ケル戦争カ終結シタル後二月又ハ三月ヲ経テ「ソヴィエト」連邦カ左ノ条件ニ依リ連合国ニ与シテ日本ニ対スル戦争ニ参加スヘキコトヲ協定セリ

ドイツ降伏の日は1945年5月8日である。その日から「三月ヲ経テ」は8月8日であり、8月9日にソ連軍の当時の満州侵攻が始まった。ヤルタ協定の通りであり、「百合子さんの絵本」の通り、小野寺武官が入手し、本国へ送った情報は有効に使われなかったのである。

ヤルタ協定の当事者の一国はアメリカである。アメリカは8月8日・9日のソ連の日本に対する戦争・戦闘改正は公式情報であり、それを念頭に対日戦争を戦っていた。原爆投下もヤルタ協定によりソ連が日本本土に侵攻していった場合を恐れてのことではないかと思う。

アメリカはB29による空爆はできていたが、本土上陸には未だ時間がかかっただろうと思われることと同時に日本軍の抵抗により沖縄同様鎮圧には相当の期間が予想された。そのような状態では、ソ連に北海道はおろか東北、あるいは朝鮮半島から侵攻してきたソ連軍に九州や中国地方の西部さえ押さえられソ連軍の支配下におかれることになったかも知れない。このあたりは、どうなったか分からないが、ソ連を日本に行かせたくなかった。何故なら、ソ連軍の軍艦が太平洋に自由に出てくることを嫌ったからである。ソ連の太平洋側には、ウラジオストック以外に不凍港として使える軍港がない。サハリンはソ連への返還とヤルタ協定で決めているので、宗谷海峡の南側の北海道までソ連の支配下となったり、日本のある程度の範囲がソ連の支配下となることは、アメリカにとっては避けたい事態である。

歴史とは恐ろしいものと思う。日本がドイツ他のように分裂国家となっていた可能性もゼロではなかったはずである。

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2016年5月11日 (水)

米オバマ大統領の広島訪問決定

日経の記事を掲げます。

5月11日 米大統領報道官「オバマ氏は広島平和記念公園を訪問」 

そしてホワイトハウスは、何と発表したのか、ホワイトハウスの発表は次の通りでした。

The White House May 10, 2016 Statement by the Press Secretary on the President’s Travel to Vietnam and Japan

オバマ大統領は日本の前にベトナムに訪問する。広島に関して次のように核兵器なき平和と安全保障の追求を引き続き続ける意志を示すことが書かれている。

Finally, the President will make an historic visit to Hiroshima with Prime Minister Abe to highlight his continued commitment to pursuing the peace and security of a world without nuclear weapons.

米の報道は、どのように伝えているかは、この5月10日NY Timesの書き方が代表的だと思います。

NY Timesの記事に1945年8月8日のNY Timesへのリンク(これ)があった。更に探すと8月7日NY Timesもあり、8月7日に最初の原爆投下(First Atomic Bomb Dropped on Jan)とある。8月8日版には広島の60%が破壊された(Wiped Out)とある。日本での報道は、このHuffington Post JapanFuffigntによれば8月7日朝日新聞は「B29 2機は広島市に侵入、焼夷弾爆弾をもって同市付近を攻撃」と報道。8月8日には「新型爆弾で相当の被害」と報道していた。

トルーマンの原爆使用の決定を批判することは、相当難しいと思う。逆の面で考えると、日本は何故8月6日以前に和平交渉を切り出せなかったのかとなる。和平交渉に入っていれば、原爆投下の錦の御旗は消え失せると考える。ヤルタ協定(参考:この国会図書館Web)は1945年2月11日に署名された。「ドイツ」国が降伏し「ヨーロツパ」に於ける戦争終結後2月又は3月後のソ連参戦を、ソ連、米国、英国の3国で決めた協定である。公表されたのは1年後の1946年2月であろうが、日本は1945年2月からそう経過しないうちに、その情報を入手していて当然と思う。5月7日にドイツが降伏したことは、日本政府には即刻伝わったはずである。原爆投下については、これがなかったならば、8月15日の玉音放送がどうなっていたのかとも思う。あるいは、ソ連参戦が8月9日より遅かった可能性はあるが、北海道、東北あるいは関東付近までソ連軍がやってきて日本は米国とソ連の2国統治により日本は第二次大戦後分裂国家として出発していたのかも知れないとも思う。

実際に、どこまで、どうだったのか、21世紀の末頃にはもっと解明されているかも知れないと思う。戦前の日本の国会体制・政治体制には、大きな欠陥が存在していたと考える。それを引きずってはならないのだが、未だ影を引いている部分もあると思う。

