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2010年8月28日 (土)

円高、株安、デフレへの経済対策

円高が進み、円高に伴う企業の業績悪化、そして輸入品価格の低下、雇用不安、賃金切り下げと経済環境の悪化が懸念されます。そのような中で、政府や日銀による経済対策に対する期待が高まっています。次のような意見が、その代表だと思います。

日経 8月25日社説 許されない円高“不戦敗”

読売 8月26日社説 円高加速 政府・日銀は具体策を急げ

一方で、通貨の為替レートは、マーケットが決めており、人為的に介入することの危険性があるし、普天間問題の対応や、民主党の代表選のばからしさを見ていると、国民の財産を傷つけてしまうリスクさえ感じる次第です。私の、感じることを書いてみます。

1) プロの勝負師

政府が為替市場に介入するとなると、その相手となって勝負をするのは、言葉は適当ではないかも知れませんが、プロの勝負師です。相手の1手先、2手先を読むのは、当然で、相手の性格から、懐の深さを含め、全てを読んで、勝負に出ます。そんな勝負師と、普天間のお笑い劇や、訳の分からない消費税論や、外部には理解不可能な抗争をする人達との間では、勝負師が格段上で、初めから手の内は全て読まれていて、勝負の前に決着しているように思えます。国民の税金を使って、そのような人達に勝負をさせると、大きな付けが跳ね返ってくる危険性を感じます。

為替介入とは、生やさしいものではありません。やるなら一国単位ではなく、複数の政府が、互いの共通利益に向かってやらないと、効果を上げることは難しいと思います。現在の状況は、ユーロ圏諸国、日本、米国の間で、一定の為替レートに関するコンセンサスが得られるかと言えば、およそ困難であり、各国が自国の利益のためのレートを模索していると考えます。ユーロ圏諸国の内部では、ユーロが通貨である以上は、為替変動は生じません。ユーロの対米ドル政策を考えても、加盟国共通通貨である以上は、一国の意思のみで、介入は不可能です。

更に言えば、アジア諸国との間だけでも、円為替について共同歩調が、取れるかというと、容易ではありません。円高は、日本からの輸入品の価格を上昇させるが、日本からの製造拠点の移転や投資を促進させる面があります。

そもそも、1971年の米ドルと金の固定価格交換が廃止されたニクソンショックの時に、通貨交換レートは市場が決定することになったのです。例えば、米ドル85円が円高で低すぎるとするなら、相場を上げるために、86円とかで市場取引に入っていくのですが、米ドルの量は株式とは異なり無限に近くあり簡単に87円・88円と必ずしも高くなるとは限りません。むしろ米ドルを買うための円資金に限度がある以上は、限度が来た所で、それ以上の上昇はなく、買いが減少するわけで、価格は下がります。下手をすれば介入により85円より低くなることだってあり得ます。

相場は、魔物です。

2) 景気対策

円高になろうと、景気がよければ、給料や所得が安定していれば、問題視することもないのです。確かに、輸出企業は当面大変かも知れません。しかし、輸入原材料の値下がりは期待できます。日本経済には、為替問題より、更に大きな構造不況の状態にあると私は思います。景気対策と言って、ゾンビ企業を生き残らせる。最低賃金を、生活保護給付より低く抑えてしまう。倒産すべき企業を倒産させてこなかった結果、低賃金と不況業種ばかりになる。

未来産業が、ほとんど育っていない気がします。例えば、バイオなんて、世界水準から一歩遅れている。ITも、クラウドで先頭を切って活躍できる日本企業はいない。大学は、企業の就職予備校であり、研究者が余り育たない。育てられない。Doctorを取っても、企業からは相手にされない。教育は非常に重要と考えます。景気対策として必要なことは、失業給付を充実し、企業が安心して解雇を実施でき、就業者は安心して次の自分にもっとふさわしい就業先を探せ、職業訓練校はもとより大学、大学院に入って次の仕事のための知識、技術、能力を高める機会を容易に得られるようにする。直ちに、そんな状態にすることは難しいでしょうが、そのような社会を目指さないと日本の将来はないように思います。

