荒瀬ダムの撤去については正当な評価が必要
朝日新聞が次のような社説を載せていた。
朝日の社説の主旨は老朽化したダムは撤去すべきであるとして、次の様な論点が記載されていると思う。
私からすると、飛躍がありすぎて、重要な点を見過ごしていると思う。反論を書いてみる。
1) メンテナンスの重要性
土木構造物にもメンテナンスは必要である。朝日の社説が言う水質の悪化や、放水時の振動は不十分なメンテナンスに起因している可能性が高いと思う。ダムは、水を貯蔵する土木構造物であるが、水質悪化を起こしてまで貯水すべきかと言えばNOである。ゲートを適切に開放して、貯水中の水の品質を常に検査し、環境悪化が生じないようにメンテナンスをすべきである。放水時の振動は、ゲートの機器メンテナンス不十分から生じたに間違いないと思う。もし、そうでなければ設計上の欠陥である。
東京オリンピックから60年近くが経過して首都高速の土木構造物他の老朽化が懸念されている。これもメンテナンスが密接に関係する。必要なメンテナンスを続けていくことの重要性である。これからの日本での公共工事とは、新しく土木構造物をつくることの比重よりメンテナンスの比重が重要になっていくはずである。正しい診断をし必要なメンテナンスを実施することの重要性である。八ッ場ダムの建設より既存ダムの確保であり、予算もそのように配分すべきと考える。
荒瀬ダム発電所は、1954年に運転を開始したのであり、撤去まで58年存在した。水力発電所からすると、余りにも若くしてこの世を去ったことになる。次は、私が、この夏日光に行った際に撮影した写真であるが、東京電力日光第二発電所(1,400kW)である。運転を開始したのは、1893年(明治26年)であり120年近く働いている。当時のまま残っているのではないが、多くの人がメンテナンスをして守り続けてきた水力発電所であり、優れた土木構造物であると考える。(日光第二発電所の所在地は憾満ガ淵の入り口付近の左です。)
2) 電源開発と熊本県
荒瀬ダムの建設当時は、メンテナンスや環境保護は声高く叫ばれていなかったと思う。一方で思うのは、荒瀬ダムから約7km上流にある電源開発所有の瀬戸石ダム・瀬戸石発電所のことである。瀬戸石ダム・瀬戸石発電所は1958年の運転開始なので荒瀬ダム・藤本発電所より4年後の完成である。
比較すると次の通りであり、
荒瀬ダム | 瀬戸石ダム | |
所有者 | 熊本県 | 電源開発 |
堤高 | 25.0m | 26.5m |
堤頂長 | 210.8m | 139.4m |
総貯水量 | 10,137,000m3 | 9,930,000m3 |
純貯水量 | 2,400,000m3 | 2,230,000m3 |
発電最大流量 | 134m3/秒 | 134m3/秒 |
発電落差 | 16.00m | 17.15m |
最大出力 | 18,200kW | 20,000kW |
荒瀬ダム・藤本発電所の年間発電量は平年において74,667MWhである。これに現行の中小水力電力買い取り価格1,000kW以上30,000kW未満の消費税不含での24円を掛けると年間17.9億円の収入となる。この24円が絶対に正しいとは言わないが、太陽光に適用される40円よりはるかに安い。それでも18億円の値打ちがあるとも言えるし、荒瀬ダム撤去の代償として同じようにCO2を発生しない太陽光発電で同量の電力を購入すれば年間30億円近い額となる。
3) 地元の負担
朝日の社説には、「ダムに必要な水利権延長の見通しが立たなくなり、10年に改めて撤去を表明するという曲折をたどった。」とある。いくら良い案件であれ代償もなく犠牲を強いてはならない。水利権とは、地元の合意があれば、取得に問題がないはずである。
2010年2月に荒瀬ダム撤去は安易すぎないかを書いて、地元に住んでおられる早野さんからダムの完成後に増水時の浸水被害に翻弄された50年であり、熊本県から住民に虚偽の説明をしていた事が現在判明しているとのコメントを頂いた。その通りなのだろうと思う。
早野さんのコメントに「父達は公平な補償を望んでいたが、一部の住民やこの地に居住していない自然保護団体などの撤去要望の声が大きくなり撤去に進んでしまった。」との言葉もあります。水力発電はCO2を出さないが、自然破壊を伴うことはあり得るし、一方、生じうる自然や環境に対する影響を低減を図ることも可能だし、影響を受ける人達に十分な補償を実施し、合意と納得を得て実施することも可能である。
