日航機御巣鷹山墜落(その3)企業ガバナンス
日航機御巣鷹山墜落に関してその1 、その2 と書いたのですが、企業ガバナンスの観点も忘れてはならないとして、今回は「その3」を書くことにした。 なお、日本航空株式会社(以下「日航」と略す)について、私は乗客として搭乗したことはあるが、日航の企業統治に関してそれほど多くを知っているわけではなく、推定・推察が入らざるを得ないことを申し上げます。 論じたいことは、企業ガバナンスに関してであり、全ての企業に共通であり、実は日航のガバナンスとは日本企業のガバナンスに距通する点が多くあると認識します。
1)日航とは
日航とは、日本国内線の民間定期航空輸送事業を行う会社として1951年に株式会社として設立された。 日本の航空関係の産業・事業は終戦の結果、 禁止され、航空輸送部門の再出発として日航は発足した。 但し、現日航は、1951年に設立されたこの会社ではなく、1953年8月に制定された日本航空株式会社法により設立された株式会社(新日航)なのである。 新日航の設立に伴い、旧日航は新日航に営業権を譲渡し、旧日航株主は新日航の株式を取得した。
終戦からの復興が関係する複雑怪奇に思える歴史であり、航空輸送政策も関係している。 新日航は、自社のためだけに制定された日本航空株式会社法(日航法)により、優遇を受けた面はあるが、同時に縛られた面も多かった。 日航法は国際線事業を日航の事業に含めた。 代表取締役の選任、社債募集や長期借入、航空機等の譲渡や担保提供は大臣認可となった。 設立時の資本金は20億円で、政府出資10億円と旧日航株主10億円である。
日航法は、航空政策を定めた法でもある。 即ち、航空輸送は政府と民間出資による株式会社の新日航が展開し、政府はそれを支援するとともに、行政面での管理を行い、重要事項に関しての許諾を行う。 日本は、1945年9月に連合国と降伏文書に調印、1951年サンフランシスコ平和条約に調印、そして1956年12月に国連加盟を果たした。 日本は、その復興過程において、世界に門戸を開き、世界貿易による発展を目指した。 当時の国際航空輸送では、航空機の相互乗り入れが互いのナショナル・フラッグ会社による実施の場合があった。 日航は、国際線航空輸送を実施するナショナル・フラッグ会社となり、同時に政府もこれを支援し、利用・活用した。
1980年代になり国鉄、電電公社の民営化とともに、日航の民営化が検討、実施されていった。 日航法は1987年11月に廃止され、政府保有株式も1988年3月までに売却され、日航は通常の民間企業となった。
2) 1978年6月2日大阪空港しりもち事故修理に関するガバナンスを考える
2-1) 事故修理
事故の修理箇所は、9月15日のブログで、事故報告書にあった次の図を示したが、①から⑮で示した部分(黒太線箇所)が損傷部分であり、修理を要したのである。

その内容は、次の通りである。 (事故報告書245ぺーじより)
事故発生は6月2日であった。 6月10日に日航はボーイングと修理契約を締結した。 仮修理と整備の後、6月15日に大阪より羽田に空輸し、6月17日より日航の格納庫内で修理が実施され、7月11日に終了し、12日に修理検査完了となった。
上図が機体のイメージであり、重心位置は、主翼の浮力中心より前方にあり、水平尾翼は下方向に機体尾部を押し下げている状態で飛行している。 水平尾翼の後端部分は昇降舵(Elevator)であり、機体の上昇度、下降度を制御している。 更には、乱気流を通過する際には、上下垂直方向の安定飛行での役割は大きく、上下に大きな力を受ける。
一番上に掲げた図は、大阪空港しりもち事故で損傷を受けた部分を太線で示した図であり、水平・垂直尾翼がある機体最後部の下側外板やフレームが損傷したことが分かる。
2-2)ボーイングによる修理
飛行機の後部は機体の安定的飛行並びに制御・操縦に極めて重要であり、しかも大きな外力を受ける部分である。 ボーイングによる修理以外に考えられない。 修理契約は、ボーイングが出した条件を全て受け入れざるを得なかったと思う。 一方、6月2日事故発生で、6月10日に修理契約の締結、6月15日羽田への空輸、6月17日より修理開始というのは、事故発生から修理開始まで半月(15日間)であり、急すぎないかと言う疑問である。
2-3)ガバナンス疑問A
事故から半月で修理開始は、急ぎすぎていて、日航のガバナンスは大丈夫だったのか? 事故から8日後に修理契約を締結しているが、ボーイングは、契約前に損傷箇所を調査し、修理の内容や方法を検討した上で、日航に見積もりを提出したはずである。8日間で、できたとしか考えようがないが、私のような素人には、損傷箇所の調査だけで、大阪か羽田に出張してきたボーイング専門家が損傷箇所の調査、場合によっては出張者と本社との意見交換、修理方法の立案等多くの作業や検討が必要と思う。 8日間というのは、相当無理をしたスケジュールではなかったかと思う。
もし、日航が無理に修理を急がせたならばという、禁じられた疑問が浮かんでくる。 当時、全日空は海外便はチャーターのみであり、ロッキードL1011の運行開始は4年前の1974年であった。 全日空の初海外便グアムは1986年であり、全日空がアメリカン航空と業務提携をしたのも1986年である。 全日空との競争は余り関係なかったのかも知れないが、国内トップの航空会社としての誇りや自尊心を保っておきたかった心情は日航関係者にはあったと思う。 事故機が長期間運航できない状態を一刻も早く脱したいというのが会社のトップを含め全員の気持ちであったと思う。 それは、事故修理に関係した社員に大きなプレッシャーを与えたと思う。 少々のことは、見逃しても、早く修理を終えて、運航再開を目指す。
