2023年2月 4日 (土)

映画 「生きる」 大川小学校 津波裁判を戦った人たち

大川小学校の津波裁判を戦った人たちについての上映時間124分の映画が公開されます。公開開始が最も早いのは、新宿K's cinemaで2月18日からです。

映画のHome Pageは、ここ です。

大川小学校では、2011年3月11日の津波により、児童は108名中74名、教員は13名中10名が死亡したと言う余りにも痛ましい災害が発生しました。

私も、ブログで2011年6月5日にこの記事、2015年3月9日にこの記事 、2021年3月28日にこの記事 を書きました。

遺族が、市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟では、最高裁が2019年10月に、市と県の上告を退ける決定をし、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた二審・仙台高裁判決が確定しています。(参考:日経記事 2019年10月11日 、仙台高裁判決文 )

映画に関して、東洋経済Onlineはこの記事を掲載しています。また、裁判で住民側の代理人を務められた吉岡和弘弁護士の弁護士ドットコムのインタビュー記事 2021年3月26日がここにあります。

マニュアルを自分自身の学校に合わせて、見直し・改訂をしないで又その時の災害状況に合わせて適切に対応しなかったことが原因と私は考えるのですが、一方で当然と思える見直し・改訂・適切な対応について実施できなかったのかを考えると、深い問題があるかも知れず、映画を作成された関係者の方々にお礼を申し上げたいと思います。

| | コメント (0)

2022年12月 7日 (水)

原発対応を含め災害対応庁の新設はどうか

9月2日のこのブログ で、岸田首相が「原子力発電所については、再稼働済み10機の稼働確保に加え、設置許可済みの原発再稼働に向け、国が前面に立ってあらゆる対応を採ってまいります。」と述べたことを紹介したが、最近は化石燃料の価格の高騰による電気料金上昇やこの冬の電力需給逼迫の懸念もあり、原発再稼働やこの11月28日日経ニュースのように廃止が決まった原発の建て替え案も浮上している。

福島原発事故で、私が思ったのは、日本そのものの脆弱性についてである。日本の和歌や古文は日本の自然の美しさを讃え、喜び、日本に生まれ生きていることの感激を述べているものが多い。一方、現代人は自然科学や社会科学を持っている。科学的な研究、調査、分析、思考等様々な方法を駆使して、豊かな社会や生活を実現していく努力を継続すべきである。ところが、日本は、特に日本の制度は、十分に合理的とは言えず、改善すべきことは多いと考える。原発について考えるなら、現状の制度や仕組みのままで良いのかも、十分考えるべきである。

1) 福島事故菅直人現地視察の謎

首相ともあろうお方が、事故翌日の3月12日の午前7時11分から約1時間近く福島第一原発を視察・訪問している(参考:この共同通信:津村一史の記録(YahooNews) )。午後3時16分に1号機の水素爆発があったので、それは約7時間後のことであった。津波による全電源喪失が15時37分だったから、電源喪失から爆発までほぼ24時間。

そのような原発が爆発する危険を承知で首相は現場に行ったのではないはず。無知はあったかも知れないが、正確な情報や分析結果が届いていなかったのか、官邸主導だと言って聞く耳を持たなかったのか、それとも妥当な分析やシミュレーションが実施されていなかったのか、原因は不明である。「安全が確認された原発」という不思議な言葉を耳にする。100%の安全はあり得ない。何故なら人間だからである。人間だからこそ、漏れは否が応でも出てしまう。しかし、人間だからこそ、漏れに対しても臨機応変な対応もあり得るのである。

あえて一言言うなら、原発を運転する電力会社に全ての責任を押しつけるのは間違いである。当時、官房長官は電力会社に責任があると言い続けていたことを思い出す。この資源エネルギー庁の説明地図によれば、原発で現在稼働中は7基、停止中3基、設置変更許可7基、審査中10基、未申請9基で国内に36基の原発がある。電力会社(発電会社)の数では11社である。これらの原発を安全に管理・運転するための役所を作ってはと思う。

2) 災害対応庁の新設

米国FEMAを思うのであるが、FEMAは災害に関して大きな権限を持つ役所である。日本には、これに該当する役所がない。災害は、消防・地方自治体・総務省・国交省の担当であるのだろうか?災害対応は市町村役場の対応のようになっている面があるが、余りにも不透明と思う。災害への対応とは、災害発生前から発生時のシミュレーションを行い、対応を考え、計画することからスタートする。市町村・都道府県レベルより大きい国レベルの検討・対策・対応が必要である。なお、市町村・都道府県の役割は重要である。市町村・都道府県に責任を押しつけても最善の結果は生まれないのである。災害対応庁をつくれば、合理的な災害対応が計れると考える。

