東京電力福島原発問題
つい先日の8月12日に東京電力福島原発の汚染水流出問題から思うを書いたが、更に事態は悪くなっている様子もうかがえる。水貯蔵タンクから300トンの汚染水が漏れていた問題はINES(国際原子力事象評価尺度)のレベル3に相当することで懸念を持つと同時に東京電力による対応に不安を感じる。
ブルームバーグ 8月23日 安倍政権の原子力政策に暗雲-福島第一原発の汚染水問題が深刻化
しかし、この原子力規制委員会委員長定例会見8月21日速記録の規制委員会田中委員長他委員会側の発言を読むと、多くの実施すべき事項がある中で優先順位を考慮して実施せざるを得ず、完璧を期待することは無理であるが、万全を尽くしたに近いようにも思える。速記録に、毎日新聞の記者と理解するが「2011年12月に収束宣言と冷温停止状態という政府の宣言を取り消す考えがあるか」と質問があり、これに対し、「・・政治的にそういう表現が使われていたわけで、技術的にこれで安全になったから収束ですという意味での収束ではないということは、私も再三申し上げてきた・・」との田中委員長の発言を読んでも、その通りと思う。技術的に考えるべき事項は技術的に考えるのが正しく、政府首脳の発言に惑わされるべきではない。
原子力発電所の事故後の対応については、技術的な評価を最優先とし、ポピュラリズムによる対応はすべきではない。放射線・放射性物質についても、問題がないレベルであるなら、政府は説得に努めるべきであり、風評被害があるからと安全性を過度に厳しくすべきではない。過度な要求は破綻するリスクがある上に、結局は大きな国民の税負担または電気料金の負担にもつながる。
ブルームバーグの記事が触れている東京電力の法的な企業整理については、私は反対である。福島原発は、マイナス資産価値であり、誰も買わない。その結果は、国(政府)が管理せざるを得ない。政府が引き受けるなら、その体制を構築・整備した上でなければ管理不十分に起因する事故の拡大になると予想する。そして、本質としては、やはり、福島及び他の全ての日本の原子力発電の運転と管理は、どうすべきかをじっくりと検討すべきである。この任務は、原子力規制委員会に委ねるべきではない。新しく、組織をつくり、幅広い専門家を入れ、シミュレーションも実施し、全ての議論を公開して、国民が納得できる形で決めるべきである。
私は、原子力発電の単純な国営化には反対である。経営の中身が国民に情報提供され、国民が安心して委ねることができる組織が良い。働く人が公務員の守秘義務を気にするより、内部通報制度で通報者が適切に保護される組織が良い。例えば、日本加圧水型原子力発電株式会社と日本沸騰水型原子力発電株式会社か、60Hz原子力発電株式会社と50Hz原子力発電株式会社が、政府出資があってもよく、既存電力会社と一般株主というような構成が考えられると思う。
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コメント
安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。成り行き次第ということか。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
投稿: noga | 2013年8月25日 (日) 03時04分