2024年11月13日 (水)

これって超悪徳業者なのか犯罪に近いのか

ゴルフ場運営会社が令和3年4月23日に町からゴルフ場用地を9500万円で取得し、同日4億円で売却したそうな。
土地を売却したのは宮城県加美町で、そのゴルフ場用地はカナディアン・ソーラーという中国系の太陽光発電会社が発電事業を予定しているようです。

ここに加美町が所有権確認等を求める訴訟を提起したときのお知らせがあります。

目に付いた、報道等を列強すると、

読売新聞 2024/7/10

朝日新聞 2024/11/12

ALBANET 2024/9/26

ここに2022年5月付の環境影響評価審査書があり、事業者が選定した環境影響評価項目の妥当性について審査した結果は、概ね妥当であるとの結論になっている。

開発とはその地元の方の意向が優先されるべきと考えます。 ゴルフ場の場所は次である。

 

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2024年10月 9日 (水)

金銭面からの分析で見る日本の原子力発電

2011年3月の福島事故から13年以上を経過したが、日本の原子力発電の現状について、冷静に分析しておくことが重要と考えました。 分析と言っても、巨大な対象であり、金銭面を主体として分析を試みます。

1) 日本の原子力発電所

日本において原子力発電所を保有している会社は次の表1に記載の10社です。 そのうち、稼働状態にあり、現在発電を行っているの3社で6カ所の発電所です。(本ブログの表はクリックで別ページ拡大表示)

Nuclear20249a

原子力による発電が、日本において占める割合を現したのが表2です。

Nuclear20249b

表2の発電量は、発電機が発電した電力の量ではなく、発電所が送電した電力量としています。 揚水発電は水力に含めています。 また、自家発電による発電については、発電して自家消費した電力量と外部送電・供給した電力量の双方を含んでいます。 表2の電源構成割合を2015年以後について示す日本の電源構成の割合の推移グラフを作成しました。

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再生可能エネルギーは、風力、太陽光、地熱、バイオマス、廃棄物による発電としました。 2023年度の再生可能エネルギーによる発電量は200,562,466MWhであり、原子力発電80,283,706MWhの2.5倍でした。

2) 保有会社の原発に関するコスト

表3が、表1に掲げた原発保有会社の原子力発電の発電費(発電原価)です。 上側の表3Aが直近の2023年4月から2024年3月までの1年間で、下側の表3Bは、その1年前の2022年4月から2023年3月までの1年間です。 これら発電費は、各社の有価証券報告書(日本原子力発電は会社概況書)からです。

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様々なことが言えるが、幾つかについて以下に記述します。

2-1) 運転(発電)していなくても、高い維持費・固定費

上の表1の通り、日本全体で稼働している原発は3分の1。 運転・稼働している3社の原子力発電費合計は2023年度8195億円で、2022年度は6590億円である。 これを表1の発電量で割り算して発電コスト単価を計算すると、2023年度関西電力10.04円/kWh、四国電力13.39円/kWh、九州電力9.79円/kWhとなり、2022年度はそれぞれ12.65円/kWh円、10.15/kWh、12.61円/kWhとなる。

発電していなかった7社の原子力発電費の合計は2023年度1兆1270億円、2022年度8204億円である。 10社を合計して、日本全体で1社の原子力発電会社であると仮定して、その費用合計を発電電力合計で割り算して発電コストを計算すると2023年度24.2円/kWh、2022年度27.6円/kWhとなる。

なお、10社合計で2023年度の発電コストが2022年より高いのは、東京電力の原賠・廃炉等支援機構特別負担金2300億円(福島原発の賠償費関係)の影響が大きい。 このことについては、「3) 原賠・廃炉等支援機構負担金(福島事故の賠償支援) 」で更に記述する。

2-2) 原発の安い燃料費

原発とは、ウラン235やプルトニウム239が核分裂する際に発生するエネルギー(熱)を利用し、蒸気を発生させ、蒸気タービンを駆動させ、発電する。 燃料棒と呼ばれている燃料集合体は、原子炉の運転開始後約1年で、その4分の1~5分の1取り替える。 この取り替え分を、燃料費(核燃料減損)として計上しており、火力発電の燃料費に相当する。 取り替え分(減耗分)を金額で示したのが、核燃料減損費であり、火力の燃料費に相当する。 発電した電力量で除して燃料費相当額の単価を計算すると、2023年度関西電力0.79円/kWh、四国電力0.78円/kWh、九州電力0.86円/kWhとなり、2022年度はそれぞれ0.75円/kWh円、0.86/kWh、0.86円/kWhとなる。

参考として、火力発電の場合の、燃料消費量を算出してみる。

資源エネルギー庁の電力統計によれば、発電に使用した石炭は、2024年度湿炭で101,131,690トンであり、LNGの発電消費量は37,814,308トンであった。 石炭火力とLNG火力の発電量は、表2に記載の通り282,223,316MWhと295,206,203MWhであった。 この数字を使って、kWhあたりの平均燃料消費量を計算すると、石炭火力は321g/kWhであり、LNG火力は128g/kWhとなる。

価格については、石炭もLNGも全量輸入であり、通関統計から推定が可能である。 結果、本年(1月-8月)の燃料価格は石炭25,000円/トンであり、LNGは95,200円と得られる。 そうすると、石炭火力の321g/kWhとLNG火力の128g/kWhは、金額で表示すると石炭8.96円/kWhとLNG12.19円/kWhとなる。 燃料費のみで考えた場合、原子力は非常に安いのである。

なお、表3A、3Bで燃料費のすぐ下の行に「使用済燃料再処理等拠出金費」が、更にその2行下に「特定放射性廃棄物処分費」と表示されている。 これについて、2-3)及び2-4)で記述する。

2-3) 使用済燃料再処理等拠出金費

この費用は、電力会社が「原子力発電における使用済燃料の再処理等の実施及び廃炉の推進に関する法律」に基づき「使用済燃料再処理・廃炉推進機構 (NURO)」に対して支払った「使用済燃料再処理等拠出金費」です。 金額はこのように、拠出金単価の発表があり、毎年度決定されている。 NUROは、受け取った拠出金を日本原燃株式会社に全額支払っている。 日本原燃における核燃料再処理代金は、MOX燃料への再処理加工設備が、未だ完成しておらず、全額前受金として計上されている。 2024年3月末の前受金残高は1兆5382億円である。

日本原燃は株式会社である。 株主は表1の原発保有電力会社10社が約90%、その他74社が約10%である。 資本金と資本剰余金合計が5771億円であり、負債は合計2兆8536億円で、そのうち1兆5382億円が前受金である。 一方、年間再処理能力800トンUのMOX燃料加工設備は、2024年度上半期に完成予定であったが、2024年8月発表の結果、2028年3月末竣工・2028年夏頃からの操業開始と延期された。 株式会社ではあるが、核燃料サイクル用のMOX燃料製造を担う国策会社であり、日本の核燃料サイクルの方針の下での会社経営であり、通常の株式会社のようには運営できないことがほとんどと思う。

使用済燃料再処理等拠出金を拠出し、それを電力会社が原子力発電費用として処理することについて、その拠出資金単価の妥当性、あるいは核燃料サイクルへの疑問もあるが、情報公開を正しく継続して欲しい。

2-4) 特定放射性廃棄物処分費

この費用は、電力会社が「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」に基づき「原子力発電環境整備機構(NUMO)」に対して支払った拠出金である。 NUMOは、発電用原子炉の運転に伴って生じた使用済燃料の再処理等を行った後に生ずる特定放射性廃棄物の最終処分の実施等を行う法人であり、この法律により設立されている。

NUMOが受領した拠出金は最終処分業務の費用支出に充てるため指定法人となっている「公益財団法人原子力環境整備促進・管理センター」が資金管理を行っている。 その残高は2024年3月で1兆1241億円となっている。