運転を止めても原発の使用済み核燃料や高濃度を含め放射性廃棄物は存在する。どのような体制でどう管理するのか、リスクは残り続ける。災害リスクは政治家に行くのではない。国民に行くのである。原子力災害を含め全ての災害は、国民に対するリスクである。

NHKは、このWebページで、原発運転延長との題で、様々な論点を述べている。原発運転延長が議論されるなら、その議論の中で、原発事故対応や政府の組織・権限のあり方、事業者の解体・再編を含めた合理的な仕組み構築を含めた検討をすべきと考える。

| | コメント (0)

2022年8月 3日 (水)

何~これー オリンピック強化費なの

AOKI側が「オリンピック強化費」として電通の子会社に2億5000万円を支払って、そのうちの2億3000万円が高橋元理事の会社に渡り、そこから数千万円は協賛金として日本馬術連盟と日本セーリング連盟に送られたと書いてあります。

テレ朝NEWS 8月2日 「オリンピック強化費」が高級ステーキ店の赤字補填に… 組織委元理事と電通の関係

どういう連中なんだろうと思います。

| | コメント (0)

2022年7月21日 (木)

高橋治之以外にも悪人は存在するのだろう

次のニュースからの発想です。

日経 7月20日 4500万円の趣旨焦点 AOKI、五輪組織委元理事に提供

オリンピック組織委員会の理事となり、4500万円の賄賂を受け取り、その見返りに大会エンブレムが入った公式ウエアなどを一般向けに販売できるようにしてやる。悪人の典型のように思える。

何故、こんな悪人をオリンピック組織委員会の理事に任命したのだと、そちらの追及もすべきと考える。

なお、この男の悪人稼業は、AOKIHDとの関係にとどまらない。この2020年3月31日のREUTERSの記事によれば、組織委員会は8.9億円という大金をこの男に支払っている。過去にこんなブログを書いたこともあるが、オリンピックとは、賄賂や不正が一杯の伏魔殿のようなものなので、悪人は一杯いるのだろう。もしかしたら、高橋治之なんてチンピラなのだろうか?

| | コメント (0)

2022年7月 9日 (土)

安倍晋三元首相銃撃事件から思う銃規制

安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件は、まさかと思う衝撃の事件であった。次のニュースにもあるが使用した銃は手製の銃とのこと。

日経 7月9日 安倍元首相の死因は失血死 司法解剖終え、遺体は東京へ

銃の規制が厳しい日本では起こるとは思っていなかった事件である。殺傷能力を持つ銃が手製で簡単に作ることができるということを示している事件と思う。戦前のテロ社会のようになるとは思わないが、理由のいかんを問わず、他人を殺すことは正当化されない。

どのようにして今回のような事件を防止するかは、やはり銃規制しかないように思う。犯人は、どのような銃を使用したのか、爆薬はどうしたのか、銃弾はどうしたのか等を含め様々なことが分かれば規制に対する方策も見えてくるのではと思うのだが。

次の図は警察庁の銃器発砲事件の発生状況(これ )からであるが、令和3年において発砲事件10件のうち8件が暴力団等の関係であった。これまでとは違った分野の銃規制・取り締まりについても取り組んでいく必要があると考えた。

Gun20220709

| | コメント (0)

2022年7月 3日 (日)

原子力発電をどう考えるべきか

1)最高裁6月17日判決

最高裁は、6月17日に東京電力福島第1原発事故の避難者らに対して国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を認めなかった。

判決文は、ここここにありますが、国会賠償とは、どのような場合に認められるのか、考えさせられる。1条1項の条文は「公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは」となっており、曖昧である。福島第1原発の被害者補償は、政府が東京電力に資金を供与し、その資金で避難者・被害者補償を行うという方法が採られている。裁判で争っても、被害者が東電に加えて国からも賠償金を受け取れるとは考えにくいと思う。金額が十分かという金額面については、別次元のこととする。

