日航機御巣鷹山墜落(その2)
9月15日にこのブログ 日航機御巣鷹山墜落から41年を書いたのですが、日本航空に関しては触れておらず、日本航空(日航)に関連する疑問を書いてみます。
1) 1978年6月22日大阪空港しりもち事故
日航ボーイング747SR-100(JA8119)は1978年6月2日15時に大阪空港で着陸(厳密には接地)したが飛び上がり460m飛んで、滑走路端から780m先に水平から13度機首を上げた状態で、機体尾部を滑走路にこすって着陸した(滑走路全長は3000m)。 重傷者2名と軽傷者23名を出し、機体を損傷した。 当時の風向きも風速も問題なし。 機体重量は210.8トンで、機体重心位置は17.7%MACであり、問題はなかった。
2) 大阪空港事故による機体修理
修理は羽田空港で行った。 大阪から羽田まで飛べたのである。 それなら、いっそのこと、シアトル・タコマのボーイングまで飛ばして、ボーイングで修理をできなかったかと思うが、どうなのだろう?
圧力隔壁を修理するにあたって寸足らずのスプライス・プレートを使ってしまった。 ボーイングの工場でなら材料はある。 しかし、羽田には寸足らずしかないということからかも知れないと思う。 予想以上に損傷が大きかったのではと思う。 6月15日に大阪から羽田に回送され、17日から修理が実施された。 損傷状態を測定し、修理方法の検討・決定、修理必要部材の手配が2日間でできたのであろうか?
シアトルから輸送しても10時間も要しない。 従い、問題はないという判断であったのだろうか? しかし、現実は不適切な隔壁修理を行い、520人の死亡事故を起こした。
また、ボーイングの修理ミスで片付けて良いのだろうかと思う。 所有者・運行者である日航の責任は、どうなのかと思う。 隔壁修理に関して日航は何をしていたのか? 隔壁は、通常は覆われて見えない位置にあるが、修理時は見れるし、修理の立ち会いを日航側は誰もしていなかったのだろうか?
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