特定放射性廃棄物とは、使用済燃料の再処理の際に有用物質を分離した後に残存する放射性廃棄物であり、高濃度の第一種とそれ以外の第二種に分類されている。 「最終処分」とは、地下300メートル以上の政令で定める深さの地層において、特定放射性廃棄物及びこれによって汚染された物が飛散し、流出し、又は地下に浸透することがないように必要な措置を講じて安全かつ確実に埋設し、処分することである。

一体、どれくらいの期間で安全と言えるレベルになるかですが、次の図は電気事業連合会の高レベル放射性廃棄物の地層処分というWebページにある図です。 天然のウラン鉱石が放出する放射線のレベルにまで達するには、数万年を要するのです。 

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特定放射性廃棄物処分費は、核燃料再処理の結果発生する廃棄物の処理費であり、再処理の対象でない原子炉や様々な機器・建物・構築物等の廃棄処分費はこれに含まれません。

特定放射性廃棄物処分費に該当しない費用は、表3の4行目の廃棄物処理費または、原子力発電施設解体費になると理解します。 次の工程図は、この東海発電所廃止措置状況の4ページ目にあった工程表ですが、2001年に廃止措置に着手してから20年以上経過するが、未だ原子炉本体の解体には至っていない状態である。 安全が第一であり、原発廃止は時間を要するが、同時に費用もかさむと言えます。

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3) 原賠・廃炉等支援機構負担金(福島事故の賠償支援)

この負担金は、福島事故後の2011年8月に公布された「原子力損害賠償・廃炉等支援機構法」により設立された「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」への支払である。 法の第1条に目的が書いてあるが、(1) 1200億円を超える賠償が発生した場合に賠償のための資金交付等を行うこと、及び(2) 地震、火災その他の災害により原発の廃炉を実施をする際の支援が法の目的であり、機構が担う業務となっている。

法は、表1の原子力事業者10社と再処理会社日本原燃が、機構に一般負担金を納付することを義務づけられている。 表3Aで10社合計1923億円(2023年度)の原賠・廃炉等支援機構一般負担金がこの負担金であり、2011以後納付された金額は合計2兆1008億円である。 負担金等の収入の残余は国庫に納付することになっており、2011年以後に国庫へ納付された納付金合計は2兆8055億円となっている。 一方、国から4340億円の交付金も受けている。

原賠・廃炉等支援機構特別負担金は、東京電力のみ納付しているが、福島事故の賠償等の為に、機構から資金援助を受けたことによる。 2011年以後に東京電力が機構より受けた資金交付額は11兆945億円である。 一方で、負担した特別負担金は7800億円である。 東京電力は、機構に支払う負担金は費用としているが、機構からの交付金の受取は特別利益に計上し、それに見合う費用(特別損失)として原子力損害賠償費として計上したりで非常に分かり辛い。 なお、11兆945億円は巨額であり、東京電力より損害賠償費と除染費用として支払われたのであるが、毎年度の支払額を表4として掲げる。

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11兆円を東京電力は、どのように使途したかであるが、機構の第四次総合特別事業計画(抄)(令和6年4月26日改定。令和6年9月10日軽微な変更) にある項目別賠償額を見ると、次の表がある。

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賠償の支払いは、個人に対する賠償等で2.2兆円、法人や事業関係の賠償で3.3兆円、その他の賠償で2.0兆円であり、賠償額合計は7.6兆円。 これに、除染等で3.6兆円を支出し、2024年2月現在で合計11.2兆円となる。 2024年9月現在で、見込額合計は13兆4千億円となっている。

機構は機構法で設立された法人であり、設立に際して、政府と政府以外の者で出資するとされ、政府70億円と民間出資社12社(表1の10社に加え日本原燃と電源開発)で合計して140億円の資本金である。 機構は、株式会社でなく、株主総会は存在せず、運営委員会の議決により重要事項を決定する。 運営委員は主務大臣の認可を受けて任命される。 機構は、福島原発事故に関連する賠償金支払い支援と廃炉支援をしている。 東京電力ホールディングスに1兆円の出資・資本注入による資金の供与も行っている。 なお、この出資により機構の議決権割合は50.09%となっている。

4) 廃炉費用

「原賠・廃炉等支援機構負担金」は賠償と除染関係であり、廃炉費用は該当しない。 東京電力は原子力損害賠償・廃炉等支援機構に廃炉等積立金として、法55条の3~55条の10により、2018年より毎年積立を行い、同時に廃炉に必要な額を取戻している(参考令和6年9月27日の機構による発表 )。 2018年4月から2024年3月までの6年間に積立てた金額は合計1兆8234億円で、取戻した金額は合計1兆1861億円であり、6731億円が2024年3月末現在の積立金残高となっている。

1兆1861億円は、2018年4月から2024年3月までの6年間に東京電力と機構が適切と認めた金額であるが、2018年3月以前にも廃炉費用は発生している。 機構からの資本注入は、汚染水対策を含め廃炉関係に充当されたと思う。 廃炉、賠償、除染の総額で33兆円(2020年までの期間で11兆円、それ以後に22兆円)必要であるとする次図の概算予想もあった。 (文書のタイトルは第四次総合特別事業計画(抄)で2021年8月4日認定、2023年4月26日変更認定とあり、作成者は機構と東京電力)

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総額33兆円の費用であり、日経 2023年12月15日東京新聞 2024年3月4日の報道のような23.4兆円より10兆円多い33兆円と考えるのが妥当なのだと思います。 

5) 感想

原子力発電について金額面から考えることも重要である。 イメージや感覚での議論で方向性が出されることは、良くない。 原発は、建設地を選定・決定することも容易でない。 しかし、2-4)で書いた特定放射性廃棄物処分のための最終処分地の選定は、それ以上に困難なのだろうと思う。 もしかしたら、処分地が決まらず、地下処分ではなく暫定保管地での保管となることもあり得るのかもと思う。 そうなると、万一事故があれば、福島第一の放射性物質飛散よりはるかに酷い事故がありうるのか、リスクも考えて適切な判断をすることが重要である。

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2024年4月29日 (月)

NHKプロジェクトXとは、

NHKプロジェクトXって、都合の良い部分を取り出して、つなぎ合わせて、物語を作っているという印象であるが、4月27日放送の「厳冬 黒四ダムに挑む~断崖絶壁の輸送作戦~」を見て、過去の放送分であるが、益々そう思えた。

評価とは、本来単純なものではない。様々な分析を加えて評価できる。 評価とは異なるが、番組では昭和38年完成と言っていた。 竣工式を行ったのが1963年(昭和38年)6月5日なので、完成時期を昭和38年と表現するのは正しい。 しかし、竣工式とは単なる式典である。

発電を開始したのは1961年1月15日であった。 大町トンネルの工事では破砕帯に遭遇しトンネル貫通が10ヶ月遅れたが、工事関係者は、発電開始時期を当初計画から2ヶ月半の遅れに止めたのである。 3号機は1962年8月1日運転開始。 また、ダムを満水位まで貯水したのは、1967年であった。 アーチダム(ドームダム)であり、水位上昇に伴うダムや基礎岩盤の変位・変形の精密測定を行いつつ水位を上昇させたのである。

プロジェクトXの手法は部分のみを取り上げて絶賛する。 木を見て森を見ない的な発想と思う。 将来に向けた発想は、そのような部分的フォーカスではない、グローバル的な大きな視野が必要であると私は考えるのだが。

