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2019年12月29日 (日)

太平洋戦争開戦(その8)御前会議

太平洋戦争開戦(その5) において1941年12月1日の御前会議において太平洋戦争の開始が決断されたことを書いた。その決定とは

十一月五日決定ノ帝国々策遂行要領ニ基ク対米交渉遂ニ成立スル至ラス
帝国ハ米英蘭ニ対シ開戦ス

 であった。そこで、1941年11月5日決定の帝国々策遂行要領とは何であるかを見てみることが必要と考える。資料は国立公文書館アジア歴史資料センターの資料からの引用である。

1) 帝国々策遂行要領

帝国々策遂行要領とは1941年11月5日の御前会議において決定された次の文章であった。

一 帝国ハ現下ノ危局ヲ打開シテ自存自衛ヲ完ウシ大東亜ノ新秩序ヲ建設スル為此ノ際対米英戦争ヲ決意シ左記措置ヲ採ル
(一) 武力発動ノ時機ヲ十二月初旬ト定メ陸海軍ハ作戦準備ヲ完成ス
(二) 対米交渉ハ別紙要領ニ依り之ヲ行フ
(三) 独伊トノ提携強化ヲ図ル
(四) 武力発動ノ直前泰トノ間二軍事的緊密関係ヲ樹立ス
ニ 対米交渉ガ十二月一日午前零時迄ニ成功セバ武力発動ヲ中止ス
別紙  対米交渉要領
対米交渉ハ従来懸案トナレル重要事項ノ表現方式ヲ緩和修正スル別記甲案或ハ別記乙案ヲ以テ交渉ニ臨ミ之ガ妥結ヲ図ルモノトス

武力発動の時機を12月初旬として作戦準備を行い、12月1日までに対米交渉が成功すれば、武力発動を中止する。対米交渉の要領は甲案・乙案の通りであるとの決定である。

乙案の内容は、太平洋戦争開戦(その4)日米交渉 の中で、緑字で書いた部分である。乙案に関して、11月5日の御前会議の質疑応答の中で東郷外相は次のことを述べたと質疑応答の概要に記載されている。

外相: ・・・・・乙案ニ就テモ話ハツキ兼ネルト思フ。例ヘハ仏印ノ撤兵ノコトテアル。又第四ノ支那問題ニ就テモ米ハ従来承知セヌコトナノテ承諾シナイノテハナイカト思フ。尚備考ノ2ニ就テ米側ハ日本ノ履行ヲ求メテ居ル訳ナル故中々承諾セヌト思フ。唯日本ノ言分ハ無理トハ思ハヌ。米カ太平洋ノ平和ヲ望ムナラハ、又日本ニ決意アルコトカ反映スレハ米モ考フル所アルヘシト思フ。唯米ニ対シ日本ヨリ武力テ強圧スルト云ウコトニナルカラ反発スルコトニナラントモ限ラヌ。又時間ノ関係ハ短イノテアル。御決定後ニ訓電シテ交渉スルノテアツテ、十一月中ト云フコトテアル故交渉スル時間ニ2週間テアル。之レモ他方面ノ必要カラシテ已ムヲ得ヌ。従ツテ交渉トシテハ成功ヲ期待スルコトハ少イ。望ミハ薄イト考ヘテ居ル。遺憾ナカラ交渉ノ成立ハ望ミ薄テアリマス

相当押さえた言い方と思うが、11月5日の御前会議では、東郷外相にとっては、この言い方が精一杯だったのかも知れない。乙案で日米交渉が妥結するとの見通しは持てていなかったと思う。

御前会議とは、どのような会議であったかは、次の会議次第を見ると分かる。

Gozenkaigi1941115

首相が開会する旨を述べ、首相、外相、企画院総裁、蔵相、軍令部総長、参謀総長が説明を行い、その後質疑応答と意見の開示になる。そして首相が原案可決を述べる。これで入御となり天皇の列席を得る。列席者の花押と天皇の御璽御名がなされる。(御前会議への列席者には、他に枢密院議長、海軍大臣、軍令部次長、参謀次長、内閣書記官長、陸軍事務局長、海軍事務局長がいる。陸軍大臣は東条首相が兼務。軍令部は海軍であり、参謀は陸軍である。)

