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2022年8月29日 (月)

日露戦争 背景その1 三国干渉

日露戦争の背景として最初にあげる必要があるのは、やはり三国干渉と考える。日清戦争は明治28年(1895年)4月17日に下関で講和条約が締結され終結した。講和条約第2条では「清国は左記の土地の主権並びに城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。」と合意した。この第2条で1番目に記載されていた第1項が次であった。

1 鴨緑江口ヨリ該江ヲ溯リ安平河口ニ至リ該河口ヨリ鳳凰城海城營口ニ亘リ遼河口ニ至ル折線以南ノ地併セテ前記ノ各城市ヲ包含ス而シテ遼河ヲ以テ界トスル處ハ該河ノ中央ヲ以テ經界トスルコトト知ルヘシ 遼東灣東岸及黄海北岸ニ在テ奉天省ニ屬スル諸島嶼

概ね、次の地図の遼東半島(Liaodong Peninsula)で赤線から西南側が日本の主権に属すると合意された地域である。

1 三国干渉

下関条約の批准は、5月8日に日清両国で批准されるべきと条約第11条で合意されていた。合意通り批准はされるのであるが、批准されるより前に独仏露から条約第2条第1項の遼東半島地域の領有放棄するよう勧告があったのである。

林外務次官から陸奥外務大臣宛の4月23日の電報(露国と独国に関する)は次であった。(出所 JACAR レファレンスコード: B03041163100 )

露国公使の談話の大意左の如し -----今般調印されたる和約によれば遼東半島即ち大陸の一部を永久所有さるることになりたれば之を本国政府其他各国も驚きたるならんと信ず。--------遼東半島を担保等のため一時占領せらるるは異議なきことなるべし。依って日本政府はこれらの意を体し名誉を保持するの策を講ぜられんことを希望す。この宣言に対し至急の回答を望む。
独逸公使は面談の説日本文にて左の通り覚書を読み上げたり 本国政府の訓令に従って左の宣言を致します 独逸国政府が日清講和の条件を見れば貴国より請求したる遼東の所有は清国の都府をして何時までも不安全の位地に置き且つ朝鮮の独立をも水泡に帰させ依って東洋平和の永続の妨げになることであると認めねければなりませぬ。それ故に貴国政府が遼東の永久なる所有を断念なさるように本政府が御勧告致します。-----

2 遼東半島還付条約

日本政府は、勧告を受け入れなかった場合には3国からさらに軍事的な干渉を受ける危険性もあるとの判断、また米英からも勧告撤廃に協力を得られないと判断し、三国干渉を受け入れる決断となった。そして同年の1895年11月18日清国と遼東半島還付条約を締結した。

遼東半島は、北京から直線距離なら500km程である。「遼東の所有は清国の都府をして何時までも不安全の位地に置き」という独逸政府の指摘は、地政学から考えるとその通りであり、列強からすれば、遼東半島の主権を日本が獲得することは許せないとの考えになって当然と思う。

日本は下関条約で軍事賠償金として平銀2億両の支払を受けることの合意を得たのであるが、遼東半島還付条約により追加で還付報酬として平銀 3千万両の支払を受け取ることとなった。合計して平銀2億3千万両となるこの金額は、当時の日本の国家予算の4倍近くの金額であった。

3 独・露・仏・英の租借

日本の遼東半島還付で、終わったのではない。1897年9月山東省でドイツ人宣教師殺害事件が起こり、ドイツは賠償金を要求し、膠州湾(Jiaozhou Bay)に艦隊を派遣。ドイツと1898年3月膠州湾租借条約を結んだ。フランスとは、海南島の北に位置する広州湾(Zhanjiang)の租借を1898年5月に。英国とは香港に加えて山東省の威海衛(Weihai)の租借を1898年7月に。ロシアは、1898年3月に旅順口と大連湾の租借、さらにハルビンから大連までの鉄道敷設・経営権を得た。

アヘン戦争でのイギリスにはじまる列強の進出によって、清朝政府は不平等条約を強要された。さらにアロー戦争・太平天国の乱の混乱が続いたが、度重なる国内改革の失敗に終わり、近代化は遅れていた。下関条約によって生じた多額の賠償金支払いには、イギリスなど列強に対して外債を発行し、借款が増加した。

日本は、下関条約の結果として、条約第2条2項の台湾と第3項の澎湖列島を得たのである。

なお、澎湖島への上陸作戦開始は3月23日で澎湖島の清軍の降伏は3月24日であった。台湾については、下関条約が批准された5月8日から25日後の6月2日に引き渡し手続きが行われた。日本軍は5月29日台湾北部に上陸、6月5日基隆を占領、6月6日台北に入城した。そして、6月17日に、台北城で「始政式」行なわれ、台湾が日本の領土となったことが宣言された。しかし、台湾では、清国政府から派遣されていた漢人官僚や、この地に定着していた漢人の民間有力者たちによって、日本への台湾割譲に強く反対する動きがあり。下関条約批准後であるが、5月23日に台湾を「台湾民主国」という1つの国家として独立させる宣言がなされれていた。進軍してきた日本軍部隊との戦闘が行われ、10月21日に日本軍の第2師団の一部が台南に入城・陥落し、崩壊・組織的な動きは途絶えるまで続いた。国際的な承認がなかった台湾民主国は消滅した。そして、11月18日、樺山台湾総督によって、台湾の平定を宣言する報告が行われた。