黒部ダムに関しては、今のところシリーズで7本のブログを書いたので、興味のある方は読んで頂ければと思います。

黒部ダム(7)黒部の太陽のウソ・ホント
黒部ダム(6)日本のダム順位
黒部ダム(5)水力発電
黒部ダム(4)どうしてあの場所に?位置選定の理由
黒部ダム(3)環境影響
黒部ダム(2)環境影響評価
黒部ダム(1)観光放水始まる

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2024年2月14日 (水)

朝日新聞の再エネ記事タイトルに驚いた

朝日新聞2月10日号の一面で、この記事タイトルで表示するとは、クリック数で稼ぐSNSと同じようだ。 大新聞とは思えないと感じた。 その記事とタイトルとは、これです。

Asahi20240210

1) 無駄になっているわけではない

発電していない。 電気は生み出されていない。 生産して、生産物が捨てられているわけではないのです。 そもそも全量買取制度において、マーケット変動に関係なく生産した全量が買い取られ、代金が支払われることは、長期契約とは言え、市場経済原則に反すると誰もが考える。

全量を買い取らず、生産量を落とし、目一杯の生産をさせずに、少ない量を引き取り、引き取った分の代金しか払われないかと言えば、引き取っても販売先がないからです。 工場を建設して、完成後の市場変化により計画した量の生産ができないことはあることです。 それを他人のせいにしても、落語の話みたいと思う。

2) 資源エネルギー庁の説明

資源エネルギー庁の説明は、ここにあります。 発電制御とは電力の安定供給が目的です。 停電等供給停止を発生させず、契約した電圧と周波数でユーザーに電気・電力を供給することは重要です。 需要イコール供給となるようにコントロールするのですが、需要はコントロールの対象とせず、供給を需要に合わるようコントロールするのです。 再エネ発電のみならず、あらゆる電気発生装置・機器が発電制御の対象です。 但し、装置・機器の安全確保も重要であり、例えば原発は日本では出力一定の運転を行っており、発電制御の対象外です。

電線を流れる電気は貯蔵されないので、需給バランスの崩れは、電圧と周波数の不安定につながるのですが、それがユーザー内を含め電力供給網の多くの場所に設置された安全装置を働かせてスイッチの遮断、ひいてはその結果によってシーケンス的に生じる更に多くの安全装置の遮断につながる可能性があります。 

電力広域的運用機関(ホームページはここ )が、電気事業法により設立・運営されており、電気事業に係る電気の需給の状況の監視、電気の安定供給のために必要な供給能力の確保の促進等の業務を行っている。 その結果、電気供給に関する公正な監視がなされ、安定供給が維持されていると考えます。

3) 太陽光の発電制御の実際

実際の九州地方における太陽光発電の出力制御を見てみる。 なお、出力制御とは、あらゆる発電機器・装置でなされており、電気回路・システムの安全な運用には欠かせないのである。 原子力発電は、出力変動を生じさせずに運転しているが、一定出力をキープすることにより安全を確保しようとする考え方です。

具体的に九州における電力供給・発電制御を見てみる。 2023年においては、4月9日は太陽光発電が発電制御により抑えられた日であった。 この日の九州地方の時間毎の電力供給は次図であった。

Kyushu2023p1

2023年4月9日の12時の需要は7,409MWであった。 これに対して、太陽光の発電供給力はこの時刻において9,782MWであったと想定されるが、実際にはその発電供給は3,934MWに制御された。 結果、差の5,849MWは発電されなかった想定電力と考えられる。 上図に於いて、黒線が需要であり、赤線が太陽光の想定発電量である。9時から15時までは、太陽光を抑制なしで発電したなら、需要の黒線を9時から15時に於いては上回る。

なお、需要が7,409MWであったとしても、揚水発電の揚水(ポンプアップ)運転を行って需要を増加させることは可能であり、同様に他の系統に電力供給を行って実質的需要(発電必要量)を大きくすることができる。 4月9日12時の揚水動力は1,406MWであり、中国地方系統への供給は1,308MWであった。上図において揚水動力は赤で、他系統への送受電は緑で示し、電力消費になっている場合は、ゼロよし下のマイナス表示とし、電力供給となっている場合はプラス表示としている。

別の例として、1日における太陽光発電がほとんど抑制されなかった日の電力供給・発電制御を見てみる。 2023年6月19日がそれ例で、次図の電力供給であった。

Kyushu2023p2

上の2つの図で抑制しなかった場合の太陽光発電は、大きな差は見られない。 4月9日と6月19日との最大の異なる点は電力需要にある。 4月9日と6月19日の需要量は、187,262MWhと235,201MWhであり、ピーク需要は8,908MWと12,044MWであった。

なお、年間を通じた場合、太陽光発電はどのようなになるか、2023年における九州地方での太陽光発電の毎日の発電量と抑制量は次図のようになった。

Kyushu2023p3

太陽光発電の場合、雨天日の場合は、ほとんど発電せず、日により発電量の差は大きい。 4月、5月は晴天なら発電量は多いが、暖冷房需要は少なく電力需要も小さい。 結果、太陽光発電は出力抑制が必要となる。

そもそも、太陽光発電設備が九州地方に多く、過密状態にあると言える。 次表は、資源エネルギー庁のWebページ(ここ )の特別措置法における再生可能エネルギー発電設備の導入量統計(2023年9月末時点)を地方毎の太陽光発電導入容量と地方の2023年発電量で示している。 なお、導入容量が都道府県単位であり、必ずしも電力系統事業者毎の需要量の地域とは一致しない。 しかし、九州地方については、導入量統計と需要量での地域に差は無い。

Kyushu2023p4

(A)/(B)が九州が11以上であり、他地域より大きい。 その結果が、太陽光発電の発電抑制となっているのである。 どのような場合でも、設備に投資をする場合は、その生産物のマーケットを考えるわけで、九州地方における太陽光発電の発電抑制は予測されたこととも言える。 

本項における情報のほとんどは、電力広域的運用機関の系統情報サービス・でんき予報・広域予備率Web公表システムからです。

4) その他

パリ協定は、世界共通の目標であり温室効果ガスの排出量を削減し1.5℃に気温上昇を抑える努力をすべきです。 この目標の達成には市場の仕組みの構築も重要と考えます。 例えば、九州地方で安い電気が得られるなら、電気がガソリンより格安なら、九州地方は電気自動車がよく売れる。 電気自動車の充電料金が日にちと時間により高くなったり、安くなったりと言うのはどうでしょうか? それともグリーン水素でしょうか? 大規模太陽光発電設備の近くには水を電気分解して水素を生産する設備を建設する。 マイナスの電力価格が導入されれば、電力消費が金を生み出す。 賢い仕組みを考え出すことこそ、将来の夢を実現する方法と思う。

次の日経記事は会員限定となっているが、考えなくてはいけない問題である。

日経 2月6日 太陽光発電「終活」に難題 2030年代、廃棄費足りぬ恐れ

様々なことを考えることは重要です。 冒頭の朝日の記事のように無駄で終わっては悲しいことです。

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2024年1月11日 (木)

黒部ダム(7)黒部の太陽のウソ・ホント

黒部の太陽とは、木元正次氏による黒部ダムと黒部第四発電所の建設を題材にした小説である。 しかし、不可能と言われた破砕帯の突破と言う様な記述は私には誇大と思える。 そこで、小説ではなく、事実に基づいて、建設工事等を記述することをしてみたいと思います。

1) 関電2号トンネル

1-1) 関電2号トンネル

関電2号トンネルとは、1956年8月6日横坑切り取りで着工した扇沢と黒部ダム間を結ぶ物資輸送用の全長5,430m関電トンネルのうち、分割された2号と称された長さ3,527mのトンネル工区である。 2号トンネルとは、4本のトンネル工区に分割の上、施工されたことによる呼び名であり、扇沢側より1号トンネル1,020m、2号トンネル3,527m、3号トンネル402m、4号トンネル481mとなっていた。 また、トンネルの分割地点で3カ所の工事用の横坑が掘られ、横坑は各トンネルの境目にあり104m、55m、45mであり、横坑を掘削して、本トンネルの位置に到達した後に、本トンネルを掘削する工法で掘り進められた。