11月5日の御前会議で、石油に関して、どのように考えられていたかは、企画院総裁の次の説明があった。

第七ニ南方作戦実施ノ場合ニ於キマスル石油ノ総供給量ハ第一年85万竏第二年260万竏第三年530万竏デアリマシテ之に国内貯油840万竏ヲ加ヘ需給ノ見通ヲ付ケマスレバ第一年255万竏、第ニ年15万竏、第三年70万竏ノ残額ヲ有スルコトトナリ辛ウジテ自給態勢ヲ保持シ得ルモノト存ジマス、航空燃料ニ就キマシテハ其ノ消費状況ニ依リマシテ第二年若クハ第三年ニ於テ若干危険ヲ感ズルコトト予想セラレルノデアリマス
即チ大本営連絡会議ニ於キマスル陸海共同研究ノ蘭印占領ニ伴フ石油ノ需給ニヨリマスト
(1) 蘭印ヨリ取得見込量ハ
   第1年 30万竏第2年200万竏第3年450万竏

蘭印とはインドネシアであり、スマトラとカリマンタンから第1年目30万KL、第2年目200万KL、第3年目450万KLを取得するとしている。なお、国内に於ける当時の貯蔵量は840万KLと報告している。(私が、計算してみると、年間消費量・損失量をどう見ているのかよく分からず、うまく計算できない。「辛うじて自給態勢を保持」と強弁していると感じる。)

年間400万KL輸入していた米国からの石油が止まってしまった。その結果蘭印の石油と言うわけである。

東郷外相の説明は、御前会議次第にあるように、首相に次いで2番目であり、次のような説明で結んでいる。日米交渉が所轄の大臣であり、戦争は避けたいとの気持ちが強いと思う。

・・最後ニ付言致シ度イコトハ本交渉成立ノ際ハ帝国政府カ執リマシタル非常措置ハ何レモ当然之ヲ旧ニ復スヘキモノトノ了解ニ基キマシテ折衝ニ臨マントスルコトテ御座イマス。
尚不幸ニシテ本交渉妥結ヲ見サル際ハ帝国ハ独伊両国トノ協力関係ヲ益々緊密ナラシメ・・・・所存テアリマス。

御前会議の質疑応答は、首相の「御意見ナケレバ原案可決ト認メマス」の発言で終わっている。

2) 1941年11月1日大本営政府連絡会議

1941年11月5日の第7回御前会議要領には議題として『 「帝国国策遂行要領」(昭和16年11月1日大本営政府連絡会議決定)』と書かれている。帝国国策遂行要領は11月5日の御前会議で採択されたのだが、帝国国策遂行要領は1941年11月1日の大本営政府連絡会議が実質的な決定とも言えるのであり、この大本営政府連絡会議を調べてみる必要がある。

2-1) 11月2日上奏資料より

1941年11月2日の第66回連絡会議は11月1日午前9時に始まり11月2日午前1時半に終了している。会議終了後、その状況を上奏(天皇への報告)しており、その上奏資料である「11月1日連絡会議状況」(以下、連絡会議状況と略す。)を見ると次のことが書いてある。

議題 3案中の何れを採用すべきか
(1) 戦争を極力避け臥薪嘗胆する
(2) 開戦を直ちに決意し準備を進め外交は期待を措かず単に軍事行動の秘匿を主とする
(3) 開戦決意の下に作戦準備を完整すると共に外交を続行する

(1)の臥薪嘗胆案について、連絡会議状況では、次の様に書かれている。

日本カ限度以上ノ譲歩シテ日米妥協シ一応日米国交調整シタル場合ノ臥薪嘗胆スル場合ニ就テハ既ニ議題研究ニ於テ論議セラレタル如く断シテ採用スヘカラサルモノトシテ即決ス(蔵相、外相特ニ強ク否定ス)

2-2) 杉山メモより

国立公文書館に「日米交渉~開戦への経緯~」というWebがある(Homeはここ)。参考資料室の中で、1941年当時参謀総長であった杉山氏が残した資料を見ることができる。杉山メモからは、11月1日の連絡会議 における生々しいやりとりがうかがえる。