菅野博之裁判官は、補足意見として次の様に述べておられる部分がある。

私は、基本的には、原子力発電は、リスクもあるものの、エネルギー政策、科学技術振興政策等のため必要なものとして、国を挙げて推進したものであって、各電力会社は、いわばその国策に従い、関係法令(「原子力基本法」、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」、「電気事業法」、「発電用原子力設備に関する技術基準を定める省令」等)の下、発電用原子炉の設置の許可を受け、国の定める諸基準に従って原子力発電所を建設し、発電用原子炉を維持していたのであるから、本件事故のような大規模な災害が生じた場合は、電力会社以上に国がその結果を引き受けるべきであり、本来は、国が、過失の有無等に関係なく、被害者の救済における最大の責任を担うべきと考える。国策として、法令の下で原子力発電事業が行われてきた以上、これによる大規模災害については、被害者となってしまった特定の人達にのみ負担をしわ寄せするのではなく、損失補償の考え方に準じ、国が補償の任を担うべきであり、それは結局、電力の受益者であって国の実体をなす我々国民が広く補償を分担することになると考える。
だからこそ、これに近い仕組みとして、原子力損害の賠償に関する法律が設けられており、原子力損害については、・・・

私もこのような考えである。原子力発電所とは原爆の兄弟・姉妹である。核分裂という全く同じ物理現象を利用する。核分裂とは熱エネルギーと放射線を発する放射性物質を生み出す。極めて危険であり、人に有害な反応である。しかし、莫大なエネルギーが取り出せることから、核分裂反応をうまくコントロールし、放射性物質を閉じ込めることができれば魅力的というか、莫大な富をもたらす可能性がある。

原子力発電所を建設し、運転して、電力を得るかどうかは、人間が決めれば良い。危険として、やめるのか。やるなら、どのようにしてコントロールしつつやるのかである。やるばあいは、規制について強制力を持ってやらねば恐ろしい。有効な法の下で実施する必要があると考えれば、法を制定できる国単位での実施しかないだろうと思う。

2)原発に関する最近の国際動向

世界的な温室効果ガス排出削減への動きに加えて、ロシアによるウクライナ侵略以後高まったオイル・ガス供給不安により原発建設が脚光を浴びつつあると思っている。日本であまり報道されなかったと思うが、岸田総理がロンドンで5月5日に行った基調講演で、原発について次の様に述べている部分がある。(首相官邸のこのページ

「喫緊の課題である気候変動問題に加え、世界全体でのエネルギーの脱ロシアに貢献するためにも、再エネに加え、安全を確保した原子炉の有効活用を図ります。」

原発の世界的な見直し動向に対して、日本がどうしてもしなければいけないことがあると思う。それは、福島第一原発で放射性物質の拡散を防ぐことができなかったのかである。津波で非常用電源が壊れた。しかし、緊急で電源を準備できなかったのかである。もし、かくかくしかじかのことを実施していれば、シナリオは、どう変わっていたのか。折角福島原発事故による放射性物質拡散を経験したのである。日本しか実施できない研究であると思う。

3)参議院選挙での各党の原発政策

参議院選挙での各党の原発政策を見てみた結果である。

自由民主党

政策パンフレット

“脱炭素”を成長の起爆剤にする(13ページ)

安全が確認された原子力の最大限の活用を図ります。

立憲民主党

政策を知る

環境・エネルギー

原子力発電所の新増設は認めません。廃炉作業を国の管理下に置いて実施する体制を構築します。

公明党

マニフェスト2022

経済の成長と雇用・所得の拡大(33ページ)

原子力発電に関する取り組みについては、国民の理解と協力を得ることが大前提であり、説明会などを通じた情報提供・公開の徹底等を図りつつ、国が責任を持って進めます。

日本維新の会

日本維新の会維新八策1.基本政策2021

原子力政策(22ページ)

小型高速炉など次世代原子炉の研究を強化・継続します。

日本共産党

2022年参議院選挙政策

(4)気候危機の打開――原発即時ゼロ、石炭火力からの撤退。純国産の再エネ(14ページ)

即時原発ゼロ、石炭火力からの計画的撤退をすすめ、2030年度に原発と石炭火力の発電量はゼロとします。

国民民主党

政策パンフレット

4 自分の国は自分で守る(12ページ)

法令に基づく安全基準を満たした原子力発電所は再稼働するとともに、次世代炉等へのリプレース(建て替え)を行います。

原子力についての政策のみで投票先を決める人は少ないと思う。また、原発なんて、政治家が口を出してはいけない分野であるとも思う。しかし、法律の関与なしの野放し状態で進めることはできない。原子力とはプロメテウスの火である。なくなりはしないのだろうな。そう考えると、バカには関与させたくない。これからの政治・民主主義においては、正しい意見を尊重する議員を選出すると同時に、そのような人を育て、且つ役所や企業に於いても、そのような人が活躍する社会を築いていかねばならないと思う。

| | コメント (0)

2021年11月30日 (火)

