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2008年9月12日 (金)

JR尼崎事故

兵庫県尼崎市で起こった2005年4月の乗客106人と運転士1人の死亡、562人の重軽傷を招いたJR西日本福知山線脱線事故について、兵庫県警が8日、JR西日本の山崎正夫社長(1999年から事故当時を含め現在も代表取締役社長)を含む歴代幹部9人と、死亡した運転士を業務上過失致死傷容疑で神戸地検に書類送検したとのニュースがありました。

読売 9月10日 福知山線脱線、JR西社長ら業過致死傷容疑で書類送検

衝撃的な事故であっただけに、このJR尼崎事故の教訓は何であるかを、航空・鉄道事故調査委員会の調査報告書から読み解いてみます。

航空・鉄道事故調査委員会の福知山線塚口駅~尼崎駅間 列車脱線事故の調査報告書及びその添付資料はこの調査委員会のサイトからダウンロードできます。

1) JR西日本が言っていることは不十分

JR西日本が本年8月4日、5日の被害者へ説明会で、配布した文書がここにあります。読んで感じたことは、(1) 乗務員の教育と管理を含む運転士の問題と(2) ATSの整備が遅れていた問題が前面に出すぎており、昨日の社会保険庁不祥事の矮小化と同様に、事故原因の矮小化がなされていると感じました。

事故調査報告書は本文だけ250ページもあり膨大ですが、まじめに読みました。

2) 事故の様子

事故当時の電車の速度をグラフに書いてみました。

Photo_7      

青の線が、事故列車の速度で、本来はピンクの線の速度で運転されるべきでありました。事故時間は9時18分54秒と推定されています。このグラフの左端が事故地点の手前1380mで、ここで運転士はアクセルに相当する力行ハンドルを離し、以後は惰行運転か、ブレーキを掛けるかでした。事故地点は、半径304mの右カーブを約2/3過ぎつつある地点でした。このカーブが始まるのは、事故地点の手前172mであり、カーブの制限速度は70km/hでした。それまでの制限速度が120km/hであったことから、70km/hに落としてカーブに進入するためには事故地点の約1000m手前でブレーキを作動させ始める必要があった。

事故列車の先頭車両は事故地点手前100m付近からカーブの内側車輪が浮き始めたと推定されます。上のグラフで、200m地点がカーブが始まる付近と考えてください。なお、赤線がカーブの部分とその転覆限界速度105km/hです。

運転士が本格的にブレーキを作動させ始めたのは、190m手前からで、3.6秒後には最大ブレーキとした。しかし、既に事故地点に60mまで迫っていた。

3) カーブ速度違反に関して

事故地点手前200mのカーブ開始地点に列車は116km/hで進入したと推定されています。これに関連することをあげると。

(1) この地点のカーブは1996年12月までは、半径600mであった。
大阪府、大阪市、兵庫県、尼崎市、JR西日本、関西電力等が出資する第三セクターの関西高速鉄道株式会社が大阪東西線を建設しJR西日本の電車が1997年3月に走ることになったので、連絡駅尼崎の連絡を良くするために、600mカーブを304mカーブへときついカーブに付け替えてしまったのです。

(2) レールのカント
鉄道線路のカーブはカーブの外レールが内レールより高くなっています。この高低差をカントと呼びます。事故地点のカントは97mm(約9%の傾き)で、304mカーブの場合は60km/hに相当します。70km/hに対しては、135mm必要であるが、60mmがJR西日本の許容範囲との規定あり、70km/hであれば許容範囲に入る。

(3) 116km/hでの横G
単純に計算すると0.35Gですが、カントに打ち消される部分があり、0.26Gとなります。これもグラフを書きました。

G

速度ゼロの時は、カントによりカーブの内側へのGが作用し、60km/hで打ち消されて横Gはゼロとなり、120km/hでは0.28Gとなります。事故報告書では、105km/hの速度を超えると脱線転覆と計算していることから、この速度を出した場合の横Gが0.2Gとなることから、グラフ上に赤線で示しました。