2-2-1)3案中の何れを採用すべきか

(1) 戦争を極力避け臥薪嘗胆する案についてのやりとり

杉山メモで、臥薪嘗胆案についての議論を見ると次である。

(イ) 第一案(戦争ヲヤラヌ案)
賀屋蔵相: 此儘戦争セスニ推移シ3年後ニ米艦隊カ攻勢ヲトツテ来ル場合海軍トシテ戦争ノ勝算アリヤ、否ヤヲ再三質問セリ
永野海軍軍令部長: ソレハ不明ナリ
賀屋蔵相: 米艦隊カ進攻シテ来ルカ来ヌカ
永野海軍軍令部長: 不明タ、5分5分ト思ヘ
賀屋蔵相: 来ヌト思フ、来タ場合ニ海ノ上ノ戦争ハ勝ツカドウカ。(マサカ負ケルトハ統帥部ニ聞ク訳ニユカヌ)
永野海軍軍令部長: 今戦争ヤラスニ3年後ニヤルヨリモ今ヤッテ3年後ノ状態ヲ考ヘルト今ヤル方カ戦争ハヤリヤスイト言ヘル、ソレハ必要ナ地盤カトッテアルカラタ
賀屋蔵相: 勝算カ戦争第3年ニアルノナラ戦争ヤルノモ宜シイカ永野ノ説明ニヨレハ此点不明瞭タ、然モ自分ハ米カ戦争シカケテ来ル公算ハ少イト判断スルカラ結論トシテ今戦争スルノカ良イトハ思ハヌ
東郷外相: 私モ米艦隊カ攻勢ニ来ルトハ思ワヌ、今戦争スル必要ハナイト思フ
永野海軍軍令部長: 「来ラサルヲ恃ム(たのむ)勿レ」ト言フコトモアル
先ハ不明、安心ハ出来ヌ、3年タテハ南ノ防備強クナル。敵艦モ増エル
賀屋蔵相: 然ラハ何時戦争シタラ勝テルカ
永野海軍軍令部長: 今!戦機ハアトニハ来ス(強キ語調ニテ)
鈴木企画院総裁: 賀屋ハ物ノ観点カラ不安ヲモツテ居リ戦争ヤレハ16、17年ハ物的ニハ不利ノ様ニ考ヘテル様タカ心配ハナイ。18年ニハ物ノ関係ハ戦争シタ方カヨクナル、一方統帥部ノ戦略関係ハ時日ヲ経過セバダンダン悪クナルト言フノタカラ此際ハ戦争シタ方カヨイコトトナル(ト再度賀屋東郷ノ説得ニ努メタ)
賀屋蔵相: 未タ疑アリ(トテ第1案ニ対スル質問ヲ打切ル)

カタカナ文であり、句読点が省略されていたり、今の我々には読みにくい面があるが、正確を期するため原文を写した。但し、横書きなので漢数字で表示すると読みにくくなる部分は通常の数字とした。また、原文では役職名が記載されていない部分が多いが、分かりやすくするために役職名を追加した。

東郷外相は「今戦争をする必要なはい。」とまで言って、自説を述べ、また賀屋蔵相も戦争に反対している。しかし、賀屋蔵相の「疑い有り 」とする言葉で議論は遮られ、次の直ちに軍事行動に移す案の議論となった。

(2) 開戦を直ちに決意し準備を進め外交は軍事行動の秘匿とする案についてのやりとり

(ロ)第二案ニ就イテ
賀屋蔵相、東郷外相:只左様に決心スル前ニ2600年ノ青史ヲモツ皇国ノ一大転機テ国運ヲ賭スルモノタカラ何トカ最後ノ交渉ヲヤル様ニシ度イ。外交ヲ誤魔化シテヤレト言フノハ余リヒドイ、乃公ニハ出来ヌ
塚田陸軍 参謀次長: 先ツ以テ決スヘキモノハ今度ノ問題ノ重点タル「開戦ヲ直ニ決意ス」「戦争発起ヲ12月初頭トス」ノ2ツヲ定メナケレハ統帥部トシテハ何モ出来ヌ外交ナトハ右カ定マツテカラ研究シテ貰ヘ度イ、外交ヤルトシテモ右ヲ先ツ定メヨ
伊藤海軍軍令部次長: (此時突如トシテ)海軍トシテハ11月20日迄外交ヲヤッテモ良イ
塚田陸軍参謀次長: 陸軍トシテハ11月13日迄ハヨロシイカソレ以上ハ困ル
東郷外相: 外交ニハ期日ヲ必要トス外相トシテ出来サウナ見込みカ無ケレハ外交ハヤレヌ期日モ条件モソシテ外交カ成功ノ見込カナケレハ外交ハヤレヌ而シテ戦争ハ当然ヤメネハナラヌ(此クシテ東郷ハ時々非戦現状維持ヲ言フ)

右ノ如クニテ外交ノ期日条件等ヲ論議スル必要生シ総理ハ第3案(戦争外交2本立)ヲ併セ討議スルコトヲ提案セリ

軍人と文民大臣とのぶつかり合いであるが、「誤魔化して外交をやるなど、俺には出来ん。」と堂々と連絡会議で東郷外相と賀屋蔵相は述べているのである。しかし、正しいことが通るのではなかった。

(3)開戦決意の下に作戦準備を完整すると共に外交を続行する

(ハ)第三案(第二案ト共ニ研究ス)
塚田陸軍参謀次長: 参本原案ヲ繰リ返シ述ヘ「外交ハ作戦ヲ妨害セサルコト、外交ノ状況ニ左右セラレ期日ヲ変更セヌコト其期日ハ11月13日ナルコト」ヲ主張ス

