2024年2月17日 (土)

ガソリン代の政府補助延長なんてバカの見本と思う

次の様なニュースがあるが、困ったことである。 ポピュリズムは国を滅ぼす元凶になりうる。

kyodo 2月16日 ガソリン代補助延長へ 夏まで視野、家計支援

税金の無駄使いの最たるものである。 この制度、政府は「燃料油価格激変緩和対策事業」と呼んでおり、小売ガソリン価格が1リットル168円を超えると超過額の60%を補助し、185円を超えると185円以上は全額補助するというメチャメチャな補助金である。

補助金が支払われる相手は、石油元売り業者と輸入業者であり、対象となるのはガソリン、軽油、灯油、重油、航空機燃料の5種類である。 この補助金の総額は、月に1千億円、年間1兆2千億円程度になるように思う。 計算根拠は、5種類の石油製品の月間販売量を2千万KLと仮定し、補助金を1リットル5円と想定した場合である。

直前のブログ(これ )で、日本経済を一人あたりのGDPで世界の国々と比較すれば、悲惨な状況であると書いた。 こんなバカな補助金は即刻中止すべきである。 当然のことながらガソリン税トリガー価格制も同じである。 原油価格・石油製品価格の上昇は、世界市場の結果である。 原油価格上昇には、エネルギー利用・消費に関する省エネを含め、技術革新等で対処すべきである。 本質を把握し、将来を見据えた対応をしないと、いよいよ沈み行く船になると考える。

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2024年1月11日 (木)

黒部ダム(7)黒部の太陽のウソ・ホント

黒部の太陽とは、木元正次氏による黒部ダムと黒部第四発電所の建設を題材にした小説である。 しかし、不可能と言われた破砕帯の突破と言う様な記述は私には誇大と思える。 そこで、小説ではなく、事実に基づいて、建設工事等を記述することをしてみたいと思います。

1) 関電2号トンネル

1-1) 関電2号トンネル

関電2号トンネルとは、1956年8月6日横坑切り取りで着工した扇沢と黒部ダム間を結ぶ物資輸送用の全長5,430m関電トンネルのうち、分割された2号と称された長さ3,527mのトンネル工区である。 2号トンネルとは、4本のトンネル工区に分割の上、施工されたことによる呼び名であり、扇沢側より1号トンネル1,020m、2号トンネル3,527m、3号トンネル402m、4号トンネル481mとなっていた。 また、トンネルの分割地点で3カ所の工事用の横坑が掘られ、横坑は各トンネルの境目にあり104m、55m、45mであり、横坑を掘削して、本トンネルの位置に到達した後に、本トンネルを掘削する工法で掘り進められた。

全長5,430m関電トンネルとは、8月29日のブログで黒部ダム建設・資機材輸送用のトンネルとしてこの地図に掲げた黒部ダムと扇沢を結ぶ間に掘られたトンネルのことであり、現在はこのトンネル内を黒部立山アルペンルートの電気バスが運航されている。

順調に掘り進むことができていていたトンネル工事が、着工翌年の1957年5月1日に破砕帯にぶつかり、大量の出水に遭遇した。 破砕帯は、94.6mであったが、ここを掘削・突破するまで同年12月2日までの215日間を要した。 黒部の太陽が語っているのは、この破砕帯の掘削・突破に係わるトンネル工事を中心とした黒部ダムと黒部第四発電所建設工事についてである。  

1-2) 2号トンネル掘削(大町側)破砕帯遭遇

2号トンネル大町・扇沢側は1956年8月6日に104mの横坑切り取りを開始し、10月13日から2号本抗掘削を開始した。 1957年4月30日に大規模な破砕帯に遭遇した。 この遭遇地点は、2号トンネル東端より1,668m(なお、トンネル反対側の黒部川・西端よりは1,589m)であり、それまでの平均掘削進度は8.34m/日であった。

