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2018年9月 7日 (金)

倉敷市真備町の水害について真実が知りたい

西日本豪雨での倉敷市真備町における水害では、約50人の方が亡くなられ、悲しい災害でした。

せめて避難の開始が少しでも早かったら少しでも犠牲者が少なかったのではと思う次第です。本日の朝日新聞の「でんでんご」という連載での次の記事で思ったのです。

朝日 9月7日 (てんでんこ)西日本豪雨:17 市長の苦悩

有料記事の部分に入ったその冒頭ですが、次のようにあります。

倉敷市長、伊東香織(いとうかおり)(52)のいつになく力強い声が、スピーカーから雨の降り続く真備町地区に響く。呼びかけは避難準備・高齢者等避難開始を発表した7月6日午前11時半に始まり、地区の北側に避難指示を出した翌7日午前1時半すぎまで続いた。

真備町地区で小田川の堤防決壊があったのは7月6日の翌日7日の午前6時52分であった。これまでの報道だと、真備町地区の全域に避難勧告が出されたのは6日午後10時頃であり、更に北側の今回浸水被害があった地域に避難指示が出されたのは7日午前1時半であった。

朝日の本日の記事は、6日午前11時半の避難勧告であり、避難勧告とは強制力は無く避難を呼びかけるだけだが、市長自らがスピーカーで呼びかけたのだとしたら、倉敷市職員を初め消防団員や関係者一同が水害の危険性を、市長が呼びかけた時点で認識していたと思うし、危険性について一致した認識だったと思う。6日午前11時半から翌7日午前6時52分までの19時間までの間、関係者の対応は、どうだったのだろうかと思う。

しかし、現実には50人の死亡者が出た。

当時どのように関係者が考え、どのように行動したのか、調査解明し、反省すべき点とやむを得なかった点を分析し、他の地方自治体や住民・市民・国民に広く公開し、今後は死亡者が一人でも少なくなれば思う次第である。断片的報道より事実の調査と分析が重要と考える。

なお、このブログで私が、本件に関して書いた参考記事はこれです。

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コメント

西予市野村ダムでは、放流開始の連絡を受け、地元の消防団が一軒づつ回って避難を呼びかけた.
「水が来たら、二階に逃げるから」
「それじゃダメだから、今すぐ逃げろ」
現実に二階まで浸水し、二階の屋根に上がって助けを求めている人がいましたが、こうした努力によって多くの方が救われたようです.
予想される被害に対する認識の問題であり、放送で呼びかけてるだけではダメです.

ダム上部に放流ゲートがある場合、ゲートを開いた水位が満水.
ゲートを閉じて放流せずに済むのなら避難の必要はないが、ゲートを開いて放流する必要が認められる状態になったときは、その時の水位に関わらず、その時点で避難指示を出す必要がある.
もしゲートを開かずに済めばもうけものであって、ゲートから放流したならば一時に多量の水が流れ出し、必ず河川が氾濫すると考えて避難する必要がある.

投稿: rumichan | 2018年9月10日 (月) 23時16分

rumichanさん

コメントをありがとうございます。
西予市野村地区では消防団が一軒づつ回って避難を呼びかけたとの報道はあります。野村ダムからの連絡は西予市役所にいったはずです。西予市役所があるのは、野村ダムの上流であり、野村ダムのすぐ下流にあるのが西予市野村支所である。この連携がどうであったのか報道されておらず、消防団員が声をかけることができたのが、何件で何%となるのか、どうなのでしょうね。

ダムのゲートを開けなければ、更に被害は大きかったと思います。それは、もっと早く開けても、避難の時間を確保できず、被害が更に大きかった可能性もあると思います。

投稿: ある経営コンサルタント | 2018年9月11日 (火) 00時53分

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