ペシャワール会の中村哲さん殺害の理由

中村哲氏は1946年福岡県生まれで九州大学医学部卒業の医師。国内の病院勤務を経て、1984年パキスタンのペシャワールでのミッション病院ハンセン病棟に赴任し、パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療、また難民キャンプでのアフガン難民の一般診療に携わり、1989年よりアフガニスタンにも活動を拡げ、さらには水の重要性から飲料水・灌漑用井戸事業を始められ、2003年から農村復興のための農業用水利事業も手がけられた。途上国支援の援助活動家として絶賛されるべき活動をされていた。そんな中村哲氏が2019年12月4日に殺害されて2年近くとなる。

朝日新聞が次の記事を掲載していた。

朝日 11月29日 中村哲さん殺害、1カ月前に察知 首謀者や襲撃方法、警察は態勢不備 元州知事が証言

有料記事部分であると思うが、紙の記事で続く部分を読むと次の文章がある。

Photo_20211130004701

中村氏の灌漑事業がパキスタンに流れ込む川の上流での事業であることから下流では減水の懸念があり、そのことが殺害の原因となっている可能性がある複雑さを述べている。

Jalalabad

上の地図で中央の赤丸が中村氏が殺害されたアフガニスタンのナンガルハル州ジャララーバードである。そのすぐ右上の青点が灌漑事業のプロジェクト地点である。地図の下中央で南に流れるのがインダス川である。また、ジャララーバードはアフガニスタンであるが、パキスタンとの国境に極めて近いことも分かる。

中村氏が携わった灌漑事業において取水をしているのはクナール川であり、ジャララーバードを流れるカブール川にジャララーバード から約8km下流で合流し、パキスタンに流れる。そしてインダス川となる。但し、中村氏の灌漑事業が、どれほどパキスタンでの河川水減少につながったかは調査しないと分からない。ほとんど影響はないと思う。なお、 降水量の少ない地域である。アフガニスタンのカブールで年間300mm程度。パキスタンのペシャワールで500mm程度である。例え、一滴でも水が少なくなれば、盗まれたとの感覚になってしまうことはあり得る。

水は貴重である。上流で取水しても、下流への配慮は必要である。下流での水害を防止するために上流でダムを建設することもある。ダムを含め河川関係の土木その他の設備は多くの配慮を必要とする。中村氏はクナール川の取水設備として、 福岡県朝倉市の山田堰を参考として、山田堰のような取水堰を建設された。環境に優しい、すばらしい農業取水堰である。参考世界が注目、水を治める江戸の知恵 福岡・山田堰(日経電子版)

| | コメント (0)

2021年11月11日 (木)

夫婦別姓

11月10日に特別国会が召集され岸田氏が総理大臣に指名され、衆議院自民絶対安定多数と言う国会がはじまった。夫婦別姓に関する立法がどうなるかも、この岸田政権の一つの注目点と思う。

1) 選択的夫婦別姓へと法改正に進むのか

岸田内閣の期間中の立法となるかは、不明であるが、立法の方向に進んで行くと思う。理由は、10月18日の日本記者クラブでの9党首討論会で、司会者からの「来年の通常国会に選択的夫婦別姓法案を提出することについて賛成者は挙手を御願いします。」との要請に対して、与野党の9党首の中で岸田氏以外の8党首は手を上げたのである。(これに関するHuffpostの記事はここ また日本記者クラブの9党党首討論会 会見リポート にあるYouTube会見動画では開始から1時間55分経過したあたり )

9党首のうちN党以外の党は10月31日の衆議院選挙で議席を獲得したのであり、また自民党内においても河野太郎氏や野田聖子氏のように夫婦別姓導入賛成者もいる。党有志議員連盟に岸田氏自身名前を連ねたことがある。来年の通常国会での立法は不明であるが、来年の参議院選の動きによっては、選択的夫婦別姓の立法が進むと思う。まさか、参議院選で10月18日の9党首討論会から違った方向に各党は転換しないだろうから、参議院選での各党間の論争にも興味がわく。

2) 2021年6月23日最高裁大法廷の判断

最高裁の判断はここ にあり、全49ページの最高裁の判決としては非常に長い。もっとも、2ページの後半以降は補足意見、意見、反対意見が述べられているのであり、興味深い内容である。以下は、私の拙い纏めであり、最高裁の文書を読んで頂きたいと思う。

多数意見
民法750条の「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」が憲法24条に違反して無効であるといえないとした。夫婦の氏についてどのような制度を採るのかは立法の政策課題として相当であり国会で論ぜられ,判断されるべき事柄であり、夫婦同氏制を定める現行法の規定が憲法24条に違反して無効であるか否かという問題は次元が異なる。