過去の最大の円高としては、1995年4月に80円になったことがあります。バブル崩壊が始まったのが、1990年代の初め頃ですから、景気悪化の進行にも拘わらず、円高になっていきました。しかし、1995年頃は、まだそれほど深刻ではなかったが、その後1998年の小渕内閣の頃には、相当深刻になっていた。そして、公共事業と減税と大量国債発行で、失われた何十年に突入していった。小渕内閣こそ、最も政府としてしてはならない手本を示したと私は思っています。市場に委ねて、自然淘汰による、よい改革を行うべきを、ゾンビを作り、ゾンビに税金を渡し、国民に借金を残す。

3) 市場経済主義の確立が望まれる日本

1991年にソ連崩壊がありました。ソ連とは、どのような国かと言えば、私は、ソ連型社会主義の壮大な実験を実施した国と思います。市場原理ではなく、計画的な生産と生産物の給付を実践したのです。計画を誰が作るかと言えば、役人に他ありません。優秀な役人が存在して、素晴らしい計画を作れば、相当理想的に人々は豊かになります。

しかし、技術革新や管理体制(人や組織の管理だけではなく、生産や輸送を含め全て)の改善を取り入れていくのは、どうしても時間がかかることになります。世界統一社会主義であればまだしも、市場主義国と競争になると、負けてしまう分野が多くなってしまいました。ある部分の、改革・革新については、どうしても市場経済の方が、素早いのです。

そこで、日本は、どうなのでしょうか?社会主義的な面が、相当残っていると思います。日本は、実は大東亜戦争に突入するために、日本社会主義の国であったことがあります。メンタリティーにおいても、「お上」という言葉があり、そこには、「お上」=役人・政治家・藩主・天皇であり、自分たちのために、よきに取りはからってくれることを期待している面があると思います。

日本が、ダメなのは、社会主義国から市場主義国に移行ができていないからではないかと疑問を持ちます。最低賃金を確保したり、不公正競争を阻止したり、独禁法を遵守させたり、政府が実施する役割は多く存在します。しかし、一方で、関与してはならず、市場に委ねるべきことが多いのは事実です。

大きな転換を計らないと、不況から抜け出せないのではなく、状態を悪化させているのみと感じます。

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2010年8月25日 (水)

組合のガバナンスの必要性

8月24日の読売新聞は、次のような社説を掲載していましたが、理事長の退職金問題というより、ガバナンスの欠如が、最大の問題であると思います。

8月24日読売社説 大阪府民共済 お手盛り巨額退職金は許せぬ

1) 共済組合とは

共済組合とは、消費生活協同組合法に基づき設立された消費生活協同組合です。大阪府民共済も「大阪府民共済生活協同組合」が正式名称です。消費生活協同組合法により、職域による消費生活協同組合であつてやむを得ない事情のあるものと消費生活協同組合連合会以外は、都道府県の区域を越えて、設立することができないので、都道府県の名称に共済組合を組み合わせて、組合の名称としています。

政府や地方自治体の組織ではなく、純然たる民間法人です。共済組合については共済の加入者が組合員であり、共済組合の出資者であります。

共済とは、加入者が出資者となり掛け金を支払い、保険事故に相当する共済事故が発生した加入者に対して、保険金に相当する共済金を交付し、運営費用を差し引いた残余金を加入者に払い戻す仕組みです。共済が有利であるか、保険が有利であるか、私は、それほど調べておらず、何とも言えませんが、仕組みからして、保険は、保険会社が事業として実施するのであり、共済は加入者が自らのために支え合う制度であるので、効果は、ほぼ同一であるが、出発基盤が異なると言えます。