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2022年8月23日 (火)

本質論ができないのかな?(Asahi vs NHK)

書いてあることが嘘だと言うことではないが、頭に入ってこないことがある。朝日新聞が「夫婦別姓 対立の120日」として、この8回の連載 を8月21日から始めているが、読んでも頭に入ってこない。

そこで、このNHKの記事(2022年3月25日) を読むと、j内容が理解でき、すっきりした。報道により、これほど差があるのだと思った。

夫婦同姓を維持したうえで旧姓の通称使用」とは、何であるのか、便宜的に結婚前の姓を使うとしか私には考えられない。正式に旧姓を使えるようにしたなら、同一人が2つの名称を持つわけで、管理は大変になる。例えば、マインバーカードには2つの姓が記載されることとなるが、どちらを1番目に書いて、2番目は次の姓、そして名前が来る。一方で、相手の同一性を使う人は、姓と名前だけ。

結婚しても、姓を変える必要はない。これで十分である。

そもそも、結婚して姓が変わることが変である。勿論、同一性を名乗りたい人は、名乗れば良い。二人で、新しい姓を決めて名乗っても良いのだろうが、混乱が生じるかも知れない。しかし、マイナンバーカードが普及して、マイナンバーが個人の識別の方法として使う社会になれば、姓と名なんて、いくらでも改名して次々と変わっても良いのかも知れない。余り変えると、社会的信用を失うことになる可能性は大きいかな?でも、昔の日本もそんな社会だった。

明治31年公布の旧民法前は、夫婦同姓の現在の制度ではなかった。従い、日本旧来の制度に戻すなら、夫婦別姓が正しいのである。

山本五十六という人がいた。この人1943年4月18日に死亡して、同年6月5日に国葬により葬儀が行われているのであるが、この人が日露戦争に海軍少尉候補生として日進という一等巡洋艦に乗船している。日本海海戦で、1905年5月27日17時30分頃ロシア艦からの砲撃が前部砲塔の右砲に命中し、この人は負傷している。実は、この人の名前は、高野五十六として記録されている。養子になる前の生まれたときの姓である。

旧民法で恩恵を受けた人も大勢いるとは思う。しかし、逆に悲しい思いをし、不幸であったと感じた人も多いはず。現在でも、夫や妻と一緒に墓には入りたくない。まして、嫁ぎ先の先祖の墓なんて・・・と思っている人は大勢いると思う。法や制度は、人の幸福を追及し、実現するためにある。人を中心として考えていきたい。

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2022年8月19日 (金)

団体理事が逮捕されたときの対処

東京五輪・パラリンピックの元理事高橋氏が8月17日東京地検に逮捕された。しかし、東京五輪・パラリンピッピック競技大会組織委員会のWebページには、何の言及もない。普通の会社でも、受託収賄容疑で検察庁に逮捕された場合は、その会社にとって重大なことであり、会社としての見解を発表する。

ここに東京五輪・パラリンピッピック競技大会組織委員会の「お知らせ」と言うページがあったが、”本ページは令和4年6月30日時点の情報を掲載しています。”との記載あり、普通の感覚では、元理事の受託収賄容疑で逮捕というのは、重大なことのはずだが、まして公益財団法人であり、理事がその地位を利用して賄賂を受け取っていたと逮捕された事実について、組織がダンマリをしていて良いのだろうか?組織そのものの運営もでたらめであるとの解釈を生む余地があると考える。

なお、AOKIは、このような発表をしていた。

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2022年8月 6日 (土)

日露戦争 明治37・38年戦争

8月は太平洋戦争が終わった月であり、1年の中でも平和と戦争を考えることが一番多い月かも知れないと思う。日本が当事者となった戦争は、太平洋戦争に限らない。共通する課題・問題もあるわけで、過去の戦争についても振り返って考える必要があると思う。

日露戦争は明治37年(1904年2月)から明治38年(1905年)夏までの戦争であり、戦闘に参加した日本の軍人と軍属の総数は、戦地と後方勤務の双方をあわせて108万人以上。戦死者・戦傷者は、それぞれ約8万4千人、14万3千人と言われている。日清戦争時の戦死者と比較すると、およそ10倍であった。