深山卓也,岡村和美,長嶺安政裁判官の補足意見
選択的夫婦別氏制の採否を含む夫婦の氏に関する法制度については,子の氏や戸籍の編製等を規律する関連制度を含め,これを国民的議論,すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ,事の性格にふさわしい解決というべきであり国会において,この問題をめぐる国民の様々な意見や社会の状況の変化等を十分に踏まえた真摯な議論がされることを期待するものである。

三浦守裁判官 の意見
法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことは,憲法24条に違反すると考える。違憲の問題があるとしても,夫婦別氏の選択肢を設けるには,子の氏に関する規律をも踏まえ,戸籍編製の在り方という制度の基本を見直す必要がある。
その上で,夫婦の氏に関する当事者の選択を確認して戸籍事務を行うため,届書の記載事項を定めるとともに,その届出に基づいて行うべき戸籍事務(同法13条,14条,16条等参照)等について定める必要がある。国会においては,速やかに,これらを含む法制度全体について必要な立法措置が講じられなければならない。こうした措置が講じられていない以上,民法上等の関連規定の内容及び性質という点からみても,法制度全体としてみても,法の定めがないまま,解釈によって,夫婦別氏の選択肢に関する規範が存在するということはできない。従い、抗告人らの申立てを却下すべきものとした原審の判断は,結論において是認することができる。

夫婦別氏の選択肢を設けていないことは,憲法24条に違反すると考える理由は、

1. 氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,婚姻の際に氏を改めることは,個人の特定,識別の阻害により,その前後を通じた信用や評価を著しく損なうだけでなく,個人の人格の象徴を喪失する感情をもたらすなど,重大な不利益を生じさせ得ることは明らかである。したがって,婚姻の際に婚姻前の氏を維持することに係る利益は,それが憲法上の権利として保障されるか否かの点は措くとしても,個人の重要な人格的利益ということができる。
2. 憲法24条2項の「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」は立法に当たり,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきものとして,その裁量の限界を画しており,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害する立法措置等を講ずることは許されない。
3. 民法750条の「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」とする規定は婚姻の際にその氏を定めることを前提とし、他に選択肢を設けていない。婚姻の際に氏の変更を望まない当事者にとって,その氏の維持に係る人格的利益を放棄しなければ婚姻をすることができないことは,法制度の内容に意に沿わないところがあるか否かの問題ではなく,重要な法的利益を失うか否かの問題である。これは,婚姻をするかどうかについての自由な意思決定を制約するといわざるを得ない。
4 夫婦同氏制についての趣旨,目的には,疑問がある。
* 婚姻及び家族に関する法制度は,多様化する現実社会から離れ,およそ例外を許さないことの合理的な根拠を説明することが難しくなっているといわざるを得ない。
* 同一の氏を称することにより家族の一員であることを実感する意義や家族の一体性を考慮するにしても,このような実感等は,何よりも,種々の困難を伴う日常生活の中で,相互の信頼とそれぞれの努力の積み重ねによって獲得されるところが大きいと考えられ,各家族の実情に応じ,その構成員の意思に委ねることができ,むしろそれがふさわしい性質のものであって,家族の在り方の多様化を前提に,夫婦同氏制の例外をおよそ許さないことの合理性を説明し得るものではない。
* 婚姻という個人の幸福追求に関し重要な意義を有する意思決定について,二人のうち一人が,重要な人格的利益を放棄することを要件として,その例外を許さないことは,個人の尊厳の要請に照らし,自由な意思決定に対し実質的な制約を課すものといわざるを得ない。
夫婦同氏制は,現実の問題として,明らかに女性に不利益を与える効果を伴っており,両性の実質的平等という点で著しい不均衡が生じている。婚姻の際に氏の変更を望まない女性にとって,婚姻の自由の制約は,より強制に近い負担となっているといわざるを得ない。
国際的な動向をみると,昭和60年に我が国も批准した「女子差別撤廃条約」は,締約国に対し,いわゆる間接差別を含め,女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃を義務付け,自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利並びに姓を選択する権利を含む夫及び妻の同一の個人的権利について,女性に対する差別の撤廃を義務付けている(16条1項(b),(g))。そして,女子差別撤廃委員会は,我が国の定期報告に関する最終見解において,繰り返し,女性が婚姻前の姓を使用し続けられるように法律の規定を改正することを勧告している。現民法制定の昭和22年当時は,夫婦が同一の姓を称する制度を定める国も少なくなかったが,現在,同条約に加盟する国で,夫婦に同一の姓を義務付ける制度を採っている国は,我が国のほかには見当たらない。(ブログ主による注:外務省によれば、締約国数189。)

