福島原発事故から2年
もし福島原発の事故とは大量の放射性物質の飛散と捕らえれば、1号機の水素爆発が3月12日15:36であり、3号機が14日11:01、4号機が15日6:14であった。しかし、3月11日の津波に対する対策と対応がうまくいっていれば、被害の減少はできたのではと思う。
2年ほど前に書いたブログ等を思い出しつつ、この機会に書き連らねてみる。
一番参考にしたのは、政府事故調(委員長:畑村洋太郎氏)の報告書であり、このWeb Pageからダウンロードすることができる。
1) 事故対応主体は政府か東京電力か
政府と東京電力のどちらかと責任のなすりつけあいで不毛の議論と思われる方もおられると思うが、今後の事故対応に関して重要と思うので、検証をしてみたい。
東京電力は、11日津波による非常用発電機停止の直後に政府に対し、原子力災害対策特別措置法10条1項の通報を行った。(3月11日のこのプレスリリースには、「15時42分に特定事象が発生したと判断」とあるので、その直後の通報と思われる。
原子力災害対策特別措置法10条1項の通報が重大な事故であれば、15条、16条等により総理大臣が本部長となる原子力災害対策本部が設置される。一電力会社の問題としてではなく国家の重要事項として政府と電力会社協力して、事故に立ち向かうことになる。
ところが、政府事故調報告書(概要)6ページには、「3月11日17時42分頃、海江田経産大臣は寺坂保安院らと原子力緊急事態宣言の発出について了承を求めた。総理からの質問に十分な説明をすることができないまま時間が経過し、菅総理は、18:12頃から約5分間、予定されていた与野党党首会談に出席したため、上申手続は一時中断した。同会談から戻った菅総理は、間もなく原子力緊急事態宣言の発出を了承し、同宣言は、同日19時3分に発出された。(ブログ主が要約した部分あり)」とある。実際には、蓄電池の直流電源も喪失していたのであり、制御不能に陥ったトンデモナイ事故である。政府は正確に把握していた。
全てが、このような政府対応であったと思う。イラ菅と称されたぐらいで。それ以外にも、当時の言葉として耳に残っているのは「直ちに影響はない」や「損害賠償は一義的には東京電力である」のような、第三者的発言をした人が多かったことである。原子力災害対策本部や本部長に直接関わっている人が発言する内容ではない。
ところで、今も分からないのが、11日に自衛隊をして、蓄電池を輸送していれば、水素爆発は防げたのではと思う。直流まで電源が失われた状態とは、計器の指示が信頼できない、従い様子について確証は持てず、当然通常のコントロールは失われている。しかも、真っ暗で、そして現場は事故がなくても放射線が高いので簡単に近寄れないのである。パニック状態になって当然だし、発電所にいた人は死の恐怖を感じたのではと思う。
電源車は到着が遅れたことと、地震と津波の瓦礫に加えて余震があり、簡単に役には立たなかった。自衛隊なら夜間飛行・着陸が可能で重量物輸送が可能なヘリコプターを保有している。もし、不十分なら米軍の応援を得る。そこまですべき事態であったと思う。原子力災害対策特別措置法20条4項には、「原子力災害対策本部長は、・・・自衛隊の支援を求める必要があると認めるときは、防衛大臣に対し、部隊等の派遣を要請することができる。 」とある。政府だから許される行為があり、特別事態であるから許されるし、実施する義務もあると考える。
2) 首相視察
このブログで触れたことがあるが、全く意味のない3月12日朝の首相の福島訪問である。それも自衛隊のヘリコプターで。政府事故調報告書(概要)6ページには「今回のような大規模災害・事故が発生した場合において、最高指揮官の立場にある内閣総理大臣が、長時間にわたって官邸を離れ、危険が伴う現地視察を行い、緊急対応に追われていた現地を訪れたことについては、他の代わりとなる人物を派遣して状況を確認させるなどの方法によるべきではなかったのかという点で、なお疑問が残る。」とある。婉曲的表現であるように思うのだが。
3) 情報収集他
政府事故調報告書(概要)4ページからである。「政府における福島第一原発の情報収集拠点であったERC から離れた官邸内において意思決定が行われていたこと、また、官邸内においても、その情報集約拠点である官邸危機管理センターとは離れた別の場所(官邸5 階等)において意思決定が行われていたことなどから情報の不足と偏在が生じ、十分な情報がないままに意思決定せざるを得ない場合も生じたという点は、今回の一つの大きな教訓とすべきである。」なんて、何がどうなってるのかと思う。
東京電力のTV会議の画像の一部が報道関係者や一般に公開されている。なぜあのTV会議の端末のせめて一つを官邸危機管理センターに設置しなかったのかである。「ERC の中に、東京電力本店やオフサイトセンターが東京電力のテレビ会議システムを通じて現場の情報を得ていることを把握している者はほとんどおらず、東京電力のテレビ会議システムをERC にも設置するということに思いが至らなかった。また、情報収集のために、保安院職員を東京電力本店へ派遣するといった積極的な行動も起こさなかった。」と政府事故調報告書(概要)5ページにある。
4) 私の感想
イラ菅でなかったなら、ここまでの被害はなかったような気がする。但し、これで終わっているのではなく、多くの何故を投げかけることにより進歩が得られると考える。それでも、イラ菅に向かっていったのは、海水注入を実施した吉田昌郎所長のみだったのだろうか?その時、東京電力武黒フェローは注入延期を要請したのだから。
東京電力の対応が適格であったかと言えば、そうではない部分が多かったかも知れないと思う。しかし、比較の上では、政府の方が不適切対応が多かったような気がする。イラ菅は、首相として最重要な仕事として、自らの代理として福島事故に対応する政府側の専門家を決めることもしなかったのであるから、国民に対して極めて無責任であったと思う。
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