朝日新聞の社説は、ある一つの角度からのみ眺めていると思う。役に立たないダムや公共工事が存在するのは、その通りである。しかし、個別に多面的に評価して、結論を得るべきである。県の工事だから県議会の決定で進めれば良いのではない。県民と地元の人々の合意と納得が重要であり、早野さんの経験を私なりに生かすとすれば、不利益を受けた人は何時になっても補償を受ける権利を失わないとすることである。民法の時効の考えに反するなら、立法をすればよい。
| 固定リンク
コメント
私のコメントを引用していただきありがとうございました。新聞記者など報道機関は自然保護団体などの言っている事を鵜呑みにし過ぎだと思います。
先日よりダムの撤去が始まっていますが、荒瀬ダムが撤去されても八代海の再生、球磨川の再生(鮎、うなぎの遡上)水の濁りは覚束無いと思います。
私は61歳です、私の家では私が10歳頃電気洗濯機を求めました、その頃は直径10センチ前後の網を2メートル位の竹の先に付けて、鯉フナの稚魚をすくって遊べる位水は綺麗でした。この川の上流域には今の何倍もの人が住んでいたものです、故郷の集落に私の同級生は7人、学校での同級生は53名いました、現在故郷の集落では1人いればいい位過疎です。過疎で人は少なくなのに何故水質が悪くなったか、中性洗剤など生活雑排水をほぼそのまま流している事に起因していると思い発言しても取り上げられませんでした。
下水道設備が整備されていない現在、ダムを壊しても昔の川には戻らないと考えます。
八代海に土砂の供給がないのは荒瀬ダムが存在しているからの発言もおかしな発言です、ダム湖の底は底なしではないのです。ダム設計計画土砂堆積は計画量の半分量で推移してきたと県は発表しています。この堆積量はダムが存在していた期間、球磨川が八代海に供給する土砂の何分の一なのかの話はありませんでした。計画量の半分が溜まった後は毎年建設以前の様に八代海に土砂は全て供給されている事になります、途中で川砂利を建設資材として利用した分は減ります。八代海に稚魚が育たなくなったのは荒瀬ダム原因説は成り立たなくまります。
発電機も現在の物に変えれば発電量も増えたろうに勿体無い資源をなくしました。
原発事故の3日前に県の担当者と原発の電気と水力の電気とどちらの電気を使用したいかと、八代の自宅で話したばかりでした。(半減期が万年単位である事、現在発生している汚染物質の保管場所の確保が出来ていないことなど。)
熊本県はダム湖内の土砂は撤去しても旧宅地に堆積した土砂は撤去しないと言い張っています。
投稿: 早野博之 | 2012年11月 3日 (土) 16時05分
早野博之様
今回もコメントをありがとうございます。2010年2月の「荒瀬ダム撤去は安易すぎないか」についても再度コメントを頂き、地元・現場・現地に実際に住んでおられる方の実感が良く伝わっており、何度も読み返しました。
私の育った場所は、都会の郊外だったので、直径10センチ前後の網を2メートル位の竹の先に付けて、鯉フナの稚魚をすくって遊ぶことはできませんでしたが、それでも田畑があり、トンボやチョウチョ、ドジョウ、カエル等々はいくらでもいました。時には、親に田舎に連れて行ってもらうと、美しい自然に触れることができました。おそらく、ある年代以上の人にとっては、同じだろうと思います。
何時の頃からか、美しかった豊かな自然が日本から消え去って、どこへ行ってもほとんど同じ街並みばかり目立つようになったと思います。その分、実は便利になっています。従い、単なる懐古主義・羨望のみで考えるべきではないと思います。
ダム撤去の前に、多面的・総合的な検討をし、合理的な決定をすべきだったと思います。1年・2年を急ぐべきことではないと思います。荒瀬ダム・藤本発電所が発電していた電力は確実に他の発電が増加する。平年の発電量74,667MWhは、火力発電なら1万KL以上の重油消費です。もし、環境対策を考えるなら、荒瀬ダムの運用を発電量が落ちてでも、環境重視に切り替え、再生可能エネルギーにより荒瀬ダム・藤本発電所の発電を肩代わり可能となった時点で、荒瀬ダム撤去という案も検討できた可能性もあると思います。
投稿: ある経営コンサルタント | 2012年11月 4日 (日) 22時16分