タイタニック号沈没の謎
豪華大型客船タイニック号は1912年4月11日正午頃にに英国サザンプトンを出港し、初航海に就航した。英国サザンプトン港を出港からフランスのシェルブール港に向かい、シェルブールで270人あまりの乗客を乗せた後、アイルランドのクイーンズタウン(現時はコーク:Cobh)に向かい翌12日朝沖合に停泊した。そして、目的地ニューヨークに向けて出港したが、4月14日の23時40分頃氷山に衝突し、15日深夜2時20分頃沈没した。沈没地点は、既に航海の半分以上を過ぎていた。
船客、船員合計2228人のうち、助かったのは半数以下の705人であった。これが有名なタイタニック号の話であり、沈没から丁度100年が経過する。
1) タイタニック号
全長269m、幅28m、喫水(水面から船底までの深さ)10.5m、排水量52,310トン、船客定員2,435名である。3軸推進で、中央のプロペラは16,000馬力蒸気タービン駆動、左右プロペラは蒸気往復動機関15,000馬力の合計46,000馬力、航海速力約21ノットであった。
Titanic写真
飛鳥IIが、日本の客船として現在最大と理解するが、飛鳥IIは、全長241m、幅29.6m、喫水7.5m、船客定員800名なので、タイタニック号は、飛鳥IIより大きい。戦艦大和も全長263mであり、タイタニック号の方がわずかに長い。
2) 沈没原因
氷山に衝突したのが、直接の原因であるが、それでも2時間40分ほどで、この大型船が沈没してしまった。あまりにも早いのである。最も有力な説は、リベット説である。リベットとは、古い鉄橋で見かけることがあるが、ボルトの様に見えるが、ねじがなく丸い頭となっている物である。役目はボルトと全く同じで、鋼板や鋼材を接合するのに使用する。20世紀初めは、リベット全盛期である。溶接が本格的に使われ始めたのは、戦後になってからである。
(参考まで、リベットで造られた船が今でも見れるのは、横浜港の氷川丸と東京港の宗谷である。両船とも、戦前に建造された船である。)
沈没したタイタニック号の海底位置が判明したのが1985年であった。1996年に船首部分の鋼板が海底の泥の中で発見され、やがてリベットも発見、引き上げられた。そして、そのリベットを分析すると、スラグが多い、品質に問題があるリベットであることが判明した。
船の鋼板は、水が入ってこないようにしているより、構造材そのものである。むしろ船の肋骨は構造材であるより、構造材である鋼板(外板)を支えている支持材である。従い、鋼板と鋼板をつないでいるリベットが吹き飛べば、船はもろいものである。
リベット説を納得させるもう一つが、同時期に建造された姉妹船オリンピック号である。こちらは、1908年12月16日起工、1910年10月進水、1911年6月の初航海なので、タイタニック号より9月ほど早く完成している。オリンピック号は、1935年まで就航し、その後スクラップとなったのであるが、1911年に英国軍艦ホーク号(Hawke)と衝突事故を起こしている。その時の写真を見ると、オリンピック号の舷側鋼板のめくれ方がすごいのである。
3) 死亡者多すぎ
どう考えても、多すぎるのである。氷山衝突そのものでは全員無事であるのだから、本来であれば、ほとんどの人が絶対助かった可能性が高いはず。救命ボートの数が少なすぎた。但し、これにも、英国の当時のルールでは、基準以上のボートをタイタニック号は用意していたとの説もある。
衝突当時タイタニック号は20ノット以上の航海速度で走行していた。実は、氷山が当該海域にあり、危険であることの情報はタイタニック号に伝わっていたはずであり、警戒して低速走行も可能であったはずである。歯切れが少し悪いが、競争しているキュナード社に負けまいとして、減速せずに極力最短距離と最高速度で航海していたとの説がある。更に、タイタニック号は当時としては、最高の通信設備を備え、通信員も乗船していた。しかし、通信の最大の目的は、乗客が陸地と連絡を取るための通信サービスの提供だったりしたらしい。そのため、他の船から入ってきた氷山情報も船長に的確に伝わらなかったとの説もある。
そもそもタイタニック号とは、不沈船として設計・建造されていたのである。そんな馬鹿なであるが、船とは幅方向にバルクヘッドと呼ぶ仕切りで仕切られており、1区画にダメージがあっても広がらなければ、沈まないように設計することは可能だからである。それを、タイタニック号は2区画で設計していたという訳である。
何か一つでも、余裕があれば、これほど死亡者が多すぎなかった気がするのである。
4) 福島第一原子力発電所事故
頭をよぎるのは、福島第一原発である。タイタニック号は、不沈船神話が存在しないことを証明したのである。原発が、ストレステストに合格したとして、テスト内容は発表されておらず、訳が分からない。言えることは、事故はあり得ると言うことである。
事故があるから、どう対応するかは、考え方により差はでる。タイタニック号は不沈船が存在しないことを証明したにも拘わらず、不沈船艦を建造した馬鹿がいるようだ。しかし、沈没する可能性を認識して、それを考慮して、船を造り続け、利用しているのが現代であるとも言えると考える。
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