福島原発事故から10年の教訓(1)
2011年3月11日の東日本大震災の日から10年になろうとしている。東日本大震災の災害・事故で忘れられないことは、東京電力福島第一発電所の津波被害とそれにより引き起こされた放射性物質の拡散・汚染事故である。東電の責任 である。同時に、国の責任であるとしたところで、将来に向けて、我々は何をすべきかが見えてこないと考える。やはり、事故から10年を機会に根本問題を考えてみたいと思う。
1)原子力発電所(原子炉)は、安全か
このそもそもの問に答えるのが第一歩である。そして、その答えは、「原発は危険」となる。例えば、原子炉の最高温度はATOMICAにあるこの表 によれば柏崎刈羽原子力発電所の場合、1710°Cの超高温となっている。PWRの場合は、燃料最高温度を二酸化ウランの溶融点2800°C未満にすると言うことであり、他の原発原子炉でも同じような温度だと思う。原子炉の熱はウラン235が核分裂する際に発生する熱(エネルギー)を蒸気で取り出して蒸気タービンで発電機を駆動して電力を得る。熱は核分裂から発生するが、燃料たるウラン235は運転中の原子炉内にあり、ウラン235の核分裂を制御することにより運転するべき出力(発電)を得る。そして、このウラン235の核分裂とは熱(エネルギー)を発生し、同時に放射性物質を生み出す。(参考: 原子核分裂 、核分裂でできた物質の片割れはどこに? 、核分裂 、原子炉内の生成物 ) 1kgのウラン235 は、核分裂により1kgの他の物質(核分裂生成物)が生まれ、これらは放射線を出す放射性物質である。ちなみに、100万kWの原発を1年間運転したとすると、補充する必要があるウラン235は約1,200kgであり、5%濃縮ウランだと核燃料ベースで24トンの取り替えである。ウラン235 が核分裂生成物になるのであるが、核分裂生成物を燃料棒の内部に完全に閉じ込めることは無理である。5重の壁とか5重の安全性を備えているとしても100%安全にはならない。
2)100%安全の誤解(神話)
福島原発事故を生んだ大きな要因の一つが安全神話(信仰)であったと考える。神話や信仰などと言う言葉は使いたくない。人間は神をつくってはいけない。人間は謙虚であるべきです。真実を見つめ、真実を謙虚に受け止め、努力することが重要です。福島事故の教訓がもたらしたことに、原発近辺の住民避難計画・訓練がある。福島事故以前に誰も言い出せなかった。考えた人はいたと思うが、関係者は口にできなかった。
原発近辺の住民が原発の立地を受け入れていただいていることにより、我々は原発で発電した電気を使える。使うことができた。そう考えたなら、原発近辺の人々が非難するために利用できる高速道路やバス等の輸送手段を受益者の負担により整備することも当然のことのように思える。
今回は、ここまでとします。言いたいことは多くあり、できる限り続けようと思います。
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