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2015年11月 8日 (日)

ユネスコ世界記憶遺産 南京大虐殺

ユネスコは世界記憶遺産(Memory of the World )への追加47件を発表した。ユネスコ発表は次の通りである。

09 October 2015 International Advisory Committee inscribes 47 new nominations on UNESCO Memory of the World Register

47件には日本政府が申請した次の2件が含まれている。

舞鶴港引揚資料(ユネスコWeb 舞鶴引揚記念館のホームページ

東寺に保存されている歴史資料集(ユネスコWebユネスコWeb)

また47件の中には、中国政府申請の1件が含まれており、これが南京大虐殺資料(Documennts of Nanjing Massacre:ユネスコWeb target=_blank Nomination Form)であり、日本国内で議論がある。

これに対し、日本政府は南京大虐殺はなかったとする研究者の論文をユネスコに提出したと毎日が報じている。

毎日 11月6日 世界記憶遺産:意見書 日本、「南京」否定派を引用 ユネスコ受け入れず

ユネスコ世界記憶遺産となった南京大虐殺資料は中国の資料ばかりであり、一方的と言える。しかし、南京大虐殺まで否定できるものではないと考える。

参考までに次の「NNNドキュメント '15 シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言」を見ると、とうてい否定できないと考える。

あるいは、次のNNNドキュメント08「兵士たちが記録した南京大虐殺」も同様で、恐ろしい悪魔の歴史と思う。誰が、悪く、誰が悪魔かは、単純ではない。作戦に参加させられた日本兵も被害者である。

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2015年10月 1日 (木)

新安保法公布

9月30日新安保法関係が公布された。極めて分かりつらい法であり、解釈により、範囲は相当広がると思う。

安全保障に関連して基本的なことを書いてみる。

1) 戦後70年で大きく変わったのは?

一番の大きな変化は、ソ連崩壊だと思う。即ち、東西対立というような時代ではなくなった。それ故、日本の安全保障についても、平和主義を基本とした日本独自の安全保障を追求すべきであるとの考え方については、どうなのだろうか?

日米安保が定着しすぎて、日米安保のままでよいのかとの議論が、なされていないと思える。新安保法に関しては、国会デモに多くの人が参加した。8月6日、8月9日、8月15日、12月15日、いずれの日も、平和を喜び、二度と戦争をしないと誓うだけではなく、どのようにして平和を維持するかを議論することが、より重要であると思う。

2) 最大の脅威とは?

中国や北朝鮮が脅威であると言う人がいる。脅威かも知れないが、大きな脅威ではない気もする。

ヨーロッパには多くのシリアからの難民が押し寄せている。ISISからあるいは政府とISISの戦闘から逃れるためがほとんどと理解するが、ISISとは米国のイラク戦争の結果生まれた戦闘集団であると思う。何故なら、ISISの支配地域は、このCNNの地図によれば、イラクで大きい。結局は、米国のイラク戦争の結果と思える。米国が、イラクに大量破壊兵器が存在するとしてイラクを2003年に攻撃し、政府を転覆した。その結果の内乱は今も続いている。

米国と行動を共にすることは、最大の脅威かも知れない。何故、日本の自衛隊はイラクに行ったのだろうか?すこしだけの米国のお手伝いのため?そのために、イラクの人々を不幸にし、ISISを作り出したことはないかと考えることが必要な気もする。

3) 沖縄に米軍基地は必要?

もしかしたら、かえって危険ではないかとの発想です。米国が戦争をする可能性は、日本がするより高い。テロリストに狙われる可能性も米国の方が高い。従い、米国の基地は百害あって一利なしなんてことは、ないでしょうか?多分、米国も日本を守る気なんかない。危なくなれば、放棄する。

そう考えると、沖縄の人がかわいそうになるのですが、そうではなく、沖縄に基地を押しつけることを止めるべきと言うか、根本問題を考えるべきと思う。

4) 思考停止になってはいけない

思いついたことを書いてみました。いずれにせよ、思考停止になってはいけない。実は、思考停止にはまることは多い。例えば、東京裁判は勝者の裁判との言葉がある。そうかも知れない。しかし、そこで思考が停止してはならない。日本人が日本人を当時裁けたのかも考える必要があるし、誰も悪くないとすることが正しいのか。一億総懺悔として、うやむやにするのが正しいのか。考えるべきことは多い。

裁判のニュースで被害者家族から多く聞く言葉が「真実を明らかにして欲しい。」と「このようなことに対して、誰も罪がないなんて許されない。」である。これを歴史に投げかけて、今の時代における対処を考えることも必要と思う。

