米紙ワシントンポスト社説の安倍晋三発言批判
次のワシントンポストの4月27日社説(The Post's View)における安倍晋三批判を読んだ。日本の新聞社説では、ここまで明確に政治家の姿勢を批判することはないように思う。読んで、頭の中がすっきりとなった気がする。
April 27 Washington Post (by Editoral Board) Shinzo Abe’s inability to face history
まずタイトルからして「安倍晋三の歴史認識不能」であり、日本の一般紙ではつけないと思った。
「侵略の定義は学問上も国際的にも確立されていない。国家間の出来事は、見る側により異なる。」(The definition of what constitutes aggression has yet to be established in academia or in the international community. Things that happened between nations will look differently depending on which side you view them from.)
との国会での発言に関連してである。
この国会発言とは、4月26日の衆議院内閣委員会における赤嶺政賢(日本共産党)委員の質問に対する答弁と理解する。(衆議院TV 4月26日 内閣委員会)赤嶺委員による村山談話の踏襲についての質問に対して、首相は明確な答えを述べていない。
首相の答弁に「侵略の定義は学問上確立されておらず諸説ある。」との発言はある。これに対して、赤嶺委員は国連総会決議3314で明確であると詰め寄って終わっている。ちなみに、国連総会決議3314とは1974年12月14日の「侵略の定義」(Definition of Aggression)であり、ここにある。添付(ANNEX)に記載の定義を承認するとの文章があり、ANNEXが続いている。なお、ANNEXのみの日本語訳はここにあった。
ところで、ワシントンポストの社説の論評のどの部分に一番感心したかというと、社説の最後の部分(以下に抜粋)である。
An inability to face history will prejudice the more reasonable goals to which South Korea and China also object. Mr. Abe has valid reasons, given the defense spending and assertive behavior of China and North Korea, to favor modernization of Japan’s defense forces. He has good reason to question whether Japan’s “self-defense” constitution, imposed by U.S. occupiers after World War II, allows the nation to come to the aid of its allies in sufficient strength. But his ability to promote reform at home, where many voters remain skeptical, and to reassure suspicious neighbors plummets when he appears to entertain nostalgia for prewar empire.
この社説から思うことは、平和を追求するには、近隣諸国を含む他の国々と相互理解を深めることが第一の出発点としなければならないことである。そのためには、過去の歴史を正しく認識する必要がある。相手を尊重することは、ビジネスにおいては、初歩の初歩である。軍備増強で平和がもたらされる訳ではない。
4月23日のNY Timesの社説はJapan’s Unnecessary Nationalism「不必要な民族主義」と自民党議員の靖国参拝を批判していた。(ここ)
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