故佐藤栄作首相(当時)がサインをした核持ち込みに関する「密約」文書を、次男で元通産相・運輸省・参議院・衆議院議員の佐藤信二氏(77)が保管されておられ、その文書を公表されました。
読売 12月23日 核密約公表「真実残すことが大事」…佐藤元通産相
佐藤信二氏の発言として「文書にはすでに政治的な意味はなく、公表によって現在の日米安保体制が大きな影響を受けることはないと思う。おやじがどう考えたかわからないが、歴史に真実を残すことが大事だと思う。」と読売の記事にありますが、本当にその通りだと思います。真実を残すことは、重要なことです。そこで、私も、自分の考えを書いてみます。
なお、サインされた文書の文面はDaily Yomiuri Online Dec. 23, 2009 Secret N-pact comes to light / Japan-U.S. accord was kept at ex-Prime Minister Sato's homeの記事の下の方にあり、その日本語訳は読売 12月22日 日米首脳「合意議事録」全文和訳にあります。また、このブログの最後の部分に、続きを読むをクリックすると、1969年11月21日の共同声明とともに文書が出てくるようにしました。
1) 有効性
佐藤首相と米ニクソン大統領がサインした本物であり、有効性に疑う余地はないのですが、日米の政府に義務を負わせているのかというと、そうではないと考えます。
文書の1ページ目に、”international obligations assumed by the United States”との言葉があるが、この文書で米国政府の義務が新たに発生しているのではなく、安保条約その他で決まっている義務であり、この文書で拡大も縮小もしていない。”the United States Government will require” とか、”would anticipate ”や”also requires ”が出てくるが、それに対して、どうのこうのは、1ページ目には書かれていません。”with prior consultation with the Government of Japan.”と書いてあることから、米国にとっては面倒くさくも事前協議をしなければならないことを認めたと読むべきなのでしょうか?あるいは、当然のことであり、特に義務が増えたわけではないとも言えます。
問題は、2ページ目の”The Government of Japan, -省略- will meet these requirements without delay when such prior consultation takes place.”という部分ですが、”shall”であれば、義務と私は解釈します。”will”となっており、尽力義務に近いと解釈します。読売の訳文は、「遅滞なくこれらの必要を満たすだろう。」となっています。
”prior consultation with the Government of Japan”ですから、日米政府が事前協議をするのであり、佐藤首相が承認する権限があったのかという点はいかがでしょうか?国会承認は不要でしょうか?緊急事態なら別との議論もありえるでしょうね。しかし、次の首相になっても有効でしょうか?佐藤首相は次の首相に引く継ぐ義務を持っていたでしょうか?自宅に、原本を持って帰ったことからして、私は、佐藤首相自身は、自分個人の義務として扱うつもりであったと考えます。
ニクソン大統領と佐藤首相の個人の間の覚え書きとして有効であるが、政府間の文書としては有効ではない。但し、書かれたことは精神的には引き継がれており、万一本当にそのようなことが生じれば、日本国民は支持するのではないかと思います。但し、「本当に」であり、世界情勢が変われば、全く異なるし、現時点において、そんな事態は全く予想されないと思います。
2) 普天間には核はなかった
Kadena, Naha, Henokoと書いてあり、この3カ所に米軍の核兵器貯蔵施設があったのです。”standby retention”と書いてあり、どこにでも核兵器を簡単に貯蔵するわけにはいかないのだと変な納得をします。そして”activation”ですから、実際に貯蔵するとなると、手入れをして使用可能な状態にしなければならないのです。
極めて当たり前の話ですが、保管するからには、絶対的とも言える安全性で保管し、盗難なんて絶対あってはならない。考えれば、核兵器を保有することは、莫大な経費を要することです。およそ使うことがないとまで言えないかも知れないが、使うことを望まない兵器です。オバマ大統領のプラハ演説も、防衛予算を下げたいと言う理由も、背景にはあると思います。
Nike Hercules(ナイキ・ヘラクレス)ですが、既に旧式であり、今はPatriotに置き換わっていると了解します。地対空ですが、地対地でも使え、核兵器搭載も可能であったようです。必ずしも、一定の場所で使うのではなく、移動して数日で使用開始できたようです。沖縄では、どこに基地があったのか調べていませんが、Nike Hercules用の多分核弾頭も保管されていたのでしょうね。
日米安保条約も60年安保、70年安保の時と今とでは、多くの人の受け止め方が違って来ている気がします。いずれにせよ、日米安保条約の柱の一つは、日本が米国の核の傘の下にいることだと思います。では、核の傘の下にいることは、核兵器の貯蔵庫を提供することに結びつくのか?そうではないでしょうが、完全にNOであるのか、当時の佐藤首相は、great emergency(読売訳文:重大な緊急事態)には、持ち込み可としました。今でも、沖縄に核兵器を貯蔵可能な施設が存在し、維持されているのか不明であり、今の軍事技術で日本や沖縄に核兵器をわざわざ重大な緊急事態と言えども、貯蔵する必要性があるのか、大いなる疑問があると思います。
核兵器が抑止力だとしたならば、原子力潜水艦から核ミサイルを発射できるようにし、発射後潜水艦が潜水すれば、相手は、その潜水艦を攻撃できないから、よっぽど抑止力になると思います。最も、潜水状態でミサイル発射できるでしょうね。陸地だったら、そこを反対攻撃されるから、あまり意味がないような気がします。
米国にBrookings InstitutionというNPOのシンクタンクがあり、そこのWebにBombs in the Backyardというのがあり、日本にある核兵器貯蔵場所として、嘉手納、三沢、横田が書いてあります。
本当は、どうなっているのか、分かっていません。核兵器が使用されない世界をつくる努力が一番重要だと思います。
3) 蛇足
日付が面白いと思いました。文書の表題には1969年11月21日とあり、最後のサインの部分には11月29日とあります。共同宣言には、11月19日,20日および21日にワシントンにおいて会談しと書いてあり、宣言文の日付は最終日である11月21日です。
文書は、3日間の会談の第1日目にサインされたのです。それまでの交渉で、ほとんど固まっていたから、始まったら直ぐにサインして良い状態だったのでしょうね。あるいは、こんな文書のことより、首相と大統領の間で直接会って話をしなければいけない重要事項・懸念事項がたくさんあったのかも知れません。
色々と思い浮かばせてくれる文書であり、歴史の資料は、種々のことを考えさせてくれます。
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