宮崎裕子、宇賀克也裁判官 の反対意見

憲法24条1項の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」に違反する民法や戸籍法の規定は憲法適合性を欠くのであり、「夫は夫の氏,妻は妻の氏を称する」旨を記載し届けられた婚姻届も受理されるべきである。

1 民法によって定められた婚姻制度上の婚姻は,憲法適合性を欠く制約を除外した内容でなければならないと考える。夫婦同氏を婚姻届の受理要件とすることは、この制約に該当する。
2 氏を構成要素の一つとする氏名(名前)が有する高度の個人識別機能の一側面として,当該個人自身においても,その者の人間としての人格的,自律的な営みによって確立される人格の同定機能を果たす結果,アイデンティティの象徴となり人格の一部になっていることを指すものであり、人格権に含まれるもの個人の尊重,個人の尊厳の基盤を成す個人の人格の一内容に関わる権利であるから,憲法13条により保障されるものと考えられる。この権利を本人の自由な意思による同意なく法律によって喪失させることは,公共の福祉による制限として正当性があるといえない限り,この権利に対する不当な侵害に当たる。
3 夫婦同氏制を定める民法750条を含む本件各規定を,当事者双方が生来の氏を変更しないことを希望する場合に適用して単一の氏の記載(夫婦同氏)があることを婚姻届の受理要件とし,もって夫婦同氏を婚姻成立の要件とすることは,当事者の婚姻をするについての意思決定に対する不当な国家介入に当たる。個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律とはいえず,立法裁量を逸脱しており,違憲といわざるを得ない。
4 国会においては,全ての国民が婚姻をするについて自由かつ平等な意思決定をすることができるよう確保し,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律の規定とすべく,本件各規定を改正するとともに,別氏を希望する夫婦についても,子の利益を確保し,適切な公証機能を確保するために,関連規定の改正を速やかに行うことが求められる。

草野耕一裁判官の反対意見

夫婦同氏制を定めた民法や戸籍法の規定は憲法24条に違反するといわざるを得ないがゆえに,婚姻届の受理を命ずるべきであると考える。その理由は,以下のとおりである。
1 選択的夫婦別氏制の導入によって向上する福利が同制度の導入によって減少する福利よりもはるかに大きいことが明白であれば,当該制度を導入しないことは余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり,立法裁量の範囲を超え合理性を欠いているといわざるを得ず,憲法24条に違反すると断ずべきである。
2 選択的夫婦別氏制の導入によって向上する国民の福利と,それによって減少する国民の福利とを分析し,衡量すると;
* 慣れ親しんできた氏に対して強い愛着を抱く者は社会に多数いるものと思われる。これらの者にとっては,たとえ婚姻のためといえども氏の変更を強制されることは少なからぬ福利の減少となるであろう。氏の継続的使用を阻まれることが社会生活を営む上で福利の減少をもたらすことは明白であり,共働き化や晩婚化が進む今日において一層深刻な問題となっている。
* 夫婦で同一の氏を称することにより家族の一体感を共有することは福利の向上をもたらす可能性が高い。しかし、選択的夫婦別氏制を導入したとしても夫婦同氏を選択する夫婦も少なからず輩出されるはずであり,夫婦別氏を選択するのは,氏を同じくすることで得られる福利の向上よりも減少の方が大きいと考える夫婦だけであろう。選択的夫婦別氏制を採用することによって婚姻両当事者の福利の総和が増大することはあっても減少することはあり得ないはずである
* 夫婦別氏を選択した夫婦の間に生まれる子の福利に関して,子は,親とは別の人格を有する法主体であるにもかかわらず,親が別氏とすることを選択したことによって生ずる帰結を自らの同意なく受け入れなければならなくなる。親の一方が氏を異にすることが,子にとって家族の一体感の減少など一定の福利の減少をもたらすことは否定し難い事実であろう。しかしながら,夫婦別氏とすることが子にもたらす福利の減少の多くは,夫婦同氏が社会のスタンダード(標準)となっていることを前提とするものである。選択的夫婦別氏制が導入され氏を異にする夫婦が世に多数輩出されるようになれば,夫婦別氏とすることが子の福利に及ぼす影響はかなりの程度減少するに違いない。
* 夫婦が同氏となれば,氏を変えない婚姻当事者の親族は,相手方婚姻当事者と新たに氏を共有することによって同人との間の一体感を強化することができる。しかしながら,夫婦同氏とすることは,氏を変更する婚姻当事者がその者の親族との間に育んできた一体感を減少させる機能もあり,そうである以上,選択的夫婦別氏制の導入が婚姻両当事者の親族の福利の総和を減少させるとは到底いえない。
* 夫婦同氏制が長きにわたって維持されてきた制度であることから,夫婦同氏を我が国の「麗しき慣習」として残したいと感じている人々は存在する。しかしながら,選択的夫婦別氏制を導入したからといって夫婦を同氏とする伝統が廃れるとは限らない。もし多くの国民が夫婦を同氏とすることが我が国の麗しき慣習であると考えるのであれば,今後ともその伝統は存続する可能性が高い。伝統的文化が今後どのような消長を来すのかは最終的には社会のダイナミズムがもたらす帰結に委ねられるべきであり,その存続を法の力で強制することは,我が国の憲法秩序にかなう営みとはいい難い。
* 選択的夫婦別氏制の実施を円滑に行うためには戸籍法の規定に改正を加えることが必要であり,その内容については法技術的に詰めるべき部分が残されている。しかしながら,選択的夫婦別氏制の導入に伴い改正がされたとしても,戸籍制度が国民の福利のために果たしている諸機能に支障が生ずることはないであろう。
3 選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は,同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白であり,かつ,減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえない。そうである以上,選択的夫婦別氏制を導入しないことは,余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり,もはや国会の立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ない。