而シテ此期日11月13日カ大イニ問題トナレリ

東郷外相: 11月13日ハ余リ酷イテハナイカ、海軍ハ11月20日ト言ウテハナイカ
塚田陸軍参謀次長: 作戦準備カ作戦行動其モノタ飛行機ヤ水上艦船等ハ衝突ヲ起スソ
従テ外交打切リノ時機ハ此作戦準備ノ中テ殆ント作戦行動ト見做スヘキ活発ナル準備ノ前日迄ナルヲ要ス之カ11月13日ナノタ
永野海軍軍令部長: 小衝突ハ局部的衝突テ戦争テハナイ
東条総理、東郷外相: 外交ト作戦ト並行シテヤルノテアルカラ外交カ成功シタラ戦争発起ヲトメルコトヲ請合ツテクレネハ困ル
塚田陸軍参謀次長: ソレハ不可ナリ11月13日迄ナレハヨロシカ其以後ハ統帥ヲ察ス
杉山参謀総長、永野海軍軍令部長: 之ハ統帥ヲ危クスルモノタ
島田海軍相: (伊藤海軍軍令部次長ニ向ヒ)発起ノ2昼夜位前迄ハ良イタラウ
塚田陸軍参謀次長: タマツテ居テ下サイソンナコトハ駄目テス 外相ノ所要期日トハ何日カ

右ノ如クシテ外交打切リノ日次カ大激論トナリ20分間休憩スルコトトナル
茲ニ於テ田中第一部長ヲ招致シ総長次長第一部長ニオイテ研究シ「5日前迄ハヨロシカルヘシ」ト結論セラレ之ニ依リ「11月30日迄ハ外交ヲ行フモ可」ト参本トシテハ決定シ再会ス
此間海軍令部モ同様第一部長ヲ招致シ協議セリ。再会ス。

東条総理: 12月1日ニハナラヌカ、1日テモヨイカラ永ク外交ヲヤラセルコトハ出来ヌカ
塚田陸軍参謀次長: 絶対ニイケナイ11月30日以上ハ絶対イカン、イカン
島田海軍相: 塚田君、11月30日ハ何時迄タ夜12時迄ハヨイタラウ
塚田陸軍参謀次長: 夜12時迄ハヨロシイ

右ノ如クシテ12月1日零時(東京時間)ト決ス
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上ノ如クシテ
(イ) 戦争ヲ決意ス
(ロ) 戦争発起ハ12月初旬トス
(ハ) 外交ハ12月1日零時迄トシ之迄ニ外交成功セハ戦争発起ヲ中止ス
ニ関シテハ決定ヲ見タリ

こんな議論の末に12月1日に戦争開始が決まってしまった。

2-2-2) 乙案に関して

甲案は、それまでの日米交渉方針と基本的には同じであった。乙案を米国に提示することについては、連絡会議ですんなりと決まったわけではなく、紛糾した。(仏印とはベトナムである。)

杉山陸軍参謀総長、塚田参謀次長: 乙案ハ支那問題ニ触ルルコトナク仏印ノ兵ヲ徹スルモノニシテ国防的見地カラ国ヲアヤマルコトニナル、仏印ニ兵ヲ駐ムルコトハ、支那ヲシテ日本ノ思フ様ニナラシメ、南方ニ対シテハ之ニヨリ5分5分ニ物ヲトルコトヲ可能ナラシム又戦略態勢ハ対米政策上又支那事変解決上之ニヨリ強クナルノタ、米ト約束シテモ物ヲクレヌカモ知レヌ、乙案ニ不同意、又日次も少ナイカラ新案タル乙案テヤルヨリ甲案テヤレ
東郷外相: 自分ハ先ツ従来ノ交渉ノヤリ方カマズイカラ、条件ノ場面ヲ狭クシエ南ノ方ノ事タケヲ片ツケ支那ノ方ハ、日本自分テヤル様ニシタイ、支那問題ニ米ノ口ヲ容レサセルコトハ不可也、此見地カラスレハ従来ノ対米交渉ハ9ケ国条約ノ復活ヲ多分ニ包蔵シテルモノテ、殊ニ不味イコトヲヤツタモノタ、度々言フ様ニ四原則ノ主義上同意ナト丸テナツテ居ナイ、依テ自分ハ乙案テヤリ度イ、甲案ハ短時日ニ望ミナシト思フ、出来ヌモノヲヤレト言ハルハ困ル
塚田陸軍参謀次長: 南部仏印ノ兵力ヲ徹スルハ絶対ニ不可ナリ、(トテ之ニ付繰リ返シ反論ス)乙案外務原案ニヨレハ支那ノ事ニハ一言モフレス現状ノ儘ナリ又南方カラ物ヲトルコトモ仏印カラ兵ヲ撤スレハ完全ニ米ノ思フ通リニナラサルヲ得スシテ何時テモ米ノ妨害ヲ受ケル、然モ米ノ援蒋ハ中止セス資金凍結解除タケテハ通商ハモトノ通リ殆ント出来ナイ、特ニ油ハ入ツテ来ナイ。此様ニシテ半年後トモナレハ戦機ハ既ニ去ツテ居ル、帝国トシテハ支那カ思フ様ニナラナケレハナラナイ。故ニ乙案ハ不可、甲案テヤレ