法人税法では、一般法人ではない協同組合の扱いを受け、保険会社であれば法人税率30%のところが、共済組合は22%ですみ、その結果は地方税にも影響し、税の面では、共済組合が有利です。

2) 共済組合のガバナンス

株式会社であれば、株主総会で取締役を選任し、取締役の報酬も株主総会の決議が必要です。

共済組合の場合は、加入者が組合員であり、組合員総会で理事・監事を選挙する。事業計画や収支予算は、総会の承認事項であるが、会社法361条のような取締役報酬の株主総会決議が必要との要件は、ないと理解します。

共済組合の場合は、組合員数が500人を超えると、組合員中から選出された総代が出席して開催する総代会ですませることができるのです。

株式会社には総代会はありません。電磁的方法によるインターネット投票も可能であり、総代会とは、前時代的遺物であると思います。

3) 今回の大阪府民共済理事長退職金2億5千万円

産経8月19日 前理事長「退職金2.5億円は多くない。返さぬ」 立ち入り検査の府民共済の報道には、松本一鶯前理事長の発言として「金額が多いとは思わない」とあります。彼に対する役員報酬は、幾らであったかというと、この毎日の報道に、月額報酬は約360万円とあるので、年間4300万円です。

このような事実を、大阪府民共済に加入している人達は、知っていたのでしょうか?総代会が、そのような高額の役員報酬を支払う予算を承認していることを、加入者は支持していたのでしょうか?おそらく、何も知らなかったと思います。正確には、知らされていなかったと思います。Webを見ても、費用の明細や貸借対照表がありません。

大阪府民共済とは、民間の労働組合出身のこの松本一鶯前理事が作ったようです。自分自身の利益を確保するための、金蔓として利用していた可能性があると思います。

何故、そんなことが可能であったかは、ガバナンスがなかったからです。非営利団体は、常に正しく、不正がなく、善良ですと思うのは、間違いです。非営利団体を隠れ蓑にして、甘い汁を吸い尽くすことも可能です。

一般の人を対象として出資や加入を呼びかける非営利団体を含む企業・団体あるいは一定額(例えば、株式会社の場合に会計監査人が必要な200億円)以上の債務を有する企業・団体は、監査法人による会計監査を義務付けると共に、監査済みの有価証券報告書のような報告書をWeb等において一般に公開することを義務づけるべきと考えます。

情報公開がなされない状態で、ガバナンスは確立されない。総代会なんて制度は、インターネットの時代には、廃止すべきと考えます。本問題は、コンプラ問題ではなく、善意と信頼を基とした法の欠陥をつかれている問題であり、立法により解決を図るべきと考えます。

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2010年8月23日 (月)

大阪2児遺棄事件の悲惨

大阪2児遺棄事件は、非常に悲惨な出来事であると思います。そう思いつつ、次の朝日の記事を読むと、8月21日書いた「所在不明高齢者問題」と、同じ側面を持っているような気がしました。

朝日 8月22日 ゴミの山、寄り添い倒れていた姉弟 大阪・2児置き去り (全4ページ)

衝撃的に思ったのは、次の箇所です。(4ページ目です。)

大阪市こども相談センターに最初の通報が入ったのは3月30日。「ほとんど毎日子どもが泣いている。インターホンで長時間、『ママーママー』と叫んでいる」。4月8日、5月18日にも通報があった。センターは5回訪問しながら、誰が住んでいるのかさえわからず調査をやめた。職員は手紙を残したが、下村容疑者から連絡はなかった。

敢えてレッドカードとしたが、記事の通りだとすると、大阪市こどもセンターは、通報を得ていたが、無策に終わっている。ここに大阪市のこども相談センター開設に関する本年1月4日のお知らせがありますが、大阪市中央児童相談所と教育相談部門を統合してとあります。児童相談所とは、児童福祉法により都道府県と政令指定都市に設置が義務付けられている機関です。児童相談所の役割としては、児童福祉法12条2項で、児童及びその保護者に関する調査および指導や児童の一時保護が定められています。単なる相談をする機関ではありません。また、児童福祉法では、児童の保護を実施するのは、児童相談所のみならず都道府県および市町村が義務を負っています。