日露戦争は、明治37年(1904年)2月4日午前、日本政府の臨時閣議において、ロシアとの外交交渉の打ち切り、外交関係の断絶、軍事行動をとることが決定された。同日午後の緊急御前会議で承認され、翌2月5日に電報で外務大臣小村寿太郎から栗野慎一郎在ロシア公使に伝えら、2月6日栗野公使からロシアのラムスドルフ外相に伝達された。その内容は、小村外相から栗野公使への電報が次の内容であり、このような記名覚書が伝えられた。

(貴官は、左の趣旨の記名覚書をラムスドルフ伯へ提出せらるべし。)
日本国皇帝閣下の特命全権行使なる私は、本国政府の訓令を遵奉しロシア皇帝閣下の外務大臣閣下に対し茲に左の通告をなすの光栄を有す。
日本国政府はロシア帝国政府との関係上将来の紛糾を来すべき各種の原因を除去せむが為あらゆる和協の手段を尽くしたるも其の効なく帝国政府が極東に於ける恒久平和のためになしたる正当の提言並びに穏当且つ無私なる提案も之に対し当然に受くべきの考慮を受けず。従って露国政府との外交関係は今や其の価値を有せざるに至りたるを以て日本帝国政府は其の外交関係を絶つことに決定したり。
私は、更に本国政府の命ににより来るX日を以て帝国公私館員を率いて露京を引揚ぐる意思なることを茲に併せてラムスドルフ伯に通告するの光栄を有する。
出所:「聖坡得斯堡」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B07090546900、日露戦役ノ際在露帝国公館撤退及帝国臣民引揚並米国政府保護一件 第三巻(5-2-1-0-14_003)(外務省外交史料館)

理由として具体的なことは、述べられていない。また、国交断絶としているが、開戦とは書いていない。日本国内に対しては、2月10日付官報号外が次であり、詔勅として掲載された。

Kanpou19040210

冒頭の「天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國皇帝ハ忠實勇武ナル汝有衆ニ示ス。朕茲ニ露國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海軍ハ・・・」という部分は、太平洋戦争開戦の昭和天皇の詔書と一言一句違わず同文である。異なるのは、「露國 」と「米国及び英国」の違いのみ。

詔勅とロシアに提出した記名覚書との違いは、日付が2月6日と2月10日。詔勅では開戦理由に繋がることとして「帝國ノ重ヲ韓國ノ保全ニ置クヤ・・・韓國ノ存亡ハ實ニ帝國安危ノ繋ル所タレハナリ・・露國ハ其ノ淸國トノ明約及列國ニ對スル累次ノ宣言ニ拘ハラス依然滿洲ニ占據シ益々其ノ地歩ヲ鞏固ニシテ終ニ之ヲ併呑セムトス若シ滿洲ニシテ露國ノ領有ニ歸セン乎韓國ノ保全ハ支持スルニ由ナク極東ノ平和亦素ヨリ望ムヘカラス故ニ朕ハ此ノ機ニ際シ切ニ妥協ニ由テ時局ヲ解決シ以テ平和ヲ恆久ニ維持セムコトヲ期シ・・・・」のようなことが書いてある。

実際に戦争が始まったのは、2月6日に連合艦隊が佐世保を出航し、2月9日に旅順港を駆逐艦の水雷で攻撃している。陸軍の先遣部隊を乗せた輸送船団を護衛する別働隊の第2艦隊第4戦隊は、主力と分かれ韓国の仁川に向かい、2月8日仁川に碇泊中のロシア軍艦の巡洋艦ワリヤーグと砲艦コレーツの2隻と小競り合いとなった。仁川港で陸軍部隊の揚陸後、ロシア艦2隻に港外に出るよう要求し、2隻を砲撃。最終的には2月9日に2隻は爆沈と自沈。

朝鮮半島関係としては、2月23日「日韓議定書」が調印され、第三条で大日本帝国政府は大韓帝国の独立及領土保全の確実を保証するとし、第四条で第三国の侵害により若くは内乱のため大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合は大日本帝国政府は速に臨機必要の措置を執る可し。而して大韓帝国政府は右大日本帝国政府の行動を容易ならしむるため十分便宜を与ふること。  大日本帝国政府は前項の目的を達するため軍略上必要な地点を臨機収用できるとした。

日露戦争開始の部分について書いてみた。開戦に至る部分や日本海海戦(Battle of Tsushima)についても続けて書いていきたいと思っています。

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2022年8月 3日 (水)

何~これー オリンピック強化費なの

AOKI側が「オリンピック強化費」として電通の子会社に2億5000万円を支払って、そのうちの2億3000万円が高橋元理事の会社に渡り、そこから数千万円は協賛金として日本馬術連盟と日本セーリング連盟に送られたと書いてあります。

テレ朝NEWS 8月2日 「オリンピック強化費」が高級ステーキ店の赤字補填に… 組織委元理事と電通の関係

どういう連中なんだろうと思います。

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