どのような企業にも共通する課題であり、潜在的リスクであると思う。 他社のことと笑って済ませられない
2-3)ガバナンス疑問B
機体強度を確保するための外板やフレーム等の損傷部修理については注意を払ったが、圧力隔壁についてはそれほど重要視しなかった可能性である。 なお、事故調査報告書には、圧力隔壁に関して次の記述がある。
L18接続部とは隔壁下半分の航空機尾部から見て左側であり、この部分が寸足らずであることが判明し、継ぎ板を追加挿入して間に合わせようという対策案が提案されたとの記載である。 この提案は2列リベットでの補修であったが実際の修理は1列リベットとなり、御巣鷹山墜落になる圧力隔壁破裂となってしまった。 但し、1列リベットでも、実際に1.3気圧ほどの規定値に客室を加圧して空気漏れを調べる検査が7月9日に実施されており、検査合格であった。
何故1列リベットとなってしまったのか不明であるが、あえて理由を考えれば、隔壁修理は6月26日に実施された補修であり、急いで修理を済ませることを日航が要請した可能性はないだろうかと思ってしまう。 修理が完了すると、1列リベットでも外観はほぼ2列リベットに見える修理である。 あえて勘ぐれば、日航が短期間修理を要求し、ボーイング修理チームは、それに応えようとした。
この時の修理と同時に、日航はこの747SR-100型JA8119の5C整備(機体の第5回目の大規模メンテナンス)を実施している。 従い、ボーイング修理チームと同時に日航メンテナンス・スチームが作業をしていた。 1列リベットによる補修は、ボーイング修理チームのなかの一人だけが実施したのか、チーム内で共有されていたのか、また日航側の誰もこの補修の実態を把握していた可能性は、どうなのかという疑問である。
メーカー側とユーザー側の技術格差は大きいのであるが、日航もボーイングの修理作業を監視する権利はあったはず。 そこまで、修理契約で禁じてはいないはずである。 疑問は解けないが、日航の格納庫内で実施された修理である。 修理内容を把握し、疑問があれば問いただす権利を日航は持っていたと信じる。 1列リベットにせざるを得ない特別な理由が存在し、このことも日航は把握し、現場では承認していた可能性も全くないとは言い切れないと思う。 但し、この解明は現時点では不可能であり、将来の教訓とせざるを得ないが。
2-4)ガバナンス疑問C
企業ガバナンスの観点を考えてみたい。 トップ経営者を初め日航社員全員が利益追求にとらわれて、企業の意義という観点をおろそかにしてしまった面が、なかったかについてである。
年間飛行時間数を考えてみる。 B747SR-100JA-8119は、C整備を1984年12月5日完了しており、事故日の8月12日出発まで250日間の飛行時間は1700時間であった。 年間365日に換算すると2500時間に相当し、乗客・貨物輸送を行った営業飛行時間数は90%以上と思うが、90%と仮定して2250時間となる。 1時間あたりの収入について500席の65%を見込み、乗客単価を15,000円/時間として年間収入を考えると118億円となる。
年間収入118億円に要した費用として燃料費と乗務員の乗務手当を直接費用として金額を推定する。 B747SRの燃料消費量を14.5KL/時間として、2500時間で36,250KLの燃料消費となる。 1KLが35,000円であったとすれば、燃料費金額は年間12億7千万円となる。
運行乗務員の乗務手当を3人x1万円/時間で3万円/時間とし、客室乗務員の乗務手当を12人x5千円/時間で6万円/時間と想定する。 地上走行時間として10%を追加することとし、運行乗務員は2750時間で、客室乗務員は2500時間の90%x1.1倍を考えて2500時間で計算した。 この場合の運航乗務員手当は8250万円で客室乗務員の手当は1億5千万円となり、合計で2億3千万円となった。
結果、年間直接費用は燃料費12億7千万円と乗務員の乗務手当2億3千万円の合計15億円となった。 年間収入を考えると118億円に対する直接変動経費15億円であるなら、ボーイング747SRは年間100億円の収益を生み出してくれる旅客機である。 大阪空港しりもち事故のB747SR-100は少しでも早く運航を再開したいとの希望があって当然であるが、日航関係者にはトップ以下関係者全員に早急な運行再開に向けての強いプレッシャーが働いていたのではと思う。 その結果が、慎重さがあっても良い点に関しての慎重さが失われ、問題点の指摘は方針を覆すと見做すようなムードを醸し出し、企業トップに報告した方針は簡単には変更できないと言うような企業としてのガバナンスに問題があるような点はなかったのだろうかと思う。
大阪空港しりもち事故の1978年は、日本の航空輸送は45/47体制と呼ばれる日航・全日空・東亜での棲み分け体制であり、日航は日航法により設立された株式会社ではあるが、50%株主の政府は誰よりも権限が強かった。 圧力隔壁の1列リベット補修問題は、ボーイングの修理ミスとして片付けではならない航空機運用者・所有者の問題でもあると思うのである。
































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