何のための公権力であるかと思います。児童福祉法第25条は次のようになっています。

要保護児童を発見した者は、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。

一般国民が通告の義務を負っている以上に、通告の相手先である地方自治体とその機関は、保護を実施する義務を負っていると私は解釈します。しかし、上のレッドカードを読むと全く逆に思えます。警察ではないから、手が出せないなんて、大まちがいと思います。一般の人や民間団体・ボランティアより、あきらかに大きな力を持っています。そもそも、この事件は通報があった時から次の刑法218条の保護責任者遺棄に該当していると思います。

老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の懲役に処する。

でも、大阪市こどもセンターの人達は、そんなこと全て分かっていた可能性があると思います。人手不足、予算不足で、動くに動けない。そもそも、人手不足と予算不足から、教育相談部門と統合された可能性もある。しかし、予算なんてジャブジャブあると思います。富裕層に対する子ども手当を廃止し、これを使えば、多くの人員が手当でき、社会が本当に必要なサービルを提供できます。

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2010年8月21日 (土)

所在不明高齢者問題

不思議な事件と言うべきか、当然起こるべきして起こっており、何故今になってとも思える。ニュースショーにとっては、絶好の事件と思える。何故なら、「消えた老人」、「家族の絆の希薄化」、「地域共同体の崩壊」、「制度の盲点」、「役人の怠慢」、「税金の無駄遣い」、「縦割り行政」等々様々な言葉を駆使して、論評が可能であるから。

そんなニュースショーの中で、気になることを述べていた役人(厚生労働省と思うが、正確には覚えていない。)がいた。

所在確認を行おうとしても、「家族に、病気で他人に会えない。あるいは施設に入っている。」との回答で追い払われ、老人ホームに確認を求めると、個人情報保護を理由に回答が得られない。

このような人を公務員としておいてよいのだろうかと思った。問題は2つある。

1) 法の強化には問題あり

一つ目は、政府や地方自治体には、法に基づいた公権力の行使が可能であることである。その人は、そんなことを十分承知して、発言したのだと思うが、権力欲が出た発言と思うと恐ろしい。例えば、個人情報保護法でも、国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合の、本人の同意を得ずしての個人情報取扱事業者の情報開示を認めている。上の老人ホームの例は、個人情報保護法の対象外と考えるが、「○○さんは、入居しているか」と、その目的を明示して、地方自治体が老人ホームに問い合わせを行って、回答を拒否されるとは、私にはとても考えられない。

むしろ、政府や地方自治体が国民や住民を監視するようなシステムを作ることになってはならないと考える。戦前の日本においては、徴兵検査があり、全員を、その思想まで調査し、克明に監視をし、戦争へ駆り立てる制度をつくっていた。天皇=政府であり、国民=臣民であり、政府の命令に従わせるシステムであった。単純に、戦前にもどる訳ではないが、権力者が意のままに操れるような制度にしてはならず、人々が自由に、他人に干渉されず、個人の生活を謳歌できる制度をつくらねばならない。

政府とはお上ではない。お下でもなく、対等であるが、国民が定めた法に基づく公権力を有している。従い、公権力を拡大するについては、慎重であるべきで、政府の怠慢で実施できていないことを、公権力の不足であると誤解して、公権力を拡大してはならない。

所在不明高齢者問題については、時間を掛けて、慎重に対処すべきと考える。

2) 政府・地方自治体の怠慢

嫌な言葉に、役人が言い逃れをする時に、発言する「縦割り行政」という言葉がある。国民から見れば、政府は一つである。政府内部で、役割分担のために、縦割りの省庁を設置して何ら問題はない。同時に、横断的な情報交換や協力・共同のための組織等を設置し、最高の機能を最高の効率で発揮するようにすればよい。こんなの経営のイロハである。冒頭に書いた出演役人は、縦割りだからと述べていました。