関電トンネルの位置とその2号トンネルの縦断図は次の通りである。

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破砕帯とは、地殻の変異(主に断層運動)に伴い岩石が機械的に破砕され、破砕,細片化し,帯状に連続分布している地質構造体である。 2号トンネルの破砕帯では4℃という低温の大量ゆう水が発生した。 この対策として2mの円形または正方形の水抜坑を掘削し、同時にボーリング地質調査と薬液注入を行った。 水抜坑の掘削合計延長499m、水抜きボーリング掘進長合計2898mとなった。 シールド工法の準備も行われた。 そして、水抜の効果と考えられるが、ゆう水量と水圧減少の兆候が現れ、10月1日から6月ぶりに本坑の掘削を開始することができ、1日掘進量80cm程度となり、水圧もほとんどなくなった。

尚、ゆう水量の最高は0.66m3(660L)/分で9月20日-28日頃に記録された。 水圧最高は42kg/cm2で、9月12日-18日頃であった。 12月2日、ついに94.6mの破砕帯を突破。 12月5日には全断面掘削に復帰した。

過去のトンネル掘削で破砕帯に遭遇して難工事となった有名なトンネル工事には1918年(大正7年)に掘削を開始し16年を要し1934年(昭和9年)に貫通した丹那トンネル工事がある。 この日本地質学会のWebによれば、最大の難所は40mの破砕帯でこの掘削に34月を要し、トンネル全体での水抜抗の総延長は14,630mとなり、本坑トンネル7,800mの2倍近くに達した。

もう一つあげると山陽新幹線の六甲トンネルであり、1968年のことであった。 工区のトンネル長さ2,500mに対して水抜抗2,950mを掘削したとのこと(参考: 神戸の自然シリーズのこのページ )。

1-3) 2号トンネル貫通

12月2日の破砕帯突破後翌年1958年2月21日に2,604m地点(西端からは923m)に到達し、2号トンネルの貫通にこぎつけた。 なお、関電2号トンネルの西から(黒部川本流側から)の掘削(迎え堀り)が、東側から掘り進んだトンネルと合体する境界は、当初の工区割においては西の黒部川本流側から795m(2号トンネル東端より2,732m)であったので、128mの応援堀を行ったこととなる。 応援堀の終了は1957年11月4日であるが、冬期間の掘削は機材はおろか食料さえ補給が困難なことから工事不可能であった。

2号トンネル扇町側は大型機械・重機を使用できたが、黒部川本流側は立山の一ノ越峠越えの輸送路であり、ほとんどを人力による輸送に依存することから、分解しての輸送を行っても使用機材には限定を受けた。 扇町側はトンネル全断面掘削を採用できたが、黒部川本流側は導坑式掘削工法による掘削で掘り進んだことから、2号トンネル断面の形状(下部の幅6.4m、天井高4.7m)への堀広げを2月22日から実施し、5月10日に完了した。

コンクリート巻立てを切り広げとほぼ同時に施工していており、1号トンネルは1956年8月20日から掘削開始し、1957年12月に切り広げも終了していたことから、1号・2号トンネルを利用して1958年5月に大町側からダムサイトまで重機や資材の搬入が可能となり、また黒部トンネルと圧力トンネルの上流側のトンネル掘削工事に着手することが可能となった。

1958年7月28日に関電3号トンネルは掘削を開始して11月13日完了し、4号トンネルは1958年8月12日開始で11月20日完了した。 関電2号トンネルを大町側から掘削し破砕帯に遭遇・突破したのは熊谷組。 黒部川側から掘削したのは間組であった。

1-4) 2号トンネル黒部本流側(西側)からの掘削

扇沢と黒部ダム間を結ぶ関電トンネルの黒部本流側(西側)からの掘削も、容易な工事ではなかった。 何故なら、1956年の建設開始当時は、立山ケーブルカーがその2年前の1954年8月に運転を開始していたが、その終点の美女平からのバスは1956年9月時点では追分までの運行であった。 すなわち、トラックによる輸送も追分までは可能であったが、追分から先は、人力に依存せざるを得なかった。 追分から掘削を開始する2号トンネル黒部本流側の赤沢横抗地点までは、17kmあり、この間を木場道を作ったり、軽便索道を仮設したりもしたが、多くを人力輸送に依存せざるを得なかった。 人力による輸送とは、歩荷(ボッカと読み、YAMA HACKの歩荷さんの写真 )です。 大きな資機材は分解して、人が担げるようにして運んだのです。 食料もダイナマイトもトンネルの坑木も全てです。