全長5,430m関電トンネルとは、8月29日のブログで黒部ダム建設・資機材輸送用のトンネルとしてこの地図に掲げた黒部ダムと扇沢を結ぶ間に掘られたトンネルのことであり、現在はこのトンネル内を黒部立山アルペンルートの電気バスが運航されている。

順調に掘り進むことができていていたトンネル工事が、着工翌年の1957年5月1日に破砕帯にぶつかり、大量の出水に遭遇した。 破砕帯は、94.6mであったが、ここを掘削・突破するまで同年12月2日までの215日間を要した。 黒部の太陽が語っているのは、この破砕帯の掘削・突破に係わるトンネル工事を中心とした黒部ダムと黒部第四発電所建設工事についてである。  

1-2) 2号トンネル掘削(大町側)破砕帯遭遇

2号トンネル大町・扇沢側は1956年8月6日に104mの横坑切り取りを開始し、10月13日から2号本抗掘削を開始した。 1957年4月30日に大規模な破砕帯に遭遇した。 この遭遇地点は、2号トンネル東端より1,668m(なお、トンネル反対側の黒部川・西端よりは1,589m)であり、それまでの平均掘削進度は8.34m/日であった。

関電トンネルの位置とその2号トンネルの縦断図は次の通りである。

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破砕帯とは、地殻の変異(主に断層運動)に伴い岩石が機械的に破砕され、破砕,細片化し,帯状に連続分布している地質構造体である。 2号トンネルの破砕帯では4℃という低温の大量ゆう水が発生した。 この対策として2mの円形または正方形の水抜坑を掘削し、同時にボーリング地質調査と薬液注入を行った。 水抜坑の掘削合計延長499m、水抜きボーリング掘進長合計2898mとなった。 シールド工法の準備も行われた。 そして、水抜の効果と考えられるが、ゆう水量と水圧減少の兆候が現れ、10月1日から6月ぶりに本坑の掘削を開始することができ、1日掘進量80cm程度となり、水圧もほとんどなくなった。

尚、ゆう水量の最高は0.66m3(660L)/分で9月20日-28日頃に記録された。 水圧最高は42kg/cm2で、9月12日-18日頃であった。 12月2日、ついに94.6mの破砕帯を突破。 12月5日には全断面掘削に復帰した。

過去のトンネル掘削で破砕帯に遭遇して難工事となった有名なトンネル工事には1918年(大正7年)に掘削を開始し16年を要し1934年(昭和9年)に貫通した丹那トンネル工事がある。 この日本地質学会のWebによれば、最大の難所は40mの破砕帯でこの掘削に34月を要し、トンネル全体での水抜抗の総延長は14,630mとなり、本坑トンネル7,800mの2倍近くに達した。

もう一つあげると山陽新幹線の六甲トンネルであり、1968年のことであった。 工区のトンネル長さ2,500mに対して水抜抗2,950mを掘削したとのこと(参考: 神戸の自然シリーズのこのページ )。

1-3) 2号トンネル貫通

12月2日の破砕帯突破後翌年1958年2月21日に2,604m地点(西端からは923m)に到達し、2号トンネルの貫通にこぎつけた。 なお、関電2号トンネルの西から(黒部川本流側から)の掘削(迎え堀り)が、東側から掘り進んだトンネルと合体する境界は、当初の工区割においては西の黒部川本流側から795m(2号トンネル東端より2,732m)であったので、128mの応援堀を行ったこととなる。 応援堀の終了は1957年11月4日であるが、冬期間の掘削は機材はおろか食料さえ補給が困難なことから工事不可能であった。

2号トンネル扇町側は大型機械・重機を使用できたが、黒部川本流側は立山の一ノ越峠越えの輸送路であり、ほとんどを人力による輸送に依存することから、分解しての輸送を行っても使用機材には限定を受けた。 扇町側はトンネル全断面掘削を採用できたが、黒部川本流側は導坑式掘削工法による掘削で掘り進んだことから、2号トンネル断面の形状(下部の幅6.4m、天井高4.7m)への堀広げを2月22日から実施し、5月10日に完了した。

コンクリート巻立てを切り広げとほぼ同時に施工していており、1号トンネルは1956年8月20日から掘削開始し、1957年12月に切り広げも終了していたことから、1号・2号トンネルを利用して1958年5月に大町側からダムサイトまで重機や資材の搬入が可能となり、また黒部トンネルと圧力トンネルの上流側のトンネル掘削工事に着手することが可能となった。

1958年7月28日に関電3号トンネルは掘削を開始して11月13日完了し、4号トンネルは1958年8月12日開始で11月20日完了した。 関電2号トンネルを大町側から掘削し破砕帯に遭遇・突破したのは熊谷組。 黒部川側から掘削したのは間組であった。

1-4) 2号トンネル黒部本流側(西側)からの掘削

扇沢と黒部ダム間を結ぶ関電トンネルの黒部本流側(西側)からの掘削も、容易な工事ではなかった。 何故なら、1956年の建設開始当時は、立山ケーブルカーがその2年前の1954年8月に運転を開始していたが、その終点の美女平からのバスは1956年9月時点では追分までの運行であった。 すなわち、トラックによる輸送も追分までは可能であったが、追分から先は、人力に依存せざるを得なかった。 追分から掘削を開始する2号トンネル黒部本流側の赤沢横抗地点までは、17kmあり、この間を木場道を作ったり、軽便索道を仮設したりもしたが、多くを人力輸送に依存せざるを得なかった。 人力による輸送とは、歩荷(ボッカと読み、YAMA HACKの歩荷さんの写真 )です。 大きな資機材は分解して、人が担げるようにして運んだのです。 食料もダイナマイトもトンネルの坑木も全てです。

歩荷による輸送路の断面図は、次図です。

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登山地図でコースタイムを見ると、追分から室堂まで3時間、室堂から一ノ越まで1時間20分で合計4時間20分。 一ノ越から先は黒部ダムまで5時間の下り坂。 黒部ダムの左岸から、当時はダム建設前なので、黒部川まで一旦降りて、再び2号トンネル赤沢横穴入り口の標高1555m付近まで登らなければならない。 追分から赤沢横穴入り口まで合計9時間50分の道のりである。

着工後、追分から室堂まで仮設道路を築造したり、東一ノ越から500mの軽便索道を敷設したり、木馬道を築造したりもした。 1957年春にはブルドーザー5台の雪上輸送もダム工事着手のために行われた。 重機用、発電用の軽油は追分からビニールパイプ20kmを用いて圧送された。 1958年5月の2号トンネル切り広げ完了・開通により大町側からの輸送が可能となり、室堂経由の立山ルートの輸送は終了した。 立山ルートの輸送合計量は、パイプ輸送の軽油515トン、歩荷670トン、ヘリコプター386トン、雪上輸送の重機187トンの合計1,758トンに登った。

2号トンネル黒部本流側の掘削は、資機材を立山ルートによる輸送となることから、大型重機が必要な全断面掘削は採用できず、4mx2.7mの導坑掘削を行い、貫通すれば大町側からの重機輸送が可能となるので6.4mx4.7mに切り広げることで工事を行った。 2号トンネル大町側は破砕帯の突破に216日間を要したのであるが、黒部本流側の工事も立山ルートの輸送が、当初計画より期間が延びた分、長期化し、大変な工事になったと言える。 2号トンネルの完成は1958年5月であった。

