あいまいな言葉「国」
あいまいな言葉は、使わない方が、よいのだろうと思う。「国」という言葉も、あいまいに使われていることが多く、他の言葉に置き換えられる場合には、他の適切な言葉の方が、よいと思える。憲法記念日にあたって、私の思っていることを書いてみます。
1) 「国」の意味
国には、元来2つの意味がある。地域としての国であり、Countryの意味である。相模(さがみ)・武蔵( むさし)・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・上野(こうずけ) ・下野(しもつけ)の国とは、地域の名称であるはず。家康が関八州に移る合意が、秀吉と家康で成り立つのも、地域であったからと思う。
国家Stateの意味でも、使われる。日本と言った場合、それが地域とも重なるので、はなはだ複雑である。しかし、ソマリアのように、その地域を実効的に統治している政府が存在しない場合のStateとは、何であるのか。Stateとは、統治者が、統治している地域と社会の意味であると思う。
中世のように国王のような統治者がいて、隣国との国境は、戦争のたびに変わったりしたこともある。国家Stateとは、統治と一体の言葉と考える。
もう一つ、民族Nationという言葉がある。国連は、United Nationsである。国連加盟国という場合は、Nationではなく、次の第4条のようにState(国家)である。国家が、複数の民族から構成され、一つの民族が複数の国家の国民になっていることもある。
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グローバル化した現代においても、法は国家毎に制定される。でも、EUのような取り組みもあり、やがて変わっていくと考えるべきとも思う。
2) 国民主権・三権分立
国民主権と三権分立の考え方において、国という言葉を、使用すると混乱をまねく気がしてならない。日本国憲法は、次の文章で始まる。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。。 |
「主権が国民に存する」とは、どのような意味であるか。英訳では”sovereign power resides with the people”となっている。主権とは、国王の統治権の意味であった。国王の統治権のうち法を制定する立法権が議会に移り、法治国家が生まれ、その法の解釈は立法権とは別に裁判所が行う。日本国憲法も、前文の国民主権宣言とともに、第4章で国会を唯一の立法機関とし、第5章で行政権は内閣に属するとし、第6章で司法について記載している。
政府と言うべき時に、国と言っていることがしばしばあると思う。特に、マスコミ等で多いように感じるが、例えば、TVでアナウンサーが「国債は国の債務であり」と言っているのを耳にする。国には、国民も入り、国民が国債を保有していれば、それは国に対する債権であり、複雑である。やはり、国債は政府の債務である。税を払う相手は、政府である。政府とは、主権者である国民が管理する組織であり、立法権と司法権を含まない存在と私は考える。米国の場合、行政権のための大統領選と立法を行う議会の選挙は別であり、三権分立を考えやすい。日本に三権分立がないのではない。国会と内閣は別であり、政府を掌握するのは、内閣である。
国と言ってしまった場合に、内閣やあるいは公務員の仕事が不適切であるのか、法に問題があるのか、立法が社会の実態に適合していないのか、問題点を浮かび上がり難くしてしまう場合があると思う。三権分立を推進し、適切な国会機能を確保し、国民のための政府を作り上げるためには、「国」という言葉を、国民目線ではやめて、政府と使ったり、国会と使ったりするのが適切であると考える。
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