歩荷による輸送路の断面図は、次図です。

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登山地図でコースタイムを見ると、追分から室堂まで3時間、室堂から一ノ越まで1時間20分で合計4時間20分。 一ノ越から先は黒部ダムまで5時間の下り坂。 黒部ダムの左岸から、当時はダム建設前なので、黒部川まで一旦降りて、再び2号トンネル赤沢横穴入り口の標高1555m付近まで登らなければならない。 追分から赤沢横穴入り口まで合計9時間50分の道のりである。

着工後、追分から室堂まで仮設道路を築造したり、東一ノ越から500mの軽便索道を敷設したり、木馬道を築造したりもした。 1957年春にはブルドーザー5台の雪上輸送もダム工事着手のために行われた。 重機用、発電用の軽油は追分からビニールパイプ20kmを用いて圧送された。 1958年5月の2号トンネル切り広げ完了・開通により大町側からの輸送が可能となり、室堂経由の立山ルートの輸送は終了した。 立山ルートの輸送合計量は、パイプ輸送の軽油515トン、歩荷670トン、ヘリコプター386トン、雪上輸送の重機187トンの合計1,758トンに登った。

2号トンネル黒部本流側の掘削は、資機材を立山ルートによる輸送となることから、大型重機が必要な全断面掘削は採用できず、4mx2.7mの導坑掘削を行い、貫通すれば大町側からの重機輸送が可能となるので6.4mx4.7mに切り広げることで工事を行った。 2号トンネル大町側は破砕帯の突破に216日間を要したのであるが、黒部本流側の工事も立山ルートの輸送が、当初計画より期間が延びた分、長期化し、大変な工事になったと言える。 2号トンネルの完成は1958年5月であった。

2) 黒部ダム・黒部第四発電所工事の全体像

関電・2号トンネルの大町側は熊谷組、黒部川側は間組であったが、黒部ダム・黒部第四発電所工事全体のゼネコンへの発注は、1956年6月に特命によりなされ、請負契約が締結された。 工事業者毎の工区割は、次の表の通りであった。

工区 工事業者
黒部ダム、関電トンネル黒部側の約3分の1、取水口と圧力トンネルの一部 間組
関電トンネル大町側の約3分の2、黒部トンネル及び圧力トンネル上流側の約3分の1 熊谷組
黒部トンネル及び圧力トンネル下流側の約3分の2、サージタンク 佐藤工業
鉄管路、インクライン、発変電所、放水路 大成建設
コンクリート骨材の採取・選別・輸送 鹿島建設

関電トンネルとは1)で述べたトンネルであり、黒部トンネルとは、関電トンネルから分岐して下流に向かうインクライン迄の輸送用全長10,194mのトンネルである。 圧力トンネルはダムからの発電用水を水圧鉄管上部入り口まで送水する水トンネル10,327mである。 参考地図が次であり、黒部第四発電所工事とは、トンネル掘削工事も大きな部分を占めている。 なお、鹿島建設が担当した骨材採取場は図の右下端にある。

Kurobetunnel

3) 佐藤工業のトンネル工事

次のGoogle Mapの中央に関西電力作廊谷宿舎として示されている鉄筋コンクリートの建物がある。 この宿舎の位置については、Google MapをZoom Outして確認してもよいし、地理院地図ならこの場所であり、標高1320mの地点である。 佐藤工業は、この位置から黒部トンネル下流部の掘削を開始し、更に圧力トンネル下流部とサージタンクの工事を実施した。 黒部ダム・黒部第四発電所にとって重要な地点であり、ダムの水はトンネルによりこの付近を経由して、発電所に送られるのである。 また、発電機、水車、変圧器等の発電機器も関電トンネルから、輸送用の黒部トンネルを通り、インクラインと呼ばれるケーブルカーを使って地下発電所に輸送された。 なお、作廊谷鉄筋コンクリート宿舎の完成は1957年11月であり、1956年の冬は地下宿舎での越冬であった。