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2015年9月10日 (木)

半藤一利氏の「いま戦争と平和を語る」

自民党が呼ぶところの平和安全法制整備法案、反対運動の方々の呼ぶところの戦争法案は中央公聴会を9月15日に開催し、その翌日には委員会決議、翌々日には参議院本会議決議へと与党は強引に成立を目指すと思います。

本年は戦後70年の年でもあるが、平和安全法制整備法案・戦争法案について考える上でも、半藤一利氏の「いま戦争と平和を語る」は参考になると思いました。

日本経済新聞出版社より2010年に単行本として出版され、2015年5月に文庫本としても発行されており、その両方のリンクを掲げます。

  

半藤氏は、大学を卒業して文藝春秋に入社された。「週刊文春」の企画「人物太平洋戦争」に携わったりして、多くの旧軍人に会いに行かれた。しかし、何もしゃべってくれない人もいるし、無責任な軍人も多かった。そのような中で、その後も多くの人と会われ、現代史に肌で接し、その結果を書いておられる。(本書の場合は、対談であり、聞き手の井上亮氏に語っておられる。語り口調であるから、読んでいてリズムがあり、心地よい気分にもなる。)

歴史は、近い時代ほど重要である。一方、近い時代ほど、生きている人が存在するのであり、不都合な真実が多いとも言える。人は真実の一部しか見れない。全てを俯瞰することはできない。証言が事実を全て述べておらず、隠したり、虚偽が入ったりもする。文字に記録されていることが全てではない。証言により立体的に復元できたりもするが、単に証言は正しいとして扱うと誤りを犯すこともある。歴史として捉えるには、真実に基づき客観的に把握する必要があるが、容易ではない。そのようなことを分かった上で、戦争と平和について語っておられるので、感心させられることが多くある。

聞き手の井上氏の投げかけも鋭いのである。次のような視点からの問いかけには、冷水を浴びさせられるような感もある。半藤氏の答え方は、この本を実際に読んでいただくか、各人で想像し、考えて頂くかにしたいと思います。

Handou20159a

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2015年8月15日 (土)

安倍晋三首相の戦後70年談話

8月14日に安倍晋三首相が戦後70年談話を発表した。談話は、首相官邸の次のWebで読むことが出来る。

平成27年8月14日 内閣総理大臣談話

総理大臣談話としての文章は、この程度かな、安倍氏個人としては相当踏み込んだつもりだろうなと思う。

日経は、この記事 「70年談話、海外反応は様々 メディアは厳しい声も 」で、海外メディアの反応等を伝えていた。参考として、NYT、WP、WSJの記事は次の通りである。

NY Times: Shinzo Abe Echoes Japan’s Past World War II Apologies but Adds None

WashingtonPost: Japan’s leader stops short of WWII apology

Wall Street Journal: Japan’s Abe Stops Short of Direct Apology Over World War II

WPとWSJが表題に使っている”Stop Short”とは、「ほんの少し立ち止まる。」という意味でしょうか?NYTの”Adds None”なる「追加したことなし。」との表現も面白いと思った。

様々な意見や批判が出ることは良いことである。何も出ないことこそ、良くないことである。実は、戦前の日本が戦争に向かっていった背景の一つに異なった意見や批判を許さなかった、封じてしまったことがあると考える。米占領軍政策として、軍部に戦争責任を押しつけ、国民には罪はないとしたことがあると思う。ある部分では、それは正しいと考えるが、それが全てであるとすると大きな誤りを犯すと考える。遺族の中の英霊の死を無駄にしてはならないとの声に心情的に同感を覚える人はあり、そのことが侵略につながっていった部分はあると思う。

安倍談話であるが、私にとって、意味不明部分がある。「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」との部分である。日本政府は戦時賠償を行った。中国のように相手国による賠償権利放棄もある。(参考:1972年9月29日の日中共同声明の第5項(この外務省のWeb))賠償権利放棄が永遠に存続するとともに、日中共同声明前文の「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」との部分も永続すると考える。「謝罪」との言葉は何を意味するのかにもなってしますが、下手をすると、謝罪を続ける宿命を背負はないとは、歴史をふりかえらないとの意味にもつながりかねないと思う。

安倍談話も、直後の文章に「世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」とあり、謝罪を続ける宿命なる言葉にこだわる必要はないのかも知れない。しかし、私とすれば、それなら、謝罪を続ける宿命という部分は、初めから削除しておくべきであったと考える。

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2015年5月22日 (金)

安倍晋三首相の歴史認識弱いのは本当なの?

