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2011年9月 2日 (金)

日大医学部付属練馬光が丘病院

日本大学は、医学部付属練馬光が丘病院(342床)が、累積赤字が90億円になり、来年3月末で撤退することを発表し、これに対して、練馬区は新たな医療機関を公募するとのニュースが少し前にありました。

MSN産経 7月15日 日大が光が丘病院撤退 練馬区は新運営者募集へ

7月15日の申し出と思ったが、日大が撤退の意向を練馬区に伝えたのは、2009年のことであったと述べている記事があった。

Yomiuri Online 8月30日 なぜ、日大練馬光が丘病院撤退なのか

MSN産経の記事にも、「日大は21年9月、区に運営支援を要請。区は21、22年度の建物賃借料を免除した。」とあり、建物賃借料の免除をしたことから考えれば、免除をしないと撤退となるから免除をしたと推測できる。そして、それは2009年9月か、それ以前であったのであろう。撤退とか、賃借料とかの言葉が出てくるのは、Yomiuri Onlineの記事に「この病院は1991年、経営破綻した医師会立病院を引き継いで開院し、以来、地域医療を担ってきた。」とあり、またこの練馬区の7月15日のお知らせには「日本大学は基本協定書および公有財産貸付契約書に基づき」とあり、区の財産(病院)を日大に貸し付けて運営している病院だからです。(私には、指定管理者制度による区営病院に近いと思える。)

そこでWebを探すと、光が丘学校跡地利用を考える会というブログがあり、その7月15日のブログを読むと、練馬区の住民は日大が光が丘病院撤退することを、やはり7月15日に初めて知ったようです。Yomiuri Onlineにも、「区は、「地域住民を混乱させないように」と極秘で日大と交渉を続け、多くの住民が、この事態を知ったのは、日大が発表した7月15日だった。」とあります。

区が所有している病院にも拘わらず、住民に知らせなかった。そして、光が丘学校跡地利用を考える会というブログには、恐ろしいことが書いてあります。

区長はこういう事を裏で知りながら「5病院構想」など掲げて再選したわけです。

いやはや、すごいものです。

なお、日大光が丘病院は、夜間救急小児医療や周産期医療で重要な役割を果たしていた(る)と理解する。

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