住基ネットなんて税金を使って、何をしたのでしょうか?この所在不明高齢者問題のとりあえず思いつく問題点は、年金不正受領です。でも、驚くのは、年金不正受領が、これほど簡単であったのかと思うことです。

例えば、後期高齢者医療制度で75歳以上の老人は、その医療情報を含め全て把握可能であり、介護保険制度も同様です。保険事業者が、利用していない人を、調べることはないでしょうが、地方自治体が福祉の一環として、1年間に一回も受診していない人を調査するなんてこともなかったのだろうと思います。低福祉社会とも思いますが、調査をしないことの恐ろしさを感じます。幾ら予算がなくても、実態調査だけは、絶対にすべきです。そうしないと正しい政策が立てられません。まさに税金の無駄使いです。(意図的に特定の目的に支出させたいから、実態調査をしないなんてないでしょうが)

例えば、読売 8月21日 「104歳」の長男、年金は生活費に充てたのようなニュースですが、約3年間、計約120万円の年金を受領するために、死亡届を出していなかったのであれば、不正受給の問題より、生活保護の傘をさしのべる福祉制度(単に存在するのみならず、その適切・円滑な需給の支援を含め)の貧困が問題である気がします。

本問題は、国民が主役であり、国民が、どうすべきかを考える問題と思います。

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2010年8月18日 (水)

予想的中の医療費35兆円

次のようなニュースがありました。

朝日 8月17日 医療費、過去最高の35兆円に 70歳以上で4割占める

何が的中したかというと、私が1月26日の医療費の将来予測-医療、医療費、医療保険を考える(その4)で予測をした医療費の2010年の金額が、ズバリ一致しました。(本当は、2009年の実績が、2010年の予測と一致したのであり、ハズレが正しいのかも知れません。)

1月26日のグラフでは、数字を示していませんでしたが、グラフの基にした数字を記入したら、次の通りとなります。

Health2010817

どのように予測をしたかは、1月26日の中で書きましたが、次の年齢層別の一人当たりの医療に対して、その年齢層の人口を掛け合わせて、合計しただけです。データ数字を記入したグラフを掲げておきます。

Health2010817a

2007年度の年齢層別の医療費を基としたので、遠い先である2050年までの予測が正しいとは思いませんが、傾向としては、あっていると確信します。従い、10年先の2020年には医療費総額は、38.5兆円程度になる。9%の増加ですが、一人当たりにすると、314千円と13%の増加となる。人口減(3.5%減少の予測)を盛り込んだからです。更に、恐ろしい計算となりますが、25歳から64歳を男女の区別なく全員を労働・生産人口として、この人口層が医療費総額を支えたとすると、2010年は生産人口当たり516千円が2020年には20.5%増加の612千円となります。

2020年は、10年先です。直ぐにやって来ます。

民主党は、医療保険の改革を、掲げていたはずと理解するのですが、保険制度の統合の絵は残念ながら全く見えてこず、このままでは、自民党と何ら変わる所はないのだろうかと思っています。高齢化社会とは、高齢者に対する給付の切り下げと労働・生産人口層に対する負担の増加が、同時にやってくるのです。片方を避けたり、双方に負担がないようにとする「打ちでの小槌」は、存在しない。若年層も、いずれは高齢者になり、立場が逆転する。そのようなことも考慮しつつ最も合理的な解決は何であるかを考えること。討議することです。

なお、厚生労働省発表の医療費のデータは、この厚生労働省のWebからダウンロードできます。

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2010年8月16日 (月)