次の朝日新聞の記事から思ったことです。

朝日 5月22日 ポツダム宣言「本当に読んでないようだ」 志位氏が皮肉

5月20日の国家基本政策委員会両院合同審査会における党首討論での討論における発言なので、動画が政府インターネットテレビにアップされており、このWebで見ることができる。

安倍晋三首相が歴史認識に弱いのか、党首討論の攻防の作戦上の答弁としてとぼけているのかは、動画を見て自分自身で考えるのが一番良いと思う。

ちなみに私は、朝日の「世界征服のための戦争であったと明瞭に判定しているポツダム宣言の認識を認めないのか」との志位氏の質問と報道していることについては、誤報が含まれると認定する。私が、動画を見た限りでは、志位氏の質問の主体は「間違った戦争であったとの認定を認めないのか」であった。

志位氏の質問に対しては、安倍首相は村山談話を初め過去の認識を継続するとは言ったが、直接的には答えていない。しかし、ポツダム宣言に関しては、朝日の報道にあるように「その部分をつまびらかに承知をしていない。読んでいない。論評できない。」とのように安倍首相が答えている部分がある。

ポツダム宣言はこの国会図書館のWebにあり英文はこのWebの右上のEnglishをクリックすると英語原文が表れる。ポツダム宣言は、外交文書であり、そこには駆け引きや圧力さらには妥協もあり、受諾をしたから、その内容がすべて正しいと認めることになるとは思わない。しかし、その大枠を否定したら、国際関係はおかしくなるはず。首相が承知をしていない、読んでいない、論評できないと言うのは、やはり首相失格と思う。積極的平和主義と言うのであれば、やはりポツダム宣言受諾も踏まえてという論理構成であるべきと考える。

なお、朝日の記事に、月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、当時幹事長代理であった安倍氏が「ポツダム宣言が原爆投下の後」と発言したのであれば、とんでもない間違いの歴史認識である。7月26日にポツダム宣言があり、原爆投下は8月6日と9日である。ソ連の日本への宣戦布告8月8日、9日戦争開始となり8月15日の玉音放送がある。ポツダム宣言やヨーロッパV Dayの5月8日から遅くない時期に戦争を終わらせていれば、原爆投下はなかった。そんなことが簡単にできるような日本国内や日本軍の状況ではなかったことはある。しかし、原爆投下に関しても複雑な要素があり、単純に米国を非難することはできないと思う。それゆえ、原爆反対運動とは、二度と核兵器を使わず、破棄することを目指す運動であると考える。また、その運動の成功のためには、正しい歴史認識は重要である。

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2015年4月 1日 (水)

米軍沖縄上陸から70年

70年前の4月1日、米軍は沖縄西海岸に上陸し、6月末頃まで太平洋戦争での日本における唯一の日米地上戦が始まった。

本日の沖縄の新聞社説は、沖縄県民の思いをあらわしているのだと思う。

沖縄タイムス 4月1日社説 [米軍本島上陸の日に]もう捨て石にはならぬ

琉球新報 4月1日社説 本島上陸70年 軍は住民を守らない この教訓を忘れまい

考えれば、普天間があるのは沖縄を守るためではないし、辺野古移設も同じで、迷惑施設でしか他ならないばかりか、もしかしたら米軍の敵は米軍基地をめがけて攻撃を行い、沖縄県民に犠牲者が出るかも知れない。杞憂だと思っていたが、イスラム過激派が沖縄米軍基地へ自爆攻撃なんて「ないよ」と言い切れないようになってきている気がする。

3月12日に強行すぎると感じてしまう辺野古調査なんて書いたが、3月12日のこれで書いたようにオスプレイなら短い滑走路で運用できるので埋め立ては不要となる。実際、TVのニュースで普天間の空撮が出てくるとオスプレイしか並んでいないように思える。世界の兵器、軍事情勢、米軍方針だって不変ではなく、時代とともに変わっている。見通しもなく最低でも県外なんてことを言うのではなく、真剣に向き合って努力を重ねていけば解決すると思うのである。

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2015年3月17日 (火)

右傾化が著しい八紘一宇の礼賛

記事のタイトルだけを見ても、驚いた。

東京新聞 3月17日 「八紘一宇」を礼賛 参院予算委で自民・三原氏

八紘一宇とは、Wikiがここにあるが、大正時代に使われ始めた言葉である。訳の分からない言葉であるが、当時の権力者にとっては、都合良く使うことができた言葉である。天皇主義が、そもそも権力者の都合でしかなかったのであるが、「天皇の御為」と言っておけば、全ての反論が排除可能であり、相手に自分の都合を押しつけることができる。