以上ノ如ク協議セラレ第3項ヲ「資金凍結前ノ通商状態ヲ回復トシ且油ノ輸入ヲ加フル」如ク改メ又第4項ヲ新ニ加ヘ「支那事変解決ヲ妨害セス」トセルモ南部仏印撤兵問題ハ解決セス

東郷外相: 通商ヲ改メ又第4項ニ支那解決ヲ妨害セスヲ加ヘ而モ南仏撤兵ヲ省ク条件ナレハ外交ハ出来ヌ、之テハ駄目タ、外交ハヤレヌ、戦争ハヤラヌ方宜シ
塚田陸軍参謀次長: タカラ甲案テヤレ
永野海軍軍令部長: 此案テ外交ヤルコト結構タ

右ノ如ク南仏ヨリ北仏ニ移駐スルコト及乙案不可ナルコトニ就テハ杉山陸軍参謀総長・塚田参謀次長ハ声ヲ大ニシテ東郷外相ト激論シ東郷外相ハ之ニ同意セス時ニ非戦ヲ以テ脅威シツツ自説ヲ固持シ此儘議論ヲ進ムルトキハ東郷外相ノ退却即倒閣ノオソレアリ武藤参謀本部軍務局長休憩ヲ提議シ10分間休ム
休憩間杉山参謀総長、東条首相、塚田参謀次長、武藤参謀本部軍務局長別室ニ於テ協議ス

「支那ヲ条件ニ加ヘタル以上ハ乙案ニヨル外交ハ成立セスト判断セラル南仏ヨリノ移駐ヲ拒否スレハ外相ノ辞職即政変ヲモ考ヘサルヘカラス若シ然ル場合次期内閣ノ性格ハ非戦ノ公算多カルヘク又開戦決意迄ニ時日ヲ要スヘシ之際政変並時日遷延ヲ許サルモノアリ」
更ニ右ヲ要約セハ
(イ) 此審議ヲ此上数日延スルコトヲ許サス(統帥上12月初旬ハ絶対也)
(ロ) 倒閣ヲ許サス(之結果非戦内閣出現シ又検討ニ時日ヲ要ス)
(ハ) 条件ヲ緩和スルヤ否ヤ
(イ)(ロ)ハ許サレス(ハ)ヲ如何ニスヘキカ問題ノ鍵ニシテ陸軍トシテ已ムナク折レテ緩和スルカ、スヘテカコワレテモカマワス同意スルカヲ熟慮シソノ結果緩和ニ同意セサルヲ得サルコトトナレリ然ラサレハ外務トノ意見不一致ニテ政変ヲ予期セワルヘカラス又非戦現状維持ニ後退セサルヘカラス
統帥部トシテ参謀総長及次長ハ不精不精ニ之ニ同意セリ

このようにして乙案は連絡会議で同意された。東郷外相としては、全力を尽くしたと思う。乙案を通すことと、米国との外交交渉の日程確保がギリギリできた。しかし、余裕は残されていない。

3) 来栖大使の派遣

外務省は残された日程での米国との交渉に全力を尽くすべく来栖大使を派遣し、交渉は野村大使と来栖大使の2人対し体制で臨むこととした。11月4日に東郷外相から野村大使宛ての電報第730号がその連絡である。この電文に7日の香港発「クリッパア」にて(米国政府の好意的斡旋による)貴地に出張とある。クリッパアとは、ここにWiki があるが、Pan Amが運行していた太平洋横断旅客機サービスであった。在日米国大使館に便宜を図って貰ったのだと思う。 来栖大使が首都ワシントンで交渉に加わったことは、11月17日付の野村大使電報第1118号に書かれている。クリッパア は島伝いに飛行し、首都ワシントンまでは10日程度かかったようである。

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