2) 黒部ダム・黒部第四発電所工事の全体像

関電・2号トンネルの大町側は熊谷組、黒部川側は間組であったが、黒部ダム・黒部第四発電所工事全体のゼネコンへの発注は、1956年6月に特命によりなされ、請負契約が締結された。 工事業者毎の工区割は、次の表の通りであった。

工区 工事業者
黒部ダム、関電トンネル黒部側の約3分の1、取水口と圧力トンネルの一部 間組
関電トンネル大町側の約3分の2、黒部トンネル及び圧力トンネル上流側の約3分の1 熊谷組
黒部トンネル及び圧力トンネル下流側の約3分の2、サージタンク 佐藤工業
鉄管路、インクライン、発変電所、放水路 大成建設
コンクリート骨材の採取・選別・輸送 鹿島建設

関電トンネルとは1)で述べたトンネルであり、黒部トンネルとは、関電トンネルから分岐して下流に向かうインクライン迄の輸送用全長10,194mのトンネルである。 圧力トンネルはダムからの発電用水を水圧鉄管上部入り口まで送水する水トンネル10,327mである。 参考地図が次であり、黒部第四発電所工事とは、トンネル掘削工事も大きな部分を占めている。 なお、鹿島建設が担当した骨材採取場は図の右下端にある。

Kurobetunnel

3) 佐藤工業のトンネル工事

次のGoogle Mapの中央に関西電力作廊谷宿舎として示されている鉄筋コンクリートの建物がある。 この宿舎の位置については、Google MapをZoom Outして確認してもよいし、地理院地図ならこの場所であり、標高1320mの地点である。 佐藤工業は、この位置から黒部トンネル下流部の掘削を開始し、更に圧力トンネル下流部とサージタンクの工事を実施した。 黒部ダム・黒部第四発電所にとって重要な地点であり、ダムの水はトンネルによりこの付近を経由して、発電所に送られるのである。 また、発電機、水車、変圧器等の発電機器も関電トンネルから、輸送用の黒部トンネルを通り、インクラインと呼ばれるケーブルカーを使って地下発電所に輸送された。 なお、作廊谷鉄筋コンクリート宿舎の完成は1957年11月であり、1956年の冬は地下宿舎での越冬であった。

工事開始当時は、作廊谷トンネル抗口(宿舎地点)まで徒歩で到達せざるを得なかったのであるが、仙人谷ダムの左岸までは、黒部第三発電所と仙人谷ダム用のメンテナンス用鉄道(軌道幅762mm)が利用できた。 この鉄道は、上部軌道と呼ばれる鉄道であり、欅平から仙人谷ダムを結ぶ。 但し、出発点の上部軌道欅平はトロッコ列車で有名な黒部峡谷鉄道の終点欅平より195m高い位置にある。 このため、欅平に立坑があり、その中に設置されたエレベーターに積み替えて運搬する方法である。 この上部軌道を延長し黒部川右岸に渡る80mの橋を架けた。 位置は、仙人谷ダムの下流側約100mにあり、橋には、黒部第四発電所放水路トンネルも併設されている。 軌道面の標高は860m。 1957年11月に完成した。 仙人谷ダムから見たGoogle Mapのストリートビューの写真は次である。

Senninbridge

作廊谷トンネル抗口への輸送のためにはトラムウェイと呼ばれた貨物用のロープウェイ(積載量常時3ton、最大5ton)を建設した。 標高差444mを結び、1956年10月に完成した。 さらに、人員用のロープウェイを1957年6月に着工し、1957年12月完成させた。 ロープウェイの位置と地形断面は次がその参考図である。

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1956年9月に黒部トンネルを導坑掘削で開始し、90m掘削後トラムウェイにより機材運搬が可能となり、12月からは全断面掘削で上流側に向けて掘り進めた。 黒部トンネル断面は幅4.4m、高さ4.5mである。 下流側佐藤工業の当初担当距離は5,857mであったが、関電トンネルが破砕帯により上流側からの掘削開始が遅れる予想となったため、1,150mの応援堀を行い、6,667mを掘削した。 全長10,710mの黒部トンネルは1959年2月8日貫通し、同年4月19日から使用開始となった。

黒部ダムと作廊谷間には、輸送用の黒部トンネルに加え、発電用水を通す全長10,327mの圧力トンネルの掘削が必要である。 圧力トンネルの断面はコンクリート巻立て後の内径4.8mの円形である。 掘削は作廊谷から1957年8月に開始し、全長10,327mの圧力トンネル掘削は1959年8月に終了した。

4) 大成建設地下発電所工事

黒部ダムの水は、ダムから10,327mの圧力トンネルを通った後、水圧鉄管につながって標高差471.5m下方にある立軸の水平に回転する水車を駆動する。 関電トンネルから分岐する輸送用の黒部トンネルは、10,710m先で発電所への輸送を担うインクラインと呼ばれるケーブルカー(貨物最大25トン)につながる。 インクラインの高低差は456mであり、地下発電所へと機器等を輸送できる。

地下発電所採用の理由には、国立公園内での森林伐採や掘削、更には建物・構造物の屋外配置を避ける環境・美観面の配慮があった。 また、同時に建設面でも地下発電所の採用による冬期間での工事実施による工期短縮が期待できる。 そして、急なV字峡谷で建屋や機器を外部に設置した場合の地盤面に対する掘削面の安全斜面角度を考えた場合の相当の量の掘削を不要とすることもできる。

水車発電機は、当初3基であるが、1基増設し、4基設置可能な発電所スペースとし変電所・開閉所も同様とした。 このためのスペースとしては発電所は幅20m、長さ117m、高さ20mの地下空間で、変電・開閉所は幅20m、高さ26.6mが一辺外側98.5mのL字配置の地下空間とした。 工事は、先ずは1956年9月に上部軌道の延長に着手し、1956年11月に延長960mの発電所横坑掘削を開始した。発電所は1957年8月から、変電・開閉所は1958年6月から掘削を開始した。 掘削は発電所が1959年5月、変電・開閉所が1959年7月に終了し、グラウチングを施工し、1960年末頃までには防水工事や左官工事を含めほぼ終了した。

水圧鉄管は、直径3.28mの円形で、その管路トンネルは幅6.1m、高さ5.55mで、長さ640m、47°20’の急傾斜である。 インクラインの勾配34°は、管路より少しは緩やかで、長さは758m。 トンネル幅5.8m、高さ7.7mである。 地下発電所と水圧鉄管やインクラインの位置関係については次図が参考である。

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管路トンネルもインクライン・トンネルも急角度の斜抗トンネルであることから、横抗を掘削し、斜抗トンネルの地点から上向きに掘削する方法で掘削した。 管路トンネルは5本の横抗を掘削し、1958年6月に掘削完了、1959年6月コンクリート巻立完了。 1960年9月に水圧鉄管の据え付けを完了した。 インクライン・トンネルは管路トンネル横抗の途中から分岐して4カ所から上向掘削を実施。 1959年4月掘削完了。 同年7月コンクリート巻立完了、11月にインクラインの運転を開始した。12月には水車・発電機の運搬が始まり、1960年10月水車・発電機や変圧器の据付けを完了した。

5) ダム建設

5-1) 湛水(ダム貯水)開始まで

間組によるダム建設において、関電2号トンネル開通までの期間における資機材輸送は、立山越えの輸送ルートとヘリコプターであり、大型機材の利用はできなかった。 また、ダム工事は屋外工事となることから、冬期の工事は、コンクリートの打ち込みを含め、制限を受けざるを得なかった。

着工した1956年は地形測量、地質調査、仮設道路掘削等で終わり、約50人が御山谷地点で越冬し、1957年春の工事再開への準備をした。 1957年には立山ルートの雪上輸送を敢行し持ち込んだブルドーザー他を用いて工事用道路他の作業を実施した。 しかし、関電トンネルの開通が破砕帯工事で送れていたことから大規模な工事はできなかった。