工事開始当時は、作廊谷トンネル抗口(宿舎地点)まで徒歩で到達せざるを得なかったのであるが、仙人谷ダムの左岸までは、黒部第三発電所と仙人谷ダム用のメンテナンス用鉄道(軌道幅762mm)が利用できた。 この鉄道は、上部軌道と呼ばれる鉄道であり、欅平から仙人谷ダムを結ぶ。 但し、出発点の上部軌道欅平はトロッコ列車で有名な黒部峡谷鉄道の終点欅平より195m高い位置にある。 このため、欅平に立坑があり、その中に設置されたエレベーターに積み替えて運搬する方法である。 この上部軌道を延長し黒部川右岸に渡る80mの橋を架けた。 位置は、仙人谷ダムの下流側約100mにあり、橋には、黒部第四発電所放水路トンネルも併設されている。 軌道面の標高は860m。 1957年11月に完成した。 仙人谷ダムから見たGoogle Mapのストリートビューの写真は次である。

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作廊谷トンネル抗口への輸送のためにはトラムウェイと呼ばれた貨物用のロープウェイ(積載量常時3ton、最大5ton)を建設した。 標高差444mを結び、1956年10月に完成した。 さらに、人員用のロープウェイを1957年6月に着工し、1957年12月完成させた。 ロープウェイの位置と地形断面は次がその参考図である。

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1956年9月に黒部トンネルを導坑掘削で開始し、90m掘削後トラムウェイにより機材運搬が可能となり、12月からは全断面掘削で上流側に向けて掘り進めた。 黒部トンネル断面は幅4.4m、高さ4.5mである。 下流側佐藤工業の当初担当距離は5,857mであったが、関電トンネルが破砕帯により上流側からの掘削開始が遅れる予想となったため、1,150mの応援堀を行い、6,667mを掘削した。 全長10,710mの黒部トンネルは1959年2月8日貫通し、同年4月19日から使用開始となった。

黒部ダムと作廊谷間には、輸送用の黒部トンネルに加え、発電用水を通す全長10,327mの圧力トンネルの掘削が必要である。 圧力トンネルの断面はコンクリート巻立て後の内径4.8mの円形である。 掘削は作廊谷から1957年8月に開始し、全長10,327mの圧力トンネル掘削は1959年8月に終了した。

4) 大成建設地下発電所工事

黒部ダムの水は、ダムから10,327mの圧力トンネルを通った後、水圧鉄管につながって標高差471.5m下方にある立軸の水平に回転する水車を駆動する。 関電トンネルから分岐する輸送用の黒部トンネルは、10,710m先で発電所への輸送を担うインクラインと呼ばれるケーブルカー(貨物最大25トン)につながる。 インクラインの高低差は456mであり、地下発電所へと機器等を輸送できる。

地下発電所採用の理由には、国立公園内での森林伐採や掘削、更には建物・構造物の屋外配置を避ける環境・美観面の配慮があった。 また、同時に建設面でも地下発電所の採用による冬期間での工事実施による工期短縮が期待できる。 そして、急なV字峡谷で建屋や機器を外部に設置した場合の地盤面に対する掘削面の安全斜面角度を考えた場合の相当の量の掘削を不要とすることもできる。

水車発電機は、当初3基であるが、1基増設し、4基設置可能な発電所スペースとし変電所・開閉所も同様とした。 このためのスペースとしては発電所は幅20m、長さ117m、高さ20mの地下空間で、変電・開閉所は幅20m、高さ26.6mが一辺外側98.5mのL字配置の地下空間とした。 工事は、先ずは1956年9月に上部軌道の延長に着手し、1956年11月に延長960mの発電所横坑掘削を開始した。発電所は1957年8月から、変電・開閉所は1958年6月から掘削を開始した。 掘削は発電所が1959年5月、変電・開閉所が1959年7月に終了し、グラウチングを施工し、1960年末頃までには防水工事や左官工事を含めほぼ終了した。