考えることを否定する言葉、あいまいな言葉は理性で考えるべき時に使うべきではない。想像が入るが、イスラム国の考えはコーランを都合の良いように解釈して権力者が都合良く達振る舞っているのだと思う。少し前、”おもてなし”とか”絆”とかの言葉を使う人がいた。何を意味するのか、当然のことを言っているのか、それなら、わざわざ使う必要がないと思うし、かと言って深い思想や主張があるのか、それもよく分からない。

しかし、八紘一宇は、村山談話と併せて考えると、「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」に深くつながり、「わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。」に通じることとなる。

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2015年3月 5日 (木)

沈没した戦艦武蔵を発見

米ポール・アレン氏が1944年10月24日に米軍の航空機(艦載機)攻撃で沈没し、海底に沈んでいる戦艦武蔵を発見したとのニュースがあった。

Huffington Post 3月4日 「戦艦武蔵を撮影」ポール・アレン氏が動画公開 46cm主砲の姿も

Huffington Postには、動画もあり、幾つかの写真掲載されている。一方、次はポール・アレン氏のWebで、動画(英語で少し動画内容も異なる。)がある。又、イメージギャラリーやハイレゾ写真へのリンクもある。

Paulallen.com FINDING THE MUSASHI (ポール・アレン氏のホームはここ

戦艦武蔵は、1944年10月22日、ブルネイをフィリピンのレイテに向け、同型艦の戦艦大和を含む栗田艦隊に組み込まれて出航した。しかし、レイテには到着することなく、翌々日フィリピンのシブンヤン海で米航空機による魚雷と爆弾を受けて沈没した。Wikiには、出港時の乗員は2,399名であったが、生存者は1,376名とある。しかし、救助された乗員で最終的に日本に帰還できたのは、たったの56名だったとのこと。

大東亜戦争の悲劇の象徴みたいです。三菱長崎で1938年3月に大和2番艦として起工され、1942年8月に呉海軍工廠で完成した。膨大な政府予算をつぎ込んで建造されたのである。なぜ大和と武蔵を作ったのかであるが、米国との戦争準備の為である。米国と戦争をしても勝てないまでも、簡単に負けはしないようにしたのである。即ち、46cm砲である。大きな大砲の砲が、遠くに、しかも爆発力の大きな砲弾を飛ばせる。大和・武蔵の船幅は38.9mである。戦艦は横方向に向けて大砲を撃つ。その反動力を基準として戦艦の船幅が決まってくる。米国の戦艦は大西洋と太平洋の双方で運用できる必要があり、そのためにはパナマ運河通過が条件である。実は、パナマ運河の幅は現在でも33.5mであり、船幅32.5mがギリギリである。米国の戦艦より大砲のリーチが長く、訓練で命中精度を高めていれば、米国との海戦に勝てると期待したのである。

戦艦大和・武蔵というのは、このような論理に基づいて建造されたのである。しかし、その論理はもろくも崩れたし、現実を正確に分析していれば、航空機の発達や国力の差を始め、論理的に成立しても残念ながら有効と判断できなかったはずである。本当は、大艦巨砲に税金を投入するのではなく、国民を豊かにする経済発展を目指すべきであった。日清戦争以来、日本はひたすらに戦争へと向かっていった。その課程で、戦艦大和・武蔵もあったのだと私は整理をするのが正しいように考えている。

それを考えると、集団的自衛権なんて、馬鹿言っちゃいけないよと思う。中途半端な考えは、暴走してコントロールが効かなくなることを肝に銘じる必要がある。日清戦争は、当初朝鮮半島をめぐる日清の駆け引きであった。半島への出兵を決めた公式目的は「在留邦人保護」であったし、伊藤首相は清との衝突回避を当初考えていた。集団的自衛権の閣議決定を受けての法改正案を近いうちに政府は出すであろうが、内容的には、集団的自衛権ではなく、個別自衛権の範囲と考えるべき内容が大部分と理解する。そうであれば、つまらない集団的なんて言葉を抹消すべきである。PKOに自衛隊が参加しても、武器を使用できないからと言うのは、論理のすり替えである。共に行動する外国のPKO部隊は、自国の範疇と考えれば良いのである。

戦艦武蔵発見は、戦争と防衛について考える良い機会とも思う。最後に、日清戦争について書かれた大谷正氏の中公新書と吉村昭氏の戦艦武蔵を紹介しておきます。知らなかった面を多く知った本でした。

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