朝日と毎日が同じようなことを

私も、ホメオパシーなんて知りませんでしたが、8月15日の毎日東京朝刊の記事です。

毎日8月15日 質問なるほドリ:ホメオパシー療法って?=回答・小島正美

この記事の下の方に、毎日岡山版の8月13日の次の記事にリンクがされています。

毎日・岡山 8月13日 朝日新聞の長野剛記者がホメオパシーという…

そこで、その朝日の記事は、次の記事他と思います。

朝日 8月11日 代替療法ホメオパシー利用者、複数死亡例 通常医療拒む

おもしろいのは、毎日岡山版8月13日の「ネット上には良質な専門的知識がそこかしこに点在している。」であります。暗に、朝日を批判したのか、あるいは、マスコミよりもネットの方が、良質な情報が、存在することを認めざるを得なかったのか?

私としては、思い出すのは、3月27日書いたNHK追跡!AtoZ どう向き合う? がん“代替療法”です。ホメオパシーに限らず、代替療法と呼ばれている効果が確認されていない病気の治療方法について、マスコミも正しく報道して欲しいと思います。追い込まれると、藁をも掴んでしまうのが人間です。

3月27日のブログを書いた時は知らなかったのですが、この2月17日のJCASTニュースの人が、このような代替療法に積極的だったのですね。個人が、自分自身のことについて、どのような選択をし、どのように金銭支出をするか、その個人が決定することでよいと思います。しかし、他の人に勧めたり、税で研究開発をすることには、疑問があります。弊害の方が、大きいと思います。

日本が医療・医薬その他先端産業で世界的にトップにあるかというと、私には、とてもそうは思えません。一部で、現在そうかも知れないが、トップの座から退くのは簡単です。多くの分野で、二流・三流に退きつつある気がします。何故なら、最先端を担う人材が、日本で育っていない。育てることができていないと思うからです。最先端産業とは、トップの人材を世界中から集めることができる時に、発展すると考えます。

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65年目の終戦の日

2010年8月15日は、65年目の終戦の日であり、多くの新聞の社説は、終戦から学ぶべき平和への決意といったようなことを述べていると思った。幾つかの社説を読んだが、日本経済新聞の社説が、私には一番しっくりときて、賛成意見を述べたいと思う社説であった。

日経 8月15日社説 敗戦の教訓をいまに生かしているか

日経社説にある「歴史から学ばなくてはいけない。」とする言葉は、私は好きですし、真実を追究し、学んだことを生かすことにより、発展があり、過去よりも優れた未来を作ることができると信じる。私なりに、終戦に関しての歴史を読んだ結果を書いてみることとします。

1) 終戦の詔書

終戦の詔書とは、玉音放送として、天皇が65年前の正午にNHKラジオを通して読み上げた文章である。国民にとっては、初めて聞く天皇陛下の声であった。開戦は、大本営発表で十分であった。しかし、終戦は、当時の国民が、反感を持たずに納得するようにするには、玉音放送で、天皇が録音版であれ直接呼びかける儀式が必要であると、当時の鈴木貫太郎首相を初め政府首脳部及び天皇自らも、判断したと考える。

終戦の詔書は、この国会図書館のWeb(写真)及び(テキスト表示)にあります。楷書で、丁寧に書いてあり、最後のページに天皇の御名御璽(直筆サインと印鑑)がある。文章は、当時の役人・官僚・政治家が必死になって考えたことがうかがわれる。

冒頭で、戦争の終結であるポツダム宣言の受諾を述べています。「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

但し、「共同宣言ヲ受諾スル」で、当時の国民のどれだけの人が理解できたか、私は調べていないが、ポツダム宣言の内容を分かっていなければならない。ポツダム宣言の内容を知らずとも、日本に対する戦争中止を呼びかける宣言をしたことを知っている人もいただろうし、あるいは「受諾スル旨通告」ということで、天皇が政府をして受諾する通告は、当時戦争中止しかなかったのであり、この部分で、主旨を理解した人も沢山いたと思う。

続いては、「朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス」と、陸海将兵は、よく戦ったと述べ、「尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」と、これ以上の戦争継続は民族の滅亡と人類文明の破壊になると述べている。

