大川小学校被災校舎保存
大川小学校の被災校舎が保存されるようです。
河北新報 3月9日 <大川小>保存が解体を上回る 地区住民調査
石巻市立大川小学校では、2011年3月11日の津波で全校児童108人中74人、教員13人のうち10人が死亡又は行方不明となった。2011年6月5日にこのブログで書いたことがある。
何故そんなに多くの児童と教員が亡くなったのかであるが、2014年2月26日付け大川小学校事故検証報告書によれば、小学校がある釜谷地区の住民209人中での死者は175人であった。被災死亡率は、むしろ住民の方が多かった。
地震が発生した14時46分直後の緊急地震速報があり、宮城県の予想は津波高さ6mとされた。これが宮城県について10mに変更されたのが15時14分であり、大川小学校付近に津波が到達した予想時刻は15時24分頃で、15時32分頃にピークとなったと推定される。津波警報を聞いて、校庭に集まらずに、避難をしていれば助かった可能性が高い。しかし、釜谷地区の住民についての避難行動調査結果(避難ができた人に関する調査:大川小学校事故検証報告書の75ページ)では、行動が判明した30人のうち津波について津波を見聞きする前に避難行動に入った人が3人、津波そのものを目撃して避難行動を取った人が10人、津波を目撃した人に言われて避難行動に入った人が17人である。警報を聞いて、避難したと答えた人がいなかった。
ほとんどの人は、津波は来ないと安心しきっておられたのだと思う。標高は約5mだが、海岸からは2.4km程入った所である。集落が存在するそのような場所は、日本中どこにでもある。そのような場所で起こった津波災害であるからこそ、将来に向けての警告のために校舎保存がされることは望ましいと考える。決して釜石市の学校関係者や市役所、消防等の職員のみの為だけではない。気象庁を含め政府関係者は勿論であるが、私たちが常に注意を払っておけるためでもある。
| 固定リンク
コメント