冒頭の事故列車の速度のグラフにも赤線で105km/hを引きましたが、カーブ部分のみが対象であり、カーブ部分のみで赤線を引いてあります。

4) 問題点

(1) カーブのスピード超過についての認識

速度超過して転覆するような事故は、経験とか一切なかったので、考えたことがなかった。過去に起きた曲線における速度超過による列車脱線事故は知らなかった。」とJR西日本の代表取締役鉄道本部長で鉄道主任技術者の人が調査委員会に対して述べています。(報告書172ページ)

実際に起こった事故として報告書には例えば1996年12月函館線での300mカーブにおけるJR貨物のコンテナ貨車20両全数の脱線脱線事故があげられています。117km/hで脱線したようですが、簡易計算の結果では最大積載量の貨物を積載した状態では97km/hですが、空車状態で157km/h と脱線速度が大きく異なります。その他、1974年鹿児島線事故では、カーブ内側への脱線であって、外側への転倒ではなかった。だから、主任技術者の認識には、そのような頭があったのかも知れません。

このあたり、もしかして、車両の性能が上がって高速でカーブを走れるようになった。性能が悪ければ、外側に転倒する前に、脱線して止まっていた。そんなことを思います。簡単な計算で、危険かどうか判断がつくにも拘わらず、思いこみが優先してしまったのだろうと思います。

事故地点のカーブの70km/hの制限速度の根拠は、300m以上350m未満のカーブが65km/hの制限で、これに5km/hを加算した70km/hが制限速度であったのです。従い、カーブが始まる事故地点200m手前までは制限速度120km/hで、そこで70km/hになる。(報告書97~101ページ)

だから、事故列車の運転士が速度違反をしたのはたった200mの距離だけだったのか?

JR西日本が事故当日に発表した転覆限界速度は133km/hと105km/hより28km/hも大きく、一方、調査委員会が行ったアンケート調査による運転士からの回答では60%以上が110km/hと答え、50%以上は120km/hと答えたことから、実際の転覆限界速度105km/hは正確に認識されていなかった(報告書194ページ)。会社における技術事項の全権限を保有しているに近い主任技術者すら、解っていなかったのだから、全社的に無茶苦茶デゴザリマシタ。

(2) 実現不可能な時刻表(ダイヤ)

列車の加速度、ブレーキ性能、制限速度、停車時間等を考慮して時刻表を作成し、そこには余裕代も当然盛り込むはずです。ところが、余裕代どころか、制限速度オーバーを常時強いる時刻表で列車が運行されていた。嘘!と言いたいのですが、本当!です。

コンピュータで計算する際に加速性能を事故車両よりもよい電車のデータを使用し、ブレーキ性能も高い性能をインプットして計算した。(報告書145ページ)さらに、線路の勾配も誤ったデータインプットがなされていた。次の表が時刻表で、右から2番目の宝塚9時3分45秒発の5418Mが問題の列車です。途中駅の停車時間は、中山寺15秒、川西池田20秒、伊丹15秒の合計50秒で、走行時間15分35秒の合計16分25秒で、尼崎着9時20分10秒の計画です。

Photo_8

もう一つ、この時刻表の左端の3016Mという列車ですが、問題の列車の1分30秒前に発車することになっています。列車が前にいる場合は、信号機が赤になるので、安全距離が確保され緑になるのを待つ必要がある。宝塚駅を出て551mの地点に踏切があり、この踏切遮断機作動時間も関係し、調査委員会が実測したところ、3016Mが出て、出発信号が緑になるのに平均93秒かかった。列車が出発するのは、運転士の判断ではなく、車掌が安全確認をして、運転士に指示をすることとなっています。問題の5418Mは常時遅延運転であったと思います。