終戦の詔書の、国民(爾臣民)に対する最大のメッセージは、「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の部分であると思う。この部分こそ、日本国憲法の、例えば憲法前文の次のような平和主義の基になったのだと思う。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


2) 判断

第2次世界大戦のヨーロッパのVictory in Europe Dayは5月8日であった。その結果、米英ソは、ドイツのベルリンから南西25kmほどの都市ポツダムでヨーロッパの戦後処理について、7月17日から8月2日まで会議をし、Postdam Agreement(参考ここ)が合意された。その際、日本に対して13項目からなる終戦勧告としてのポツダム宣言が、米英中の3国による合意が成立し、7月26日に発表された。(その文章(英文)については、この国会図書館のWebにあります。)

日本の戦争は、米軍が3月26日沖縄で慶良間諸島他に上陸し、沖縄本島に4月1日に上陸、沖縄での組織的な戦闘は、6月末までには終了していた。普通に考えれば、沖縄戦が最後の戦闘であったはず。ポツダム宣言から、その受諾決定までには、20日近くを要している。何であったかは、国体の維持を目指したからである。国体とは、意味が曖昧な言葉と思うが、字からすれば国の体であり、ポツダム宣言の第12項には、次のようにあり、日本の民主国家樹立による占領軍の撤退が書かれてあり、国としての存続はポツダム宣言が認めていた。

The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.

日本は、日本の民主化要求その他を全て合意したのである。条件としては、唯一天皇問題であったのであり、この8月10日9:00東郷外務大臣から在スウェーデン加瀬公使 電信番号 649 のように、”The Japanese Government are ready to accept the terms enumerated in the Joint Declaration which was issued at Potsdam on July 26th, 1945 by the heads of the Governments of the United States, Great Britain and China, and later subscribed by the Soviet Government, with the understanding that the said Declaration does not comprise any demand which prejudices the prerogatives of His Majesty as a sovereign ruler.”として、天皇の特権に侵害がないことを申し入れたのである。

日本からの申し入れに対する連合国の回答(この外務省12日18時40分着加瀬公使電信番号876号)は、早かった。E-Mailは勿論、Telexもなく、幾つかの中継を経てのトンツーの暗号電信を使ったはずで、日本・スウェーデン間の通信片道でも10時間以上を要した。連合国回答は、ポツダム宣言の通りと述べたまでであるが、”The ultimate form of Government of Japan shall in accordance with the Potsdam Declaration be established by the freely expressed will of the Japanese people.”と、日本国民の自由な意思による政府の樹立を述べた。

これを終戦の詔書で読むと、「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」とあり、「国体を維持することができ忠良な国民を信頼し、常に国民とともにある。」となっている。

国体という言葉の曖昧さを利用して書かれたのが終戦の詔書である気がするし、終戦に導くには、これ以外に方法はなかったと思う。しかし、一方で、ポツダム宣言は民主国家の樹立を述べていたが、天皇の存続を否定はしていなかった。8月10日9:00東郷外務大臣電信の日本語訳には、天皇ノ国家統治ノ大権とある。この大権とは、何であるかは、明治憲法による天皇の地位と理解するが、そもそも、それ自体が曖昧である。大日本帝国憲法第1条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」であり、このままでは、三権分立も何もない天皇独裁となり、憲法自身意味がなくなる。一つの読み方は、天皇機関説である。第5条の「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行」や第57条の「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」も、明解な解釈が困難な文章と思う。権力闘争の勝者が、天皇の威厳を使って、運営していたのが実態に近いと私は思う。

そうだとすると、ポツダム宣言受諾までの20日近くは、天皇が戦争犯罪人とならない確証を得たかったのではないかと思う。敗戦に向けて、どう処理するか。戦後復興が、最重要課題となる。天皇が復興の先頭に立てるなら、国民が復興に一致団結でき、戦争へのエネルギーを復興に向かうエネルギーに転換できる。だからこそ、終戦の詔書で「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ・・忠良ナル爾臣民ノ赤誠・・爾臣民ト共ニ在リ」となったのだと思う。

