憎悪・悪態・貶み
10月7日に京都地裁において、在特会等によるヘイトスピーチの妨害に対して約1200万円の賠償を命じる判決があった。
日経 10月7日 ヘイトスピーチに賠償命令 京都地裁、初の判決
ヘイトスピーチと呼ばれている活動は行きすぎた過激な行為であり、人種差別であり、名誉毀損であるとの判断は、その通りと考える。
人種差別撤廃条約(ここに外務省の参考日本語訳条文があり)は、人種差別を「政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定義している。ヘイトスピーチが、人種差別に該当するという判断は正しい。
日本国憲法第14条1項には、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とあり、「すべて国民」の意味を、私は、日本国民のみならず、地球上のあらゆる国民と解釈する。保護されるべき対象には、北朝鮮国籍の人も含むすべての人であり、一方義務を負うのは、日本国民のみならずあらゆる国民であり、それ故、拉致問題に関して北朝鮮政府に不正を糾弾できると考えている。
一方で、もう一つ思う別の局面がある。ヘイトスピーチをする側に加わっている人達である。その多くは、恵まれた環境にあるのではなく、憲法14条1項の保護を現実にはあまり受けられず、差別される側の人であったのだと思う。差別された結果、自分の中に閉じこめられている恨みを晴らす絶好のチャンスがヘイトスピーチを行うことであった。そう考えると、悲しい悪循環である。
10月8日のNHKクローズアップ現代で「氾濫する“土下座”」を放映していた。土下座が増加しているとは、悲しいことである。土下座によって、何も解決しないからである。TVのニュースで福島原発事故に関する地元説明会で東京電力幹部が説明に訪れ、参加者から「土下座して謝罪しろ!」と発言されて、土下座する。参加者は溜飲が下がったかも知れない。しかし、感情がそうなっても、何も解決しないし、下手をすれば解決が遠ざかり、冷静に話し合った方が、本当は実りが多い。それにも拘わらず、土下座が増加しているとすれば、なぜなのだろうか?
不況?格差拡大?収入減?・・・閉塞感のような雰囲気があり、打つ手が見つからず、例えば相手を罵倒し、土下座を求める。そう言えば、東京電力で思い出したが、会社に自ら乗り込んで社長を罵倒した首相がいた。土下座を求めた訳ではないが、冷静さを失い、自らがすべき仕事が何であるか首相自らは全く分かっていなかったという醜い状態であった。あれも、つい数年前のことと思えば、土下座風潮はあってもうなずけるのかも知れない。
日本が将来成長を取り戻すとすれば、土下座風潮ではない、相手を認める事により、自らがなすべき事を識し、理性を持って、世界の出来事を分析し、他の人々と対話をして理解を深めることであると考える。そうすれば、土下座は過去の死語であり、ヘイトスピーチもあり得ないと考える。一方、ヘイトスピーチの大規模版は、アルカイダなのだろうと思う。アルカイダは米国の金持を狙っている連中かとも思っていたが、ケニアのナイロビのショッピングセンター事件を考えると、米国の金持以外でも危ない目に遭うかも知れない。アルカイダについても、武力のみではない根本的な対応が必要と考える。
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