1958年は、5月に関電2号トンネルが開通し、諸資材の搬入が可能となったことから、ケーブル・クレーンやバッチャー・プラント等工事用機器の基礎工事等に着手し、12月までには終了。 そして翌年1959年の工事用機器据付けができる状態にした。 1958年8月にはダム基礎の掘削に着手した。 仮排水トンネル2本のうちの1本は9月に完了し、本流の水を切り替えた。

1959年3月には除雪を行いながら左右両岸の掘削を開始。 5月に2号仮排水路完成。 7月には洪水にも遭遇したが、9月8日にコンクリート打ち込みを開始した。 さらに9月25日、26日には伊勢湾台風の来襲により被害もあったが、復旧を早め12月20日迄に185,000m3のコンクリートを打ち込むことができた。

1960年は3月20日からコンクリート打ち込みを開始し、ダムコンクリート工事の最盛期に入り、年内に807,000m3(累計992,000m3)の打ち込みを達成。  ダムの最終的な総コンクリート量は1,650,000m3なので、60%の累計打ち込みである。 コンクリート打ち込み面は右岸・左岸・中央等で異なるが、1960年11月19日中間湛水の目標標高1380m(ダム高さ112m)に達した。 なお、1960年10月1日から湛水を開始した。 

5-2) 黒部ドーム(アーチ)ダム

次は地理院地図の黒部ダム航空写真である。

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ダムを上空から見ると円弧が両端で約90°曲がった形をしている。 黒部ダムは水平面も垂直面も円弧のような曲面となっているドーム型のダムである。 ドームダムにかかる水圧・地震等の全ての荷重は、ダムが接している底部やアバットメント(ダムが取り付けられる谷の両岸の斜面部分)等の岩盤により支えられる。 地形・地質的条件がドームダム建設に適していれば、コンクリート量を少なくすることが可能であり、力学安全性も確保され、経済性にも優れているダムになる。

黒部ダム両端部で約90°曲がっているウィングダムと呼ばれる部分は、当初計画には存在せず、1957年2月に確立した基本設計案SOL.VIII(第8設計案)においても、なかったのである。 ウィングダムは1959年2月のSOL.XIIで設置が決定した。 ダムの掘削工事開始直前であった。 そのSOL.XIIは1960年11月にSOL.XIVへと修正がなされた。 SOL.XIVは1960年3月までの工事休止期間に仕上げられ、4月から未施工部分である上部3分のコンクリート打ち込みが初められた。

黒部ダムの設計を進めるにあたって、模型実験も実施された。 そのうちの一つは東京大学生産技術研究所への委託研究であり、500分の1(模型ダムの高さ37.2cm)の石膏+珪藻土模型を使っての実験であり、Sol. VIII、XI、XIIに関して1958年3月から11月まで合計11の模型を作成し、実施された。 もう一つがイタリアISMESで実施された90分の1(高さ約2m)のSOL.XIVの1/90模型実験や、最終採用となったSOL.XVIの1/100模型実験である。 実験は1961年4月に終了した。

1961年5月には、アバットメント上部の仕上げ掘削が完了し、ロックテストも順調に進み、基礎岩盤の強度についての定量的な評価も進んだ。 1961年6月SOL.XVIを採用し、左岸側のドーム上部方の切り落としを決定。 1962年5月右岸側での切り落としを決定した。 

一方、1959年12月2日、フランスで421人の犠牲者が出たマルパッセ・ダム(Malpasset Dam)の崩壊事故が発生した。 マルパッセ・ダムは、崩壊した状態で現在も存在し、その位置は北緯43.51214、東経6.75676にあり、Google MapのViewで見ると、次である。

Malpassetdam

マルパッセ・ダムは1954年に完成した高さ60mのアーチダムであることから、世界銀行は融資中のアーチダムの安全性の実施をすることとした。 黒部ダムについては、37百万ドル(当時の1ドル360円換算で133億円)の融資を世界銀行から受けており、その安全性が問いかけられた。 世界銀行東京事務所のこのWebでは「岩盤強度への疑念から黒部ダムの高さを186mから150mにするよう勧告しました。」と述べている。 そして、2年間の協議を経てとあるが、世界銀行もSOL.XVI案を承認した。

6) 発電開始から竣工まで

1956年8月に着工した関電トンネルは1958年5月に利用可能となり、その先の下流に向かう黒部トンネルが1959年2月8日に貫通し、4月19日から使用可能となった。 更に、インクライン斜抗が1959年4月に掘削が完了し、7月にコンクリート巻立後、レール敷設を行い、11月にインクラインの運転が可能となった。 大町から関電トンネル-黒部トンネル-インクラインのルートで地下発電所までがつながり水車・発電機・変圧器・遮断機等の大型機器が分解すれば輸送可能となった。 水圧鉄管も、大町から関電トンネルー黒部トンネルのルートで輸送され1959年7月から据え付けが始まり、1960年9月に完了した。

地下発電所では1959年11月に先ずは天井クレーンが据え付けられ、1960年1月以降は水車・発電機・変圧器・遮断機等1・2号機の設備据え付けが順次開始され、1960年10月に完了した。一方、ダムでは1960年10月1日貯水池に湛水を開始した。 コンクリート打ち込みは、一部発電可能な目標水位1380m(ダム高さ112m)を1960年12月に達成した。

1961年1月15日貯水位1380m、最大出力154MWでの運転を開始した。 1956年8月の工事開始時点でのダムの中間湛水一部発電開始の目標時期は1959年10月末であったので、2月半の遅れでの達成であった。 関電2号トンネルの破砕帯による遅れ10月を2月半に短縮したのであった。

1961年のダム工事はダムの設計変更に伴う基礎掘削の変更や軟弱部の処理工事もあり、コンクリート打ち込みは1961年6月から12月までで250,000m3に止まった。 1962年は4月からコンクリート打ち込みを再開し、年末までに340,000m3を完了し、累計1,600,000m3に達し、左右ウィングダムの一部を残すのみとなった。 3号機水車・発電機は1961年より据え付けを開始し、1962年8月1日に運転を開始。 黒部第四発電所発電出力は234MWとなった。

本ブログ記事の執筆において、文中で引用や参考として掲げたWebアドレスやリンク先の資料以外は、関西電力株式会社 編『黒部川第四発電所工事誌』,土木学会,1966. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2510029 を参考としました。

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2023年9月28日 (木)

秋本議員贈賄罪で在宅起訴 日本風力開発」から依頼を受領

秋本真利議員、賄賂7280万円受け取った罪で起訴とのニュースが飛び込んできた。

読売新聞オンライン 9月27日

秋元議員の国会質問に対する謝礼金受領との報道。 7280万円を、どのようにして受け取ったのか、この読売ニュースは、秋本議員と馬主組合を設立。秋本議員が実質的に管理していた組合に対し、今年6月までに計約3000万円を提供と書いている。 すぐバレるような直接の現金授受ではなく、複雑な偽装のようなことが行われていたと想像する。 秋元議員vs検察庁の今後を見ないといけないが、読売報道には「日本風力開発前代表取締役塚脇氏は国会質問への謝礼と供述 」とある。

現代の複雑な贈賄関係と思えるが、国会での質疑は議事録に残っており、以下国会(衆議院の委員会)での秋元議員の質疑を以下に簡単に書きだしてみた。発言の全てや前後の質疑等は、それぞれの委員会の名称と開催日をもとに国会議事録で検索いただければと思う。