3) ポツダム宣言受諾通告

4国に対する受諾通告は、Communication of the Japanese Government of August 14th 1945 addressed to the Governments of the United States, Great Britain, the Soviet Union and China.と題して8月14日11:00 に東郷外務大臣から加瀬公使に電信が発せられた。”the Japanese Government have the honor to communicate to・・・”なんて、Honorなんて言っており、興味があります。1項目目は、現在完了形で”His Majesty the Emperor has issued an Imperial Rescript”と述べ、受諾と直接表現せずに、終戦の詔書を発したと述べています。2項目目は、”is prepared”のような表現になっています。

無条件降伏なる言葉が使われるが、その意味は、ポツダム宣言第13項にある unconditional surrender of all Japanese armed forcesであり、軍隊が降伏し、戦いを中止することです。第2項目目に戦闘の中止と武器の引き渡しが書かれているが、命令を出して、それを伝えねばならず、これからやるよと言っており、そう言わざるを得ないねと思います。

日本の戦後復興は、終戦の少し前から、始まったのではと思います。終戦から65年目を機会に、私なりに歴史を読んでみましたが、やはりおもいしろいですね。そして、学べることは多いと思います。

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2010年8月 9日 (月)

成田ー羽田直行電車

少しの間、ブログを更新できずにおりましたが、本日帰国しました。成田駅から、次のように、羽田行きの電車が出ていました。

Naritahanedaexp

最高時速160kmで走行する新型スカイライナーと同じ線路を走り、北総鉄道から都営浅草線、京急本線・空港線を通って成田空港から羽田空港を結びます。ちなみに、時刻表は、この北総鉄道の時刻表にあり、その中の上り・下りのページ番号をクリックすると、このような時刻表が出てきます。

ちなみに、上の写真にある10時29分成田空港発の電車に乗ると、12時13分に羽田空港に到着します。この電車は、通常の電車で、座席も通勤電車と同じタイプで、1両3ドアでした。特急料金が必要ですが、成田エクスプレス(NEX)と比較すると、10時45分成田空港発のNEXの品川着が11時52分です。10時29分成田空港発の電車の品川着が11時55分ですから、NEXは16分遅く出発し、3分早く到着することとなるので、合計で19分早いが、羽田空港へ行くとすれば、乗換時間等の手間を考えれば実質差がないように思えます。

最も、大きな荷物を持っていた場合、成田ー羽田直行電車には、荷物置き場がないので、ラッシュアワー等は大変だろうと思います。最も、成田空港と羽田空港の移動で、大きな荷物を持っている場合は、リムジンバスが一番便利なのだと思います。標準到着時間は65分~85分とのことで、成田ー羽田直行電車の104分より19分-39分早いこととなります。

そんなことより、羽田空港国際便が運行されることになると、多くのビジネスマンは、重労働になるのではと心配します。早朝到着や深夜出発です。早朝に羽田について、時差ぼけのまま、精一杯働いたり、出発日も夜遅くまで、仕事をしなければならなかったりするプレッシャーです。成田の時は、夜便の場合は、昼過ぎまでの仕事で終わったのに。この全日空の6月24日のプレスリリースを見てください。例えば、バンコク便は、次です。

NH173 羽田 00:30 ⇒ バンコク 06:00
NH174 バンコク 22:40 ⇒ 羽田 06:30+1

ビジネスクラスなら、多少は睡眠ができるとして、エコノミークラスで、これで目一杯働いては、疲れますね。 ロサンゼルスからの帰国便 NH1005も、00:10にロスを出て、羽田着が翌日の朝 05:15も時差ボケ丸出しで仕事をし、結果的に時差ボケがずっと戻らなかったりして。

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