憲法記念日に考える
憲法記念日がやってきたところで、また憲法について、考えてみました。
1) 気になる言葉「国民」
現在の憲法で、私にとって、最も気になる言葉が国民です。国民とは何であるのか、日本国憲法では、「日本国民」という単語と「国民」という単語の2種類が書かれています。この2つの単語を同じ意味で捉えるべきか、別の意味があると解釈すべきでしょうか。
憲法前文の冒頭が、「日本国民」という単語で始まります。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 |
国民とは、Peopleのことであり、人民や人々と同じ意味と考えます。もし、これを国がJapanese Stateを意味し、民とは文字通り、天皇や武士その他支配階級に属さない人々と読むと、この前文の意味が変になり、理解不能となります。この国民とは、天皇を含む、あらゆる人々と考えます。その上で、日本国民とは、日本国籍を持つ国民あるいは日本国の構成員である国民と理解すべきと私は考えます。ちなみに、米国憲法の前文は、次の文章で始まります。
We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America. |
2) 市民とは
気になる言葉として「市民」という言葉があります。米国籍を持つ人をUS Citizenと呼びますが、ある社会の一員として認められた人が市民(Citizen)であり、国民(People)より範囲が狭いというのが私の解釈です。
ローマ市民とはローマ帝国の特権を認められた人々であり、古代ギリシャ市民に奴隷は含まれず、ヨーロッパの市民革命もブルジョア革命であり、プロレタリアートは含まれていなかった。現代の市民の意味は、国籍を保有している人であります。例えば、欧州条約(EU Treaty)第20条1号は、次の定めです。
Citizenship of the Union is hereby established. Every person holding the nationality of a Member State shall be a citizen of the Union. Citizenship of the Union shall be additional to and not replace national citizenship. |
3) 日本国憲法第三章
憲法第三章とは「国民の権利及び義務」です。第三章最初の第10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」であり、この第10条では、「日本国民」と使われていますが、他の第11条から第40条までは、「日本国民」の用語は使用されておらず、「国民」、「すべて国民」または「何人」との用語のみです。
第10条は、日本市民のことを日本国民と呼んでいますが、1946年の当時に日本市民なる言葉は日本語として、ほとんど使用されていなかったし、今でも、市民とは、特定の市の住民としての意味程度で使われているのが、現状と思います。
「何人」とは、まさに世界中の人を意味しているとも解釈できると考えます。例えば、第18条の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。」です。「国民」についても、世界中の人々と考えて良いのかも知れないが、やはり解釈としては、「日本市民」ではなく、「人々」の意味と考えます。例えば、第11条の「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」について、世界中の人々と考えても頭の中に、スッキリと入ります。一方で、立法権が及ばない他国については、定めていないと読むべきか、武力の行使はしてはならないが、外交努力その他により、この第11条の定めの実現に尽力すべきと読むべきかであると思います。いずれにせよ、「人々」を意味すると私は考えており、その意味で、日本市民より範囲が広く、在日の人々は勿論、短期滞在者や旅行者に対しても当然あてはまると考えます。
4) 世界人権宣言
世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)とは、1948年12月10日に第3回国連総会において採択された宣言です。日本は、当時国連には直接関係なく、政界人権宣言は、第二次大戦戦勝国の人達がつくったと言えます。しかし、日本国憲法が影響を与えたのではないかと思うのです。
日本国憲法の成立過程は、貴族院本会議が修正案を1946年10月6日に可決、そして衆議院可決10月7日、10月29日枢密院本会議可決となり、同日に天皇裁可があり、11月3日公布で、翌1947年5月3日憲法施行です。
世界人権宣言(英文)はここにあり、またその外務省仮訳はここにあります。主語は、人々(People)」ではなく、「Everyone(すべて人)」になっています。読んでいて、勇気づけられます。おもしろいと思うのは、次の29条1号です。
Everyone has duties to the community in which alone the free and full development of his personality is possible. |
この部分の外務省の仮訳「すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。」は、必ずしも、しっくり来ないのですが、自由と人格の発展が確保される社会に義務を負い、確保されていない社会には義務を有さず、革命も武力闘争も許されると読むのは、行き過ぎでしょうか?障害・殺人は許されないが、自由と人格の発展が確保されない社会には義務は存在せず、確保される社会を目指して尽力すべきと読むのでしょうね。
5) 現在の日本
現在の日本で、基本的人権が完全に確保されているのだろうか。確保されていないとすれば、法が定める義務に従う必要は生じないとの解釈は成立するのかしないのか。少なくとも、基本的人権がないと感じる人にとって、法の義務は堪えられないことであろう。
格差社会で取り残された人達はどうか。在日の人達も、国民であることに、何の疑いもないと思う。むしろ、日本が今後発展するには、アジアに進出せねばならず、アジアに進出とは、アジアと一体化し、EUのようなAsia Union(AU)をつくって行かざるを得ない。アジア共通の価値観をつくっていかなければならない。その時の価値観とは何か、言葉で表現する必要があり、アジア憲法のようなものを目指すことになると考える。一足飛びに、憲法までならず、AU条約を整備しつつ作り上げていくことになると思う。
その際日本国憲法も一つの参考になるのではと思う。
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