オリンピック憲章と2020年東京開催
2020年の東京オリンピック開催を目指して関係者は誘致活動をしている。
日経 5月30日 五輪招致へ治安・財政アピール 都知事、ロシアで
私は、この4月29日のブログで、「東京オリンピック開催の可能性は、消滅したと思った。」と書いた。さて今回、あらためてオリンピック憲章を読み返したのだが。
まず、オリンピズムの根本原則(Fundamental Principles of Olympism)の1であるが、次のように書いてある。(オリンピック憲章は、この日本オリンピック委員会のWebあるいはこの英語版がある。)
Olympism is a philosophy of life, exalting and combining in a balanced whole the qualities of body, will and mind. Blending sport with culture and education, Olympism seeks to create a way of life based on the joy of effort, the educational value of good example, social responsibility and respect for universal fundamental ethical principles.
オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。
英語の方がしっくりと意味が分かる。体、意志、心がバランスした生活を求め、努力することの喜び、実践と社会的責任そして全世界的な普遍的・基本的倫理観の創造を目指すと理解する。
ちなみに、人種や宗教の差別については、根本原則の6に次のような文章がある。
Any form of discrimination with regard to a country or a person on grounds of race, religion, politics, gender or otherwise is incompatible with belonging to the Olympic Movement.
人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない。
Incompatibleであり、相容れないこととなっている。世界の平和を求め、人類の繁栄を追求するなら当然のことである。
そこでもう一度猪瀬氏の発言をチェックすると、このNY Timesの記事であるが、Islamic countries, the only thing they share in common is Allah and they are fighting with each other, and they have classesなんてこと以外にも、記事には次の文章もある。猪瀬氏にとっては自慢しての売り込みであろうが、聞く方にとっては、井の中の蛙の叫びで、インターナショナルでない不適格者とも思われる。
Inose has drawn distinctions between Japan and other cultures in other settings, too. When he visited London in January to promote Tokyo’s bid, he said Tokyo and London were sophisticated and implied that Istanbul was not.
“I don’t mean to flatter, but London is in a developed country whose sense of hospitality is excellent,” Inose told reporters. “Tokyo’s is also excellent. But other cities, not so much.”
私は、オリンピック憲章のように生きていきたいと思う。
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