なお、日本風力開発も参加した第1回洋上風力とは、2020年11月27日から2021年5月27日迄公募が実施され、2021年12月24日に発電事業者の選定が経産省・国交省より発表された(この発表 )。「秋田県能代市、三種町及び男鹿市沖」、「秋田県由利本荘市沖」、「千葉県銚子市沖」の3案件で、3案件全てが発表にあるように三菱商事エナジーソリューションズ株式会社、三菱商事株式会社、株式会社シーテック(由利本荘市沖は株式会社ウェンティ・ジャパンもメンバー)に決定した。規模は、3案件合計で1,742MWである。金額では、年間700億円、売電全期間の予想総合計収入は1兆5000億円になる。これが手始めで、将来の脱炭素発電の主力になると予想されることから、そのビジネス規模は年間数兆円以上になるとも予想される。 次図が、第1回洋上風力の選定結果をまとめたものであり、秋田県の2案件に失注業者がそれぞれ4社あり、それぞれコンソーシアムであるが、メンバーに日本風力開発がいたと聞く。

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第198回国会 衆議院 環境委員会 第7号 令和元年(2019年)5月31日 での質問
秋本委員 ・・・・・・・・入札にするわけですけれども、最低制限価格を入れて、これ以上下に行ったら欠格ですよという事項を設ける方が私はいいのではないかと。

電気料金に直ちに反映するわけで、最低制限価格制度なんて、消費者の敵だと私は考える。

第208回国会 衆議院 予算委員会 第七分科会 第2号 令和4年(2022年)2月17日 での質問
秋本委員 ・・・・・・・・今回、エネ庁が、二〇二八年、三〇年で運開するところを、価格に点数をつけて、定性面に点数をつけて選んだわけですけれども、一方で、もし四年も五年も前に運開しますよというところがあって、それが若干高かったとしても、それはかなり手前になるわけだから、高いのは当たり前だと思うんですよね。

秋田県由利本荘市沖は845MWで13MW風車が65基あることからと思うが、2030年12月の運転開始となっている。 4年前、5年前となると2023年、2024年となるが、そんな業者って信頼できるのだろうかと思ってしまう。 秋元議員とはエクセントリックな人だなと思った。だから、競走馬をして競馬をするのが趣味なのかな?

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2023年9月21日 (木)

黒部ダム(6)日本のダム順位 

黒部ダムの高さ186mは、日本一であり、これからもこの高さを超えるダムは日本では建設されないであろうと思う。ちなみに、現在世界で一番高いダムは305mの高さがある中国のJinping-I Dam(锦屏一级水电站)の様である。

ダムは、高さを競うものではなく、人々にどれほど役に立っているかが評価のポイントであり、評価にはマイナス評価も含めてですが、とりあえず、単純に高さ、総貯水量、有効貯水量についての日本のダムのベスト10を作成してみた。

1) 日本のダム高さ順位トップ10

次の表が高さ順位トップ10です。

Japandamhight

2) 日本のダム総貯水量順位

総貯水量で順位を付けると、高さとはやはり異なってきた。 黒部ダムは18位で、11位から17位には、玉川、雨竜土堰堤、雨竜第一、手取川、高見、有峰、矢木沢が入いる。

Japandamgvolume

3) 日本のダム有効貯水量順位

有効貯水量と総貯水量の違いは、名前の通りで、黒部ダムを例に取ると、利用水深は60mなので、186mのダムであるが、ダム基盤から120m迄は水を利用できない。利用できるのは、120mから180mの間の60mであり、この60mの水深幅が148,843,000m3の水を貯水する。 もし、水供給ダムなら水供給に利用可能な貯水量であり、洪水緩和目的なら洪水時に貯水し、下流側の水を抑制できる能力となる。

Japandamnvolume

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2023年9月11日 (月)

黒部ダム (5) 水力発電

黒部ダムは高さ186mの発電用ダムであります。 黒部ダムで貯水し、発電する水力発電の概要を考えてみます。

1) 黒部ダムの貯水量

7月21日のブログに次のグラフを掲げました。

Kurobedamcapacity

黒部ダムは、ダム基礎岩盤から186mの高さがあり、水深高180mから120mまでの水深差60mが設計利用水深となっている。 標高では、基礎岩盤が1268mであり、最低水位は1388m、最高水位は1448mとなる。 設計有効貯水量は最低水位の時はゼロ、最高水位の時は148,800,000m3である。

2) 黒部ダムの水による水力発電

黒部ダムの水による水力発電と言うと、黒部第四発電所と考えてしまいがちであるが、実際には下流にある全ての水力発電所を含めて考える必要がある。 しかし、多少複雑であることから、今回は、黒部第四発電所のみを対象として考える。 

黒部第四発電所の場所は次の地図の赤丸点にあり、黒部ダムからは直線距離約9km北方の位置である。 発電所は地下にあり、水平面で回転する発電用ペルトン水車の羽根の位置は標高858.5mである。 ダムの最高水位は1448mなので、水力発電の最大総落差は589.5mである。

水車発電機を回転させた水は仙人谷ダム貯水池・黒三沈砂地・連絡水槽を経由して黒部第三発電所と新黒部第三発電所へ供給される。 仙人谷ダムは黒部第四発電所の約850m北西の黒部川下流に位置し、仙人谷ダムの最高水位は黒部第四発電所の水車中心から7.5m低い標高851mである。 次の地図上で黒部第四発電所を赤点で示した。 河川断面図で示すと、その下の図となる。

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現在の黒部川第四発電所の最大発電出力は、この2022年3月1日付電気新聞の記事にあるように337,000kWであり、この出力は72m3/秒の水をダムから水車に供給した場合に得られる。 最大総落差の589.5mに対しては発電効率81.02%であり、記事記載の有効落差545.5mに対しては発電効率は87.55%となる。 総落差と有効落差の差は、ダムから発電水車までの水路トンネルや水圧鉄管を通っての発電水供給であることから、それらによる損失である。 なお、黒部川第四発電所完成時の発電所出力は258,000kWで、水量は54m3/秒で、水車・発電機3基であった。1973年6月に4号機の増設が完成し、出力と使用水量が増加した。 

3) 黒部ダムから黒部第四発電所の発電水車への水供給

水車発電機はダムからの水量を調整することにより出力のコントロールを行っている。 一方、ダムへ流入する水量は自然の流れであり、一定ではない。 流入水量は、ダムより上流における降雨量により変化し、黒部ダムの場合は上流地域の融雪からの水もある。 融雪以外にも涌き水も関係する。 黒部川の河川流量であるが、1964年5月号の発電水力70「黒四特集号」19ページに昭和3年度~昭和24年度平均の毎月の黒部ダムの地点における自然流量の数字が掲載されており、これを図示したのが次である。

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2月は最も流量が少なく、20,000,000m3にもならない。一方、6月は2月の8倍以上の160,000,000m3を越える。グラフには月間流量を単純平均した1秒間の流量も右のスケールとして表示した。 54m3/秒で黒部ダムから水車発電機に水を流せば258,000kWの出力が得られ、40m3/secなら191,000kW、30m3/secnなら143,000kW、20m3/secなら95,000kW、10m3/secなら47,000kWの発電出力となる。 

上のグラフの1月から12月の月間流量を合計すると年間流量831,237,000m3となり、年平均は26.4m3/secとなる。

4) 黒部ダムによる流量調節

流入する水量を、発電用に供給するのに、月ごとの変動をなるべく小さくなるように調整をすることとして、シミュレーションを行ってみた。 シミュレーションの前提として、流入量は上の図の通りとし、ダムの貯水量は148,800,000m3であり、これ以上の貯水は不可能とする。 この前提でシミュレーションを行った結果の毎月の発電供給水量とダム貯水量のグラフは次図となった。

