円高、株安、デフレへの経済対策
円高が進み、円高に伴う企業の業績悪化、そして輸入品価格の低下、雇用不安、賃金切り下げと経済環境の悪化が懸念されます。そのような中で、政府や日銀による経済対策に対する期待が高まっています。次のような意見が、その代表だと思います。
一方で、通貨の為替レートは、マーケットが決めており、人為的に介入することの危険性があるし、普天間問題の対応や、民主党の代表選のばからしさを見ていると、国民の財産を傷つけてしまうリスクさえ感じる次第です。私の、感じることを書いてみます。
1) プロの勝負師
政府が為替市場に介入するとなると、その相手となって勝負をするのは、言葉は適当ではないかも知れませんが、プロの勝負師です。相手の1手先、2手先を読むのは、当然で、相手の性格から、懐の深さを含め、全てを読んで、勝負に出ます。そんな勝負師と、普天間のお笑い劇や、訳の分からない消費税論や、外部には理解不可能な抗争をする人達との間では、勝負師が格段上で、初めから手の内は全て読まれていて、勝負の前に決着しているように思えます。国民の税金を使って、そのような人達に勝負をさせると、大きな付けが跳ね返ってくる危険性を感じます。
為替介入とは、生やさしいものではありません。やるなら一国単位ではなく、複数の政府が、互いの共通利益に向かってやらないと、効果を上げることは難しいと思います。現在の状況は、ユーロ圏諸国、日本、米国の間で、一定の為替レートに関するコンセンサスが得られるかと言えば、およそ困難であり、各国が自国の利益のためのレートを模索していると考えます。ユーロ圏諸国の内部では、ユーロが通貨である以上は、為替変動は生じません。ユーロの対米ドル政策を考えても、加盟国共通通貨である以上は、一国の意思のみで、介入は不可能です。
更に言えば、アジア諸国との間だけでも、円為替について共同歩調が、取れるかというと、容易ではありません。円高は、日本からの輸入品の価格を上昇させるが、日本からの製造拠点の移転や投資を促進させる面があります。
そもそも、1971年の米ドルと金の固定価格交換が廃止されたニクソンショックの時に、通貨交換レートは市場が決定することになったのです。例えば、米ドル85円が円高で低すぎるとするなら、相場を上げるために、86円とかで市場取引に入っていくのですが、米ドルの量は株式とは異なり無限に近くあり簡単に87円・88円と必ずしも高くなるとは限りません。むしろ米ドルを買うための円資金に限度がある以上は、限度が来た所で、それ以上の上昇はなく、買いが減少するわけで、価格は下がります。下手をすれば介入により85円より低くなることだってあり得ます。
相場は、魔物です。
2) 景気対策
円高になろうと、景気がよければ、給料や所得が安定していれば、問題視することもないのです。確かに、輸出企業は当面大変かも知れません。しかし、輸入原材料の値下がりは期待できます。日本経済には、為替問題より、更に大きな構造不況の状態にあると私は思います。景気対策と言って、ゾンビ企業を生き残らせる。最低賃金を、生活保護給付より低く抑えてしまう。倒産すべき企業を倒産させてこなかった結果、低賃金と不況業種ばかりになる。
未来産業が、ほとんど育っていない気がします。例えば、バイオなんて、世界水準から一歩遅れている。ITも、クラウドで先頭を切って活躍できる日本企業はいない。大学は、企業の就職予備校であり、研究者が余り育たない。育てられない。Doctorを取っても、企業からは相手にされない。教育は非常に重要と考えます。景気対策として必要なことは、失業給付を充実し、企業が安心して解雇を実施でき、就業者は安心して次の自分にもっとふさわしい就業先を探せ、職業訓練校はもとより大学、大学院に入って次の仕事のための知識、技術、能力を高める機会を容易に得られるようにする。直ちに、そんな状態にすることは難しいでしょうが、そのような社会を目指さないと日本の将来はないように思います。
過去の最大の円高としては、1995年4月に80円になったことがあります。バブル崩壊が始まったのが、1990年代の初め頃ですから、景気悪化の進行にも拘わらず、円高になっていきました。しかし、1995年頃は、まだそれほど深刻ではなかったが、その後1998年の小渕内閣の頃には、相当深刻になっていた。そして、公共事業と減税と大量国債発行で、失われた何十年に突入していった。小渕内閣こそ、最も政府としてしてはならない手本を示したと私は思っています。市場に委ねて、自然淘汰による、よい改革を行うべきを、ゾンビを作り、ゾンビに税金を渡し、国民に借金を残す。
3) 市場経済主義の確立が望まれる日本
1991年にソ連崩壊がありました。ソ連とは、どのような国かと言えば、私は、ソ連型社会主義の壮大な実験を実施した国と思います。市場原理ではなく、計画的な生産と生産物の給付を実践したのです。計画を誰が作るかと言えば、役人に他ありません。優秀な役人が存在して、素晴らしい計画を作れば、相当理想的に人々は豊かになります。
しかし、技術革新や管理体制(人や組織の管理だけではなく、生産や輸送を含め全て)の改善を取り入れていくのは、どうしても時間がかかることになります。世界統一社会主義であればまだしも、市場主義国と競争になると、負けてしまう分野が多くなってしまいました。ある部分の、改革・革新については、どうしても市場経済の方が、素早いのです。
そこで、日本は、どうなのでしょうか?社会主義的な面が、相当残っていると思います。日本は、実は大東亜戦争に突入するために、日本社会主義の国であったことがあります。メンタリティーにおいても、「お上」という言葉があり、そこには、「お上」=役人・政治家・藩主・天皇であり、自分たちのために、よきに取りはからってくれることを期待している面があると思います。
日本が、ダメなのは、社会主義国から市場主義国に移行ができていないからではないかと疑問を持ちます。最低賃金を確保したり、不公正競争を阻止したり、独禁法を遵守させたり、政府が実施する役割は多く存在します。しかし、一方で、関与してはならず、市場に委ねるべきことが多いのは事実です。
大きな転換を計らないと、不況から抜け出せないのではなく、状態を悪化させているのみと感じます。
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