マララ・ユスフザイの国連でのスピーチ
マララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai )が16歳の誕生日における国連での演説を国連Webテレビで聞いたが、感動的なスピーチと思った。16歳で、このスピーチができるのは、すごい能力であり、それを世界に発信しているのは、日本のどの政治家よりも高い能力があると思った。また、母国語ではない英語で、完璧なスピーチをしたことも私には驚きであった。
国連テレビのマララによるスピーチはここをクリック下さい。
日本の報道としては日経記事を、マララが治療を受けた英国の報道としてはBBCを、そしてマララの母国パキスタンの報道としてはDawnのそれぞれリンクを掲げておきます。
BBC 12 July 2013 Shot Pakistan schoolgirl Malala Yousafzai addresses UN
DAWN 2013-07-13 The Malala movement
1) 教育が最重要の政策
マララは、17分間に及ぶスピーチの最後で”Education is the only solution. Education is First.”と結んだ。久々に耳にする言葉に思えた。世界の紛争地域における紛争解決・和平・平和維持のためには、教育は武力よりはるかに有効であり、貧困からの脱却にも何よりも大切なことである。しかし、現実の世界では、防衛費に多額の税金が投入され、教育はおざなりにされているように思う。教育とは、軍事・防衛のように金を掛けることで充実するほど単純ではなく、教員や制度の充実も必要である。
マララが教育のことを述べた背景には、マララ自信がタリバンにより就学を阻害されそうになったことがある。また、パキスタンにおいて教育環境が良くないことも事実である。しかし、日本もどうなのだろうかと思う。生活保護費の問題や生活保護からの脱却支援が言われるが、一つの大事なことは、生活保護の連鎖・貧困の連鎖をつくならないことであり、生活保護世帯の子どもも十分な教育が受けられるように支援すべきである。高校授業料が無償になっても、授業料以外のお金も必要なのである。大学を卒業してフリーターが良いのだろうか?大学で学問をすれば、それなりに社会に役立つようになるべきであると考える。日本で、不足しているのは、奨学金であると考える。返済が不要な奨学金制度も多くす創設べきである。貧しくても、望めば努力で大学に行けるようにすること。
社会が有能な人材を育成して、社会に役に立てるようにすべきである。ところが、現在は司法修習生の給与制が廃止されて貸与制になったように、日本は人材をつぶす社会になってしまったと感じる。
2) タリバン批判
日本の報道ではあまり出ていないが、タリバンについても、マララは必要な批判をしている。Dawnの記事では引用文として書かれている次の部分である。
The Talib shot me. A bullet that went through the left side of my brain. Thinking the bullet would silence me … but nothing has changed in me but this. Weakness, fear and hopelessness died. Strength, power and courage was born.
「参考意訳:私を襲撃したタリバンは私の左脳を射撃した。弾は私を殺すはずだった。しかし、私は生きている。いや、弱さ・恐怖・絶望が消え去り、力と勇気が生まれてきた。」
A Talib doesn’t know what is written inside this book (Quran). They think God is a tiny conservative being who would send girls to hell for reading books. But the Talib are misusing Islam in the society for their own personal benefits. Pakistan is a peace loving, democratic country. And Islam is a religion of peace, humanity and brotherhood. Islam says it is not only each child’s right but each child’s responsibility.
「参考意訳:タリバンはコーランを正しく読んでいない。タリバンは、本を読む女は、神により地獄に堕ちると考えている。しかし、人々の幸福のためにあるイスラム教を間違って解釈している。パキスタンは平和を愛する民主主義の国である。イスラム教は、平和・人権・人々の愛を求める宗教である。イスラム教の教えには、子どもの権利と子どもの責任がある。」
1997年7月12日に生まれたマララは、15歳の2012年10月9日にパキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州(旧:北方辺境州)スワット(Swat)で学校帰りのバスにタリバンが乗り込んでマララを襲撃した。英文のWiki(ここ)には、襲撃したタリバンはマララがどの娘か判別はついておらず名乗らなければ、全員を殺すと言ったので、マララが名乗り出たとある。(Wikiの出典はこれ)真偽のほどは分からないが、タリバンがマララのみを襲撃したのは事実である。
マララの傷は、重傷であった。頭蓋骨も銃弾でダメージを受けており、治療ではチタンを埋め込んでいる。(参考:このBBC NEWS)
すごい人物である。だから、国連スピーチの始まりの方で、マララの日と名付けられたこの名前は私を意味しているのではなく、女性と男の子・女の子の日であり、弱者としておかれている人々がその権利を回復し幸せな社会を作っていくための日であると述べている。
マララが更に成長し、豊かな幸せな平和な世界を築くための努力をしていくことを期待する。
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コメント
自己が抵抗できないものへの憎しみを、自己へ抵抗できないものへ向けられる。 憎しみのはけ口になる。 連合赤軍は国家家権力にに破れ、民衆を巻き込み、仲間に向けられた。
日清戦争と日露戦争の違いは、日露戦争では、ハーグ陸戦協定を遵守したのに対して。
自治医大、防大医学部なんか、奴隷医だろうに。
投稿: omizo | 2013年7月14日 (日) 20時43分
始めてコメントをさせて頂きます。
実は、私も、彼女の演説に感激し、他のサイトで記事を書きました。 映像を観ながら涙が頬を伝うのを感じましたが、拭うことすら忘れ、この勇気のある小さな英雄を見詰めていました。
ただ、憎むべきことに、TPP(パキスタンのタリバン)は、彼女を殺すことを諦めてはいないのです。 狂信的な独自の教義に凝り固まった宗教の信者は、如何ともし難い事実は、日本のオーム真理教の犯した犯罪に照らしても明らかです。 これ等の「宗教」に依る教義洗脳と近代国家で云う教育とは、根本的に差異が存在するものであるのは明らかですが、この国に於いても、両者を混同する愚かな論者も散見されます。 テロリストも教育に依りテロリストに為ったのだ、と。 呆れた論理で批判するのも馬鹿らしいですが、タリバン系の馬鹿者は、彼女を非難して恥じません。 彼女への銃撃事件そのものを西側の謀略とする者も存在するようです。
しかし、国連で堂々と、自身の抱負を語る彼女へは、全世界から賞賛と支持が寄せられています。 恐らく、歴史に残る演説でしょう。
彼女を治療し、再生させた近代医学の力も偉大です。 そして未だ生命を狙うテロリストから、彼女を保護している英国も旧宗主国として贖罪に値する価値ある行為を実行しつつある、と云えるでしょう。 願わくは、我が国も同じくこのように頼られる存在に為らねばならないのでは、と感じたことでした。
投稿: とら猫イーチ | 2013年7月15日 (月) 23時55分
とら猫イーチさん
コメントをありがとうございます。
彼女の存在は、このような人もいるのだと、その存在だけでもすばらしいと思います。
投稿: ある経営コンサルタント | 2013年7月16日 (火) 01時01分