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11月から翌年3月にかけては流入量より発電供給水量の方が大きく、特に1月-3月は流入水量が少ないためダム貯水からの発電水の供給が大きく、ダム貯水量は減少する。 上図は青線が流入水量で、黄線が発電供給水量であることから、青線が黄線より下にあれば、差分がダムからの水供給であり、逆に青線が上にあれば、差分がダムへの貯水量の増加となる。 なお、100,000,000m3/月は、平均38m3/秒程度になり、発電出力では175,000kW程度、50,000,000m3/月なら20m3/秒程度であり、発電出力94,000kW程度である。

5) 黒部ダムは日本一高いダム その高さを変えてみた

ダムの位置はそのままで高さを高くすれば貯水量は増加し、低くすれば減少する。 高くした場合、低くした場合を考えるため、ダム高さに対する有効貯水量を次の表のように推定した。

Kurobedam20239a

ダムへの流入水量は4)の通りであるとして、有効貯水量が上表のようになった場合の発電用水の供給を、ダムの貯水量の限度が上表の有効貯水量になるとして、4)と同じシミュレーションを実施してみた。 各ダム高さの場合の結果について発電供給水量のグラフで比較したのが次図である。

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貯水量が少ないと、流入量カーブと発電供給水量のカーブは、その差が小さい。 一方、現在の黒部ダムの高さ186mを196mへと10m高くしても、効果はそれほど大きくなく限定的と思える。 196mのダムにすれば、環境への負荷は増加する。 また、建設費も増加する。やはり、186mで有効貯水量148,800,000m3の黒部ダムが適切であるように思える。

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2023年8月29日 (火)

黒部ダム (4)どうしてあの場所に?位置選定の理由

黒部ダムは観光目的で建設されたのではなく、エネルギー回収・発電目的で建設されたのである。エネルギー回収・発電目的とした場合、あの位置が最適となるのかを考えてみたい。

1) 安い建設費で大きな貯水量

環境影響を無視して良いわけではないが、ダム建設・ダム計画の基本は安い建設費で大きな貯水量を得ることであり、発電ダムに限らず、利水ダム、洪水調節ダムに関しても同じである。建設地の岩盤が良く、ダムの堤体が小さくて済む所が、建設費が安くなるところである。

言ってみれば、ダム建設地点での川幅は狭く、一方ダムより上流側は川幅が広くなり湖水面積が大きなダム湖が得られれば、単位水深あたりの貯水量は大きくなるわけで、そのような地点が存在すれば理想的である。

次の図(クリックで拡大)は、黒部川の河川断面図である。黒部川の主要ダムを記載した。なお、この中で、宇奈月ダムは2000年竣工であり、黒部ダム建設前には存在しなかった。黒部ダムの下流にあるのは仙人谷ダムであり、ダム湖の満水位851m。 この位置より標高の高い地点が黒部ダムの建設候補地となる。

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次の図が黒部川の断面図であり、仙人谷ダムから上流の幾つかの地点について作成した。黒部ダムより下流は深いV字谷の渓谷であり、それが黒部ダム付近を境界として、上流部はV字谷の角度が緩やかになっている。黒部ダムの地点は、地形からするとダム建設には絶好の地点である。

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2) 安い建設費を実現するトンネル

ダムとは、川の流れの直角方向に堤防を建設し、川の流れをせき止めて、流れを分流したり、流量制御を行ったりする。分流と流量制御の双方を行うことも多い。大阪府大阪狭山市にある狭山池は、飛鳥時代(西暦616年ごろ)に誕生した日本最古のダム形式のため池と紹介されている。香川県仲多度郡まんのう町の満濃池も821年に弘法大師空海が再築したと言われているダム形式のため池です。

黒部ダムは、コンクリート造のアーチダムであり、コンクリート重力ダムよりダム本体(堤体)の大きさは小さくて済むが、それでも黒部ダムの堤体積は約1,600千m3であり、ダムのみで160万トンのセメントと骨材を必要とする。この量は非常に大きいのである。例えば、ダム堤高157mの奥只見ダムやダム堤高155.5mの佐久間ダムが、それぞれ堤体積1,658千m3と1,120千m3であり、これらと比べて黒部ダムの建設は資材・機材の運搬も容易ではなく高い建設費になると考えられる。

しかし、黒部ダムは通常で考えると相当高くなると思われる建設費を安くする手段が存在したのである。それは、ダム地点と扇沢の間をトンネルで結ぶ方法である。これにより、黒部ダムが秘境とも言える黒部川の標高1270m地点であるにも拘わらず実現できた。トンネルであるから環境破壊も最小限にできた。 トンネルルートを地図(地理院地図から作成)で示すと次である。即ち、扇沢は現在の関電トンネルの大町側出口であり、西俣出合は他にトンネル出口として候補に考えられるならとして記載した地点である。 断面図を、その下に示したが、ダムから扇沢には約5kmであり、西俣出合だと10km以上となる。

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黒部ダムと扇沢を結ぶ関電トンネル(当初は大町トンネルとも呼ばれた)は、トンネル掘進開始位置の岩小屋沢横抗から1691m地点を掘り進んで、1762m地点に至るまでの71mの掘削に1932年5月1日から12月6日迄約7月(219日)を要したのであるが、トンネル工事には時として発生することとも言える。1940年11月に完成した黒部川第三発電所の水路トンネルの阿曽原・仙人谷ダム間の第1工区930mでは、岩盤温度110℃となる高熱隧道工事となった。第1工区トンネルは、1937年5月着工で、1939年6月貫通まで2年を要した。関電トンネルの破砕帯は7月という短期間で終わった。黒部川第三発電所の高熱隧道部分の工区は当初加藤組の請負であったが、工事を放棄。日本電力直営とし佐藤組が課程請負で工事を実施した。吉村昭の小説では、加瀬組、佐川組となっている。

黒部ダムと黒部第四発電所建設用のセメント・骨材、機材、重機等の輸送ルーとしては、立山越ルート、黒部川鉄道、関電トンネルの3ルートが使われたが、輸送実績は次の通りであり、圧倒的に関電トンネルが輸送手段の中心であった。 

輸送ルート 立山ルート 黒部川鉄道 関電トンネル 合計
輸送量 トン 1,800 120,000 5,500,000 5,621,800

立山ルートが利用されたのは、関電トンネル開通前の1966年・67年のみである。 関電トンネルによる輸送には骨材4,900,000トンを含む。

 

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2023年8月23日 (水)

山林設置太陽光発電の危険性

太陽光発電は、場合によっては牙をむき、災害をもたらす。

この3月8日のブログで書いた小川町ソーラー発電に関して、東洋経済が埼玉・小川町メガソーラー、事業化困難で大誤算 という記事を掲載していた。この記事で、小川町ソーラーの山林事業予定敷地の治水畜雨量が、山林状態では60mmなるも、ソーラーパネル設置の場合は37mmに減少すると報じられていた。

100mmの降水があった場合、山林のままなら40mmが流出し、60mmは地中に浸透する。ところが、ソーラーパネルが設置されると、63mmが流出し地中浸透は37mmに減少する。 雨水流出量は、100mmの降水に対して40mmが63mmへと1.6倍になる。ソーラー設置場所付近の人々は大変だろうな。浸水リスクのみならず、土砂が流出してくる恐れや災害リスクが高くなると思う。今年の7月7日にも次の様なニュースがあった。

南日本新聞 2023年7月7日 メガソーラー建設現場 大雨で農地に大量の軽石流出 調整池は土砂で埋まる 県が昨年に続き措置勧告 姶良の山林

太陽光発電高値買取制度が始まったとき、導入に向けて自然エネルギーと呼んだバカがいた。高値買取制度はなくなったが、昔の権利が完全に消滅したわけではない。しかし、消費者が負担する再エネ賦課金も現在は1.4円/kWhであり、昨年の3.45円/lkWhより半額以下にはなっている。 悪や悪者は許さず、合理的な基準で推進することが重要です。

 

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