割り箸事故医療民事裁判判決を読んで
2月22日のエントリーで割り箸事故の東京地裁判決文を紹介し、22日の時点では私も読めていなかったのですが、じっくり読み、そして考えるに、妥当な判決だと思いました。
1) 民事賠償
民事賠償とは、過失により損害を受けた被害者が加害者に対し損害賠償を求めるものです。過失があったのかがポイントであり、あったとするからには、その過失とは何であるかが、明確にされなければならないと考えます。過失とは、通常求められる注意を払い、そのことを実行しなかったことと考えます。
医療裁判であったのですが、判決文においては60ページで、次のように述べられれれいます。
人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は,その業務の性質に照らし,危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(最高裁昭和36年2月16日第一小法廷判決・民集15巻2号244頁参照),この注意義務の基準となるべきものは,診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和57年3月30日第三小法廷判決・集民135号563頁)。
判決は、注意義務を医師は果たしたと判断しました。
綿飴の割り箸をさして、それを子供が自分で抜き取り、意識がある状態で病院に来て、救急車で来たが救急隊員からも、重傷であるとの引継はなかった。判決文で言えば、次の所(66ページ)でしょうか。
本件においては,頭蓋底の骨折を疑わせる髄液の漏出や,頸動静脈損傷等を疑わせる大量の出血,頸静脈孔内の迷走神経,副神経,舌咽神経の損傷に伴う神経学的な障害が生じていたことを認めるに足りる証拠はない。さらに,軟口蓋を刺したとされる割りばしが持参されていないこと,D本人が割りばしを抜いたと告知されていたことを考慮すると,傷の深さは,子供の力でも割りばしを容易に抜去することができる程度にとどまると考えるのが通常である。
CTを取らなかったら医師は過失であると原告は主張しました。でも、その原告は子供についてきていました。でもCTでも割り箸が残っていることは発見不可能なはずです。CTを撮れば全てが割るわけではないし、判決文では、「司法解剖を施術したK医師も,脳を取り出した際に初めて割りばしの存在を確認した」と書いてあります。
医療側に過失があったとは言えないと思います。
2) 刑事裁判
この事件は、医師が業務上過失致死罪で起訴されて一審判決が2006年3月28日にあり無罪にはなっていますが、「診断ミスがあったことは認めた」となっており、スッキリしません。検察は控訴しました。この判決文は探し出せませんでしたので、読売の記事を掲げます。
読売 2006年3月29日 「延命の可能性低い」医師に無罪…割りばし死亡事故
私は、民事の東京地裁の判決文を読んだので、検察は不当であると怒りを感じました。
3) 医療は社会の重要なインフラ
私は、医療は社会の重要なインフラであると思います。医療は空気ではないはずで、人間社会が築き上げてきたものです。それを発展させていかなければならい。崩してはならないはず。過失がないのに、業務上過失致死罪で起訴とは検察は酷いと思います。検察が有罪率を誇りにするなら、過失のない人を起訴すべきでない。正当な行為をしている人を起訴したら、社会悪であると思います。
ここは、検察を責めるだけではなく、悪人でない人を犯罪者にすべきでないと全員が運動すべきなのでしょうか。医療行為をして、犯罪者になるなら、誰も医療を提供しない。医療というインフラを壊すだけのはずです。
民事訴訟は誰もが持つ権利であり、これを制限してはいけない。しかし、前回掲げた「医療過誤の立証なお壁高く」とマスコミが正義はこれだと医療に対する誤解を蔓延させるのも、我々の貴重な医療インフラを壊す行為と思います。
東京地裁の判決は正しい社会を実現するために正義を守ってくれる判決だと思いました。
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