水圧鉄管は、直径3.28mの円形で、その管路トンネルは幅6.1m、高さ5.55mで、長さ640m、47°20’の急傾斜である。 インクラインの勾配34°は、管路より少しは緩やかで、長さは758m。 トンネル幅5.8m、高さ7.7mである。 地下発電所と水圧鉄管やインクラインの位置関係については次図が参考である。

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管路トンネルもインクライン・トンネルも急角度の斜抗トンネルであることから、横抗を掘削し、斜抗トンネルの地点から上向きに掘削する方法で掘削した。 管路トンネルは5本の横抗を掘削し、1958年6月に掘削完了、1959年6月コンクリート巻立完了。 1960年9月に水圧鉄管の据え付けを完了した。 インクライン・トンネルは管路トンネル横抗の途中から分岐して4カ所から上向掘削を実施。 1959年4月掘削完了。 同年7月コンクリート巻立完了、11月にインクラインの運転を開始した。12月には水車・発電機の運搬が始まり、1960年10月水車・発電機や変圧器の据付けを完了した。

5) ダム建設

5-1) 湛水(ダム貯水)開始まで

間組によるダム建設において、関電2号トンネル開通までの期間における資機材輸送は、立山越えの輸送ルートとヘリコプターであり、大型機材の利用はできなかった。 また、ダム工事は屋外工事となることから、冬期の工事は、コンクリートの打ち込みを含め、制限を受けざるを得なかった。

着工した1956年は地形測量、地質調査、仮設道路掘削等で終わり、約50人が御山谷地点で越冬し、1957年春の工事再開への準備をした。 1957年には立山ルートの雪上輸送を敢行し持ち込んだブルドーザー他を用いて工事用道路他の作業を実施した。 しかし、関電トンネルの開通が破砕帯工事で送れていたことから大規模な工事はできなかった。

1958年は、5月に関電2号トンネルが開通し、諸資材の搬入が可能となったことから、ケーブル・クレーンやバッチャー・プラント等工事用機器の基礎工事等に着手し、12月までには終了。 そして翌年1959年の工事用機器据付けができる状態にした。 1958年8月にはダム基礎の掘削に着手した。 仮排水トンネル2本のうちの1本は9月に完了し、本流の水を切り替えた。

1959年3月には除雪を行いながら左右両岸の掘削を開始。 5月に2号仮排水路完成。 7月には洪水にも遭遇したが、9月8日にコンクリート打ち込みを開始した。 さらに9月25日、26日には伊勢湾台風の来襲により被害もあったが、復旧を早め12月20日迄に185,000m3のコンクリートを打ち込むことができた。

1960年は3月20日からコンクリート打ち込みを開始し、ダムコンクリート工事の最盛期に入り、年内に807,000m3(累計992,000m3)の打ち込みを達成。  ダムの最終的な総コンクリート量は1,650,000m3なので、60%の累計打ち込みである。 コンクリート打ち込み面は右岸・左岸・中央等で異なるが、1960年11月19日中間湛水の目標標高1380m(ダム高さ112m)に達した。 なお、1960年10月1日から湛水を開始した。 

5-2) 黒部ドーム(アーチ)ダム

次は地理院地図の黒部ダム航空写真である。

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ダムを上空から見ると円弧が両端で約90°曲がった形をしている。 黒部ダムは水平面も垂直面も円弧のような曲面となっているドーム型のダムである。 ドームダムにかかる水圧・地震等の全ての荷重は、ダムが接している底部やアバットメント(ダムが取り付けられる谷の両岸の斜面部分)等の岩盤により支えられる。 地形・地質的条件がドームダム建設に適していれば、コンクリート量を少なくすることが可能であり、力学安全性も確保され、経済性にも優れているダムになる。

黒部ダム両端部で約90°曲がっているウィングダムと呼ばれる部分は、当初計画には存在せず、