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2021年3月11日 (木)

福島原発事故から10年の教訓 (2) 責任問題

2021年2月19日国と東電双方に賠償を命じる判決が東京高裁であった。(参考 日経記事

国の責任と言った場合、国とは何であるのかも考える必要がある。国家賠償法の国とは政府のことである。しかし、政府に故意や過失はない。故意や過失は、人間が犯すものであり、国家賠償法では「公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとき」となっている。 しかし、これは政府と地方自治体のみにあてはまるのではない。民間企業でも同じであり、意思を持ち、判断するのは人間である。損害賠償に関しては、政府や企業をして賠償金を支払わせる必要がある。しかし、事故の原因究明・再発防止・調査/研究にあたっては真摯な取り組みが求められる。

1) 原発は危険であることが顧みられなかった

直前のブログで原発とは危険なものであることを書いた。 ところが、多くの人達は原発の安全性を信じていた。 信じてはいなくとも、危険であると声高に主張することは、はばかれた。関係者の多くは、5重の壁とか5重の安全性と主張し、素人からの批判を相手にしなかった。原発専門家とは、原発があることにより仕事や職を得ている人であり、そうである限りは批判は困難であった。政治家も全く同じ。

ローマクラブが「成長の限界」と言う報告書を出したのが1972年であり、地球上の資源の有限性を警告した。1973年末近くから第1次オイルショックが始まり、原油価格は3年後の1975年末には3倍以上となった。原子力が脚光を浴びて当然であり、燃料資源の輸入国である日本にとって原子力が重点施策となるのは当然のことであった。発電に関しては、国産エネルギーである水力は、当時既に可能なポテンシャルの大部分は開発済みであった。原子力は、コスト面からは燃料費の割合は低く、建設やメンテナンスで国内企業に発注される割合は大きい。

世の中の流れに警告を発することは容易ではない。しかし、誰かが危険性・安全性リスクに関して強い警告を発していても良かったのではと思う。

2) 津波

津波の予見可能性と対策に関しては、裁判で論点になっている(参考:福島民有新聞 2020年5月11日記事 )。2002年の地震調査研究推進本部の「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」という報告書はこれ と理解するが、この報告書で大津波を予見することができ、津波対策を取る責任があったとまで言えるのか、読んでみて私は相当疑問に思った。

原発は危険である。従い、津波対策は万全でなくてはならないとことは明白である。では、福島第一原発1-4号機の場合に何メートルの津波を想定すべきかは、答えられない。国策として原発を推進しているなら、国の機関として津波の基準を定め、各原発の津波対策を評価して合格・不合格を判断すべきである。電力会社による独自判断で対応させ、失敗すれば所有・運転している電力会社であるという論理構成は無責任と考える。

3) 原発実施者

1955年に原子力基本法が制定され、日本の原子力・原発は、この法律により実施されている。原子力利用に関する政策は内閣府の原子力委員会が企画し、審議、決定することとなっている。

原発を保有・運転しているのは上場会社である民間企業である。私は、これに違和感を感じざるを得ないのである。上場会社は利益を追求せねばならない。上場会社は株式会社であり、意思決定機関を構成する取締役等の任期は2年とかであり短期である。そんな組織が計画から運転まで10年。運転期間50年。廃炉何10年。廃棄物処理100年以上といったような長期の業務を果たすのにふさわしい組織とは思えないのである。核燃料サイクルまで考えれば、300年-1000年と言った期間ではと思ってしまう。そして、取りかかったら、止められないのである。止められない例が、電源開発の大間原発だろうと思う。

日本の原発を今直ちに運転を止めても、今後100年以上見守る必要がある。企業で言えば、収入がないのに、支出が100年以上続くのである。特別な法律を制定し、特殊法人を設立して、問題の無い原発体制を構築する以外に方法はないだろうと思う。逆の言い方をすれば、現在日本で原子力発電所を保有している北海道電力、東北電力、東京電力ホールディングス、中部電力、北陸電力、関西電力、中国電力、四国電力、九州電力、日本原子力発電、電源開発の11社が原発事業を譲渡して合理的な原発事業を実施できる特殊法人を作ればよいのだろうと思う。なお、原発事業とは発電事業のみを意味するのではない。原発の廃炉事業や廃棄物処理事業も極めて重要な事業である。

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コメント

-----前略-----
2006年9月に原子力安全委員会が耐震指針を改定し、既存原発が新指針に適合しているかを調べる「バックチェック」が始まった直後の07年7月、新潟県中越沖地震が東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)を直撃した。
-----中略-----

(中越沖地震発生を受けて)
率先して津波想定を見直していた東電は08年3月、「困った事態」に直面する。長期評価を基に、過去に起きた津波のデータを利用して計算すると、福島第1原発は最大15・7mの大津波に襲われるとの結果になったのだ。それまでの高さ5~6mとしていた想定とは天と地ほど違う。

そんな津波が来れば、高さ10mの敷地に原子炉建屋4基が並ぶ福島第1は水没し、緊急用の炉心冷却系統などの電気設備が使えなくなる。

これを防ぐには10mの敷地の上に高さ10mの壁を造る必要がある。こんな計算結果を公表すれば、原発の運転が続けられなくなるかもしれない。だが、これを公表せず、高尾氏ら担当者で抱え込んだままでは中越沖地震の二の舞いだ。高尾氏は上司の酒井俊朗氏、部下の金戸俊道氏と共に、彼らの上司である原子力設備管理部長の○○氏に報告した。○○氏も事態の重大さに「私では判断できない」として、原子力・立地本部副本部長で常務の武藤栄氏に判断を仰ぐことを決めた。
-----以下略-----

この後の経緯、すなわち3.11の規模の津波が来ることを東電は予測していたのに、何も対策を行わなかったのは、皆さんが良くご存じの通りです。

ちなみに○○とは、あなたの大好きな方です。

投稿: rumichan | 2021年3月11日 (木) 06時47分

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