3) 歴史

江戸時代において武士や公家以外の農民や町民(工・商)は、名字を持つことを公式には許されなかった。人口割合では90%が農・工・商であったので、90%の人は名字がなかった。では、名字があった武士はどうであったかというと、女性は結婚しても実家の姓を名乗っていた。

明治になり、1870(明治3)年9月19日に太政官布告第608号「平民苗字許可令」が公布され、名字(氏)の使用が許可されることとなった(参考 )。そして、1875(明治8)年2月13日に苗字の使用を義務づける「苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に苗字を名乗ることを義務づけました。(参考 )そして、明治8年11月9日の内務省の伺いに対して明治9年3月17日に太政官指令として婚姻後も出生時の使うようと次の様に 回答している。

「伺いの件につき、婦女は嫁しても、なお出生時の氏を用いるべきである。」(これ  国会図書館デジタルコレクション 法令全書. 明治9年 1453ページ

1898年(明治31年)の法律第9号により民法(第四編)が交付され、これが旧民法と呼ばれている民法である。(国立公文書館のWebはここ )家という考え方を基礎としており、家と家長という概念を用いている。

732条 戸主の親族にして其の家にある者及び其の配偶者はこれを家族とす。
746条 戸主及び家族は其の家の氏を称す。

婚姻の結果、夫の家に入り、その家の氏を名乗ることが法律で決められたのである。

Photo_20211111003901

しかし、考えれば、今でも、そんな風習が残っている雰囲気はある。結婚式の看板に〇〇家 ✕✕家結婚式場と書いてあったり、結婚式の式辞で来賓より「〇〇家✕✕家のご親族の皆様に心よりお慶び申し上げます」なんてのが、あったりする。憲法24条は、どうなっているのかと思ってしまう。

1947年に新民法が成立した。旧民法の時代は49年しかなかった。新民法成立から74年経過している。ところが、たった49年しか施行されなかった旧民法の考え方を、日本の伝統であると考えてしまう人がいるが、それは誤解である。

4)  旧姓の使用

現在は、国の行政機関、地方公共団体、民間企業等ほとんどの団体で、職員等から申し出があった場合、旧姓の使用を認めている。しかし、職場での呼称等幾つかのケースについてである。正式文書は、本名でなければならない。源泉徴収票は新姓となり、印鑑証明が必要な書類も当然で、戸籍名=住民票名(新姓)である。銀行口座の名義もこの全国銀行協会 の説明のように、旧姓のままで放置しておくと不都合なことが生じる恐れもある。

マイナンバーカードや住民票、運転免許証は旧姓併記が可能であるが、併記であり、新姓が記載されるのであり、手続きは必要である。医師免許に関しては、免許証の書換義務がないので、旧姓のままでも良いが、保育士、介護福祉士は名義変更が必要。

基本的には、契約に関すること、銀行預金・証券に関すること、税金に関することは、戸籍名と一致していないとならない。マネーロンダリングや脱税そして不正取引のチェックにおいて抜け穴を生じさせる恐れがあれば、そのための配慮は必要である。悪事をする行為者は、思いつかないこともする。取り締まる仕組みが複雑化し社会的な負担が増加する場合は、その負担と便益の比較での判断が重要である。

法に基づかない旧姓の使用は解決に結びつく事項は少ない。根本的な解決にはならないと考える。

5) 私の考え

夫婦別姓に考えを巡らせると、愛、結婚、自由、基本的人権について思考を展開さざるを得なくなった。旧民法で謳われた家制度にノスタルジーを感じ、家制度による家長支配での家族が正しい姿と思い、選択的夫婦別姓に反対する人も存在する。思えば、戦後の高度成長の基盤には旧民法の家制度が少し変形された新民法の新家制度があったのかも知れない。

しかし、今や新民法の新家制度も維持することには無理がある。 祖父母との同居はまれであり、老人夫婦・老人単身世帯、共働き、家庭外保育が一般化している。旧家制度の観点では悪い現象なのかも知れない。しかし、悪いことではない。自らの意思とは限らないが、幸福追求のためには変化し、対応していかないとならない。そこに旧家制度の価値観で話をされると、バカと言いたくなる。

日本の社会をよりよくするためには、選択的夫婦別姓はどうしても必要であり、早期に法改正がなされることを望む。

(時間があれば、2で掲げた最高裁の決定文書を読まれることをお勧めします。)

| | コメント (0)

2021年7月11日 (日)

山林、傾斜地は気を付けねばならない

熱海の土砂崩れは、多くの問題点を浮き彫りにしている。今後のための多面的な分析が欠かせない。今回参考にしたのは、次の朝日新聞の記事です。(Web版は会員記事であるが、会員でなくても登録で読める。)

朝日 7月10日 盛り土、見過ごされた危険 県「耐えられない工法」 熱海の現場、高さ県条例の3倍超

この朝日の記事には「122戸もの住居が被害を被った。」とありこのNHK7月10日のニュース では 「完全に破壊されたり流出したりした建物は47棟とみられる」とある。死亡・行方不明社の数は9人と19人でしょうか(この7月10日NHKニュース )。

大きな被害を引き起こした責任は誰にあるのでしょうか。またこの7月6日NHKニュース では、 河合弘之弁護士がインタビューに答えて、「崩れた場所については傾斜で段になった畑だと認識していたものの、盛り土があることや崩れる危険性については認識していなかった」なんて通用するのでしょうか?そもそもいったい誰が、所有者なのかも明確に報道されていない。7月6日NHK報道は河合弘之弁護士は所有者の代理人であり、所有者は 個人とのこと。しかし、7月10日朝日新聞の記事は、「建設会社を傘下に持つ東京都内の持ち株会社のオーナーが取得し、現在まで所有し続けている。」とある。弁護士が嘘をついているのか、確認もせずに発言しているのか、朝日新聞の取材能力が低いのか、真相は不明である。

土砂崩れで大被害を発生させていても、逃げっぱなしの土地所有者である。明確に言えることは、土地所有者には損害賠償責任があるということである。即ち、傾斜地に関しては崩落の危険性を認識し、所有者は常にその対策を実施すべきである。前所有者が問題ないと述べるなら、土地購入にあたり、特約も付して契約締結すべきである。社会の構成員として個人も企業も他人の財産を尊重すべきです。憲法29条「財産権は、これを侵してはならない。」は重要と考えます。

| | コメント (0)

2021年7月 7日 (水)

熱海市土石流発生起点所有者責任

熱海市土石流発生の直接的原因は大降雨であった。起因となったと思われる不適切な土地造成が行われたと思われる地点の所有者代理人は、次のTBSニュースによれば「造成地とは知らずに土地を購入していて、その後に行った周辺開発も崩落の原因ではない」と発言している。

TBSニュース 7月6日 「造成地と知らずに土地を購入」、熱海 土石流

この代理人河合弘之弁護士のインタビュー動画が、NHK報道(これ )ではあった。所有者は地元熱海市の男性とのことだが「崩れた場所については傾斜で段になった畑だと認識していたものの、盛り土があることや崩れる危険性については認識していなかった」なんて主張が通るのかしらと思う。多くの死者や行方不明者を出し、多大な財産を壊した。責任賠償が問われなければならない。

TBSニュースによれば、太陽光発電設備の所有者も同じと言うことである。Google Earthに2011年の写真があった。ピンクの線で囲った部分が土石流発生起点である。

Izuyama2021a

| | コメント (0)

より以前の記事一覧