事故前65日間のデータ分析では運行時間の遅れが平均23秒で、出発時間の遅れが平均101秒であった(調査報告書付図52と53)。合計すると平均124秒の遅れです。

時刻表の意味ないじゃんと思いますが、トンデモナイです。上の時刻表の終着駅を見てください。問題の列車は東西線に向かうものの、他の列車は東海道線。実は、尼崎駅は、東海道線、福知山線、東西線が交わって、しかも互いに相互乗り入れをしていたトンデモナイ駅です。事故現場のカーブを304mに作り替えたのは、東西線開通を機会に同じホームで同じ方向にする赤坂見附駅状態にしようとしたのです。ところが、そればかりか、銀座線と丸ノ内線が、混じり合って、銀座線の池袋行きや丸ノ内線の上野行きを作ったばかりか、さらにもう一本線路が多いからゴチャゴチャです。

結果、列車の遅れは、それぞれのダイヤ混乱を引き起こすことになるから、運転士にプレッシャーがかかっただけだと思います。普通にしていても、守れないダイヤ。従い、速度違反は日常のことであったと私は想像します。(もしかしたら今も)

では、運転士の運転マニュアルはと言うと、あいまいでした。運転士は京橋電車区の所属であったが、基準運転図表がマニュアルに相当し、極めて単純(付図42)であるばかりではなく、私には最高速度100km/hと読め、これでは使い物にならないと思います。大阪支社の輸送課長は、「電車区では発生した事故への対応等が優先され、基準運転図表等の作成作業をする余力がなかった」と事故調査委員会に答えています。(60ページ)

(3) ATS(Auto Train Stop)

事故が発生した当時、マスコミはJR西日本のATS設置の遅れが、事故の原因であるように報道し、今もJR西日本は、それを言い逃れの材料にしているように思えるのです。実は、事故現場のカーブに設置されていなかったが、事故を起こした列車にはATSが設置されていたのです。そして、東西線にも設置されていた。設定速度が間違っていたから、ブレーキが低い速度で作動していたのです。多分、これも列車遅延の一因であったと私は思うのですが。なお、設定速度の間違いについては、JR西日本は誰一人として問題視していなかったのです。もしかしたら、認識すらしていなかったり、自動ブレーキを掛けるATSを知らない人達がほとんどだった可能性もあるからあいた口がふさがらない状態です。

5) 真の事故原因

今まで読み進んでいただいた方は、運転士個人の責任することは、JR西日本が余りにも無責任すぎると思われるのではないでしょうか?ATSについても、それ以前の問題がありすぎると思います。

本来であれば、運転士から問題点の指摘が上がってくるべきであった。そのような会社の社風にしなければならない。何故なら、運転士・車掌と整備員が現場の働き手であり、働き手の意見や感覚を重視しない会社はつぶれます。国鉄時代はつぶれなかった。しかし、分割民営化されても実は公共交通機関だからつぶれません。国鉄生え抜きの人が社長になり、民営化したといってお飾りの社外役員を迎えている。

民営化してJR西日本は、国鉄よりも良くはなっていない。国労、動労をつぶせた。結果、運転士、車掌、整備士は会社の奴隷にすることができた。事故報告書を読むと、そんなストーリーもあり得るのではないかと思うような気分です。事故者に対する再教育(日勤教育)とは何であったのでしょうか?私なら、マニュアル作りをさせます。マニュアルは働く人が自分の仕事のために作成して、最もよいマニュアルが作れます。そんなマニュアルがあれば、東西線は片町線とのみ乗り入れ。福知山線は大阪駅でストップ。無理して事故を起こしても、迷惑を掛けるだけ。そんな人としての対応が取れたかも知れないと思います。民営化して、大阪府や関西財界の雑音を聞かざるを得なかくなったのかな。

なお、民営化には無駄な新規路線投資を抑え、人事政策、企業経営その他合理的に推進する方法であり、賛成です。反対なのは、腐った民営化をした経営者です。一刻も早く退陣し、有能な人達に譲るべきです。なお、JR西日本会長は住電顧問倉内氏(72)、山崎社長は国鉄生え抜き65歳です。事故について言えば、ご遺族の方に最大の金銭的償いをだすことと思います。それしかできないので。そして、その相手には、この運転士も含めるべきであろうと思います。JR西日本が発表した転覆限界速度133km/hより遅い116km/hでの進入でした。

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