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2011年10月10日 (月)

朝霞公務員宿舎の昔(その3)

朝霞公務員宿舎のことが気になってしまい、昔は、どうであったのかと調べてみた。

1) 対象地の位置

Yahoo地図により場所を示すと次の場所で、東部線朝霞駅に近く、朝霞市役所の南に広がっている。

2) キャンプ朝霞北地区

米軍から返還されたキャンプ朝霞北地区の一部に公務員宿舎を建設するのが問題の案件である。念のために、朝霞市の跡地利用計画を再度掲げる。なお、返還地は、下の跡地利用計画の着色部分のみではなく、大きい範囲である。既に利用されている土地には、朝霞第8小学校、朝霞中央公園、総合体育館、朝霞第4中学校、青葉台公園、中央公民館コミュニティセンター、市立老人ホーム朝光苑、市立図書館、朝霞第一中学校、朝霞西高等学校、朝霞保健所、埼玉県社会福祉事業団施設の向陽園、朝霞郵便局、朝霞税務署がある。(これら施設のうち下図で着色部分に存在するのは、朝霞中央公園、総合体育館、青葉台公園、中央公民館コミュニティセンター、市立図書館、朝霞保健所、朝霞郵便局、朝霞税務署である。学校は全て白色部分にある。)

Photo 

次がGoogle Earthによる2009年10月1日撮影の画像である。分かりやすいように、東武東上線朝霞駅、朝霞市役所、朝霞保健所にマーキングをした。

Asakagoo2009 

3) 陸軍被服廠

現在の陸上自衛隊朝霞駐屯地に陸軍予科士官学校があった。そのすぐ北の土地に、1940年頃から陸軍被服廠が、建設された。陸軍被服廠とは、陸軍の軍服や軍靴そして鉄兜や防毒面、航空服、脚絆、毛布、背嚢、救命具などを製造し、保管していた陸軍の工場と倉庫である。その当時の航空写真が次であり、国土地理院国土変遷アーカイブからで、陸軍により1944年11月7日撮影の写真8921-C5-115からである。当時は、3000人が働き、戦争末期には近隣の女学校からも大勢が勤労奉仕で働いた。

Asakaarmy1944 

4) キャンプ朝霞(キャンプ・ドレイク)

1945年10月から米軍キャンプとなったわけであるが、その当時の航空写真(1961年11月6日国土地理院撮影)を国土地理院国土変遷アーカイブから見ると次の通りである。

Asakagsi1961 

5) 調査結果

国土地理院の国土変遷アーカイブの写真は、国土地理院のホームページから直接見ていただいた方が、鮮明です。調査結果として、思うことは、この土地は緑の森林ではなかったことです。陸軍被服廠の前は、農地であったはず。農民から、安い二束三文の価格で、戦争に協力しないのは非国民だとして、当時の軍国主義国家が奪い取ったに近い土地であろうと思う。陸軍の土地になり、占領軍が取り上げた。占領軍である米国政府が土地を返還するのは日本政府である。日本政府は、地元自治体とも協議をしつつ実質そのほとんどを地元自治体に譲渡したというのが実態と思う。

米軍返還地に学校を建設し、公共施設を建設し、公園を整備する。必要な手続きを踏み、住民の同意があれば、何ら変な部分は無いと思う。全体では、60-70ヘクタールの土地と思うが、そのうち市役所に近い3ヘクタール(うち1.8ヘクタールは緑の免責とする)に公務員宿舎を建設して悪いのだろうか?総合的な良い計画が出来ている必要があるが、それほど変な計画と思えない。事業仕分けで、緑を残さないから悪いと叫んで計画をつぶそうとしたのか、理解に苦しむ。米軍のキャンプ・ドレイク時代も陸軍被服廠時代も、緑があったと感じられない。中には、都市開発用地(広沢土地区画整理)として住宅地・商業地となった土地が3.1ヘクタール存在するが。

今回も不合理な意見を述べ、相手の意見を聞こうとしない事業仕分けのバカの一面を見てしまった気がする。この土地には、過去に、お国のためにと陸軍被服廠用地に土地を供出した人達がいる。せめて、その人達の思いもこめて、有効に土地を利用せねばならないと思う。

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