八ッ場ダムについて
八ッ場ダムの建設を進めるようなニュースが出てきたりしている。
平成24年度において工事予算をとりあえず計上しておくのみであり、完全な決定ではないのかもしれない。一方、八ッ場ダムの建設中止は、民主党が選挙で掲げた目玉政策であった。マニフェストが、どうと、今更言うつもりはないが、せめて国民的議論を行った上で、方針を決定しないと、民主党とは政権を取って権力にありつきたい人達の集団であって、理念も理性さえも無い集団になると思う。
そこで、11月25日のブログに書いたように、国交省関東地方整備局の「検証に係わる検討」(以下「検討書」と略す。)が出てきたのであり、私なりに、考えるポイントを書いてみたい。これを読んで、賛成や反対の意見を述べてもらいたいし、逆に反論等も書き込んで欲しい。
前書き
八ッ場ダムの目的は、洪水調節、流水の正常な機能の維持、都市用水の補給および発電の4目的である。(検討書3-1ページ)このそれぞれについて、私のポイントを書いてみたい。順序は、都合により(1)発電、(2)洪水調節、(3)用水補給、(4)正常な流水維持の順序とする。
(1) 発電
八ッ場ダムでの発電には、ほとんど期待できない。11,700kWの発電機が設置されるが、ダムが満水の583mの標高までの水位があり、かつ13.6m3/秒の水が流れる時である。常時は、満水ではなく、流すのは河川維持水としての2.4m3/秒である。即ち、常時の発電は1400kW-1500kWである。従い、年間発電量としては13,000MWh-14,000MWhが期待できると考えられる。
しかし、検討書4-222ページに次の記載がある。
「ダム案」は、減電補償が必要であり、これに対応する分量のCO2 排出量が増大する。一方で、群馬県企業局による新規発電が予定されており、これに対応する分量のCO2 排出量が減少する。 |
群馬県企業局の新規発電が、八ッ場ダムでの発電かどうか不明であるが、東京電力の松谷発電所及びその下流の原町発電所等での水力発電が減少することを述べている。実際には、水をどう流すかにより決まるが、八ッ場ダムでの発電は、発電のためのダムではなく、ダムがあるから発電する。即ち、ダムだけ建設したら、水力発電が減少するのである。こんな複雑な現象が生じるのは、ダムより高い地点で取水している既存発電所が存在するからである。
(2) 洪水調節
ダムは、その時点における水位から満水位までの水位差に貯水が可能な水量が洪水調節機能を果たす。ところで、以前と比べれば、天気予報、降水予報は信頼性が相当高くなった。同じダムであっても、その洪水調節能力が以前より有効に、大きな能力を発揮するように利用可能になっていると考える。もし、大雨による洪水が予想されるのであれば、前もってダム水位を低くし、そのダムの洪水調節水量を大きくしておくことも可能である。あるいは、降雨継続時間、ダムに流入する水量の予測精度が高くなれば、ダムからの流出量の調節をすることによりダムの洪水調節能力を大きくすることも可能である。
もう一つの重要な点は、地震や津波と違って、予測が可能である。仮に被害が予想されても、ある程度の避難時間を取れる。一方で、ダムで100%洪水を防ぐことは不可能である。1000年に1回の洪水が起これば、気象予報システムを利用して、被害を最小限に食い止めようとするのが賢いはず。八ッ場ダムを建設するより、その方が、よほど効果があるように思う。
検討書4-20ページにに、昭和11年~平成19年までの72年間における流域平均3日雨量が100mm以上の62洪水について、八斗島地点の実績流量と実績降雨の関係を示した次の図4-2-13がある。
昭和22年9月が飛び抜けて流量が大きい。そこで、実際の八斗島での流量と河川水位を国土交通省の水文水質データベースから、平成10年(1998年)9月と平成19年(2007年)9月の記録を抜き出しグラフに書いてみた。なお、八斗島とは、利根川が烏川と合流した直後の地点であり、渡良瀬遊水池からの流れと合流する前である。河川流量は、すぐ下流の渡良瀬遊水池からの合流で利根川最大となり、その下流で江戸川に分岐して、少し流量が減少する。参考として、検討書2-44ページの図2-4-1を掲げておく。
河川水位が堤防の高さより低ければ、氾濫が押さえられたことになる。水位ゼロ高さは、堤防の中程の所にあり、通常はマイナスの河川水位である。八斗島の氾濫注意水位は1.90mで、避難判断水位4.50m、氾濫危険水位が4.90mである。従い、1998年(最高水位3.36m)の時も、2007年(最高水位3.13m)の時も、避難判断水位4.50mに達せず、1m以上余裕があったのである。
そうなると、八ッ場ダムは、オオカミ少年のようにも思える。
なお、ダムでの洪水調節は存在する。2007年9月の場合は、神流川の水量が多く、下久保ダムは24時間で30,000千m3以上の水を貯水した。2007年9月の利根川6ダムの貯水量の推移グラフを掲げる。7ダム目が必要かである。
(3) 用水補給
水についても、降水予報により対処可能な部分がある。例えば、今年の夏の降水量が少ないと予想されれば、既存のダムの貯水量を例年より多くして待機するのである。また、水は他の地域から運搬することも可能である。海水淡水化でも作ることができる。万一の場合は、供給圧力を落として、節水を呼びかけることも可能である。水が全くなくなるのではなく、やりくりして過ごすことも可能である。
そもそもダムを作っても、ダムから水を引くわけではない。下流で取水するのである。言ってみれば、平年はダムなど必要としない。渇水になった時に、もしダムに100m3貯水してあれば、それを放流し、そして下流でAは50m3、Bは30m3、Cは20m2と取水する権利を有しているとして取水するのである。
ダムがないと水が利用できないというのは、論理的に変であると思う。渇水時のことであり、東京都なら、多摩川取水もあり、利根川、多摩川同時渇水は、ほとんど生じないと思う。また、地方自治体エゴイズムを止めれば、水は充分あるのではとも思う。渇水時には、それぞれの取水利権を融通しあってやりくりすることがあって良いと思う。政府からの補助金を確保したから、何が何でもその補助金を使って水事業をするのだという考え方があるように思えて仕方ないのが水である。
(4) 正常な流水維持
一体何でしょうか?別の言葉で言えば、環境保全です。しかし、ダムとは、環境を破壊するものである。一方で、破壊したから、せめてダムからは環境維持のための放流を正常な流水維持として実施するというのも、本末転倒の様な気がする。
そもそも、人間が手を付けること自身が、環境破壊ではないだろうか。時々渇水になり、洪水になる。それも守るべき環境ではないだろうか。生活を脅かす。生活のためには、自然にも多少は手を加え、コントロールせざるを得ない。自然に手を加えるのは、最小限度に止めておくべきではないかと思う。
自然の厳しさも愛すべきものと思う。八ッ場ダムとは、自然破壊であることを認識し、八ッ場ダム建設により破壊し、且つ簡単に元に戻せない自然環境を失うこと。これらのことよりも、建設による受益が大きいのか、本当に受益があるのかを、充分考えて決定すべきである。
冒頭にも書いたように、嘘つき政治家が決定してはならない。国民の間で、議論をして決定すべきである。
| 固定リンク
コメント