原発再稼働に思う
日本の原子力発電所は新規性基準の下、福島第二原発のように申請書が提出されていない原発もあるが、電源開発を含め全11社が適合性に係る審査の申請を提出している。その中で、次の3発電所については、許可となっている。
- 九州電力株式会社川内原発1・2号機 2014年9月10日許可
- 関西電力株式会社高浜原発3・4号機 2015年2月12日許可
- 四国電力株式会社伊方原発3号機 2015年7月15日許可
なお、関西電力株式会社高浜発電所3・4号機については4月16日のブログに書いたが、福井地裁により運転差し止め仮処分が認められている。
原子力発電所新規性基準の概要はこの原子力規制委員会Webにある。当然のこととして福島第一原発の事故当時の基準より安全性が高まっていると考える。しかし、技術面のみならず社会的な面、すなわち法的な面での安全性確保も重要と考える。日本社会におけるあいまいな責任体制が、「皆で渡れば怖くない。」の感情を生み出し、単に基準に合っているから問題はない、責任はないとして片付けられるようなことは、原子力にあってはならないと考えるのである。
そのようなことを、あらためて思い浮かばせてくれたのが、この朝日新聞の記事7月28日 三菱重工に賠償9300億円求める 米企業、原発廃炉でである。(三菱重工の7月28日発表はこれ)三菱重工が交換用の蒸気発生器を納入したのは2009年、2010年であり、2013年6月11日のブログ(これ)で書いたように、三菱重工への損害賠償は当時から予想され、サンオノフレ原発全ての廃炉も当時決定された。また、2013年10月13日のブログ(これ)で書いた当時の賠償額は4000億円程度であったようです。9300億円となった理由はよく分からないが、LA Times 7月28日 Edison seeks almost $7.6 billion in damages for nuclear plant には、”Money collected from Mitsubishi would be split 50-50 with customers, said Mindy Spatt, a spokeswoman for the Utility Reform Network.”と、三菱重工から受領した賠償金は地元住民にも50-50の精神で分けるようなことが書いてある。
日本の場合、「原子力損害の賠償に関する法律」により「原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。」となっており、原因者負担になっていない。三菱重工が損害賠償で仲裁申立を受けている件について、どうこう言うことはできないが、原子力損害の賠償に関する法律4条3項にある「製造物責任法の規定は、適用しない」のような部分は非合理であり、無責任体制を生み出すと思う。福島第一原発事故当時、官房長官は一義的に責任は東京電力にありとして政府は間違いを犯していた。結局は、東京電力に全ての責任を押しつけるために原子力損害賠償支援機構法が制定された。原因究明や責任追及は曖昧となり、国民が電気料金または税金で全額を負担することとなった。こんなことなら、まだ米国のように何でも訴訟で解決をして教訓を得る方がよいように思うのである。原子力損害の賠償に関する法律の改正を原発再稼働を機会に考えるべきである。
サンオノフレ原発に関してこのようなWebがあることを知った。サンオノフレ原発は、廃炉の最中である。しかし、廃炉と言ったて、安全とは限らず、下手をすると、運転中よりも危険なこともあり得る。Webは、地元に住むDonna Gilmoreという人が立ち上げ、原発・核燃料等の安全性等に関する科学的な論文等を紹介し、地元を含め多くの人に正確な知識を提供することに努めようとしている。原子力規制委員会の書類を見ても、相当難しい部分がある。マスコミ報道は、薄っぺらで何も伝えていないのとほぼ同じと思えることがある。福島原発事故当時のことであるが、インタビューで「原発は安全と聞かされ、信じていた。」と述べていた人がいた。100%の安全は存在しないのである。安全は人々のたゆまない努力により確保していかねばならない。電力会社・メーカ・政府・政府機関・県・市町村を含めあらゆる組織の言うことをそのまま信じるのではなく、自らが安全性を審査することにより安全が確保される。原発について、そこまで自らが行動することは困難である。しかし、地元にそのような活動をする国民・市民の自主団体が生まれてきてWebを通じて発信するようになれば、日本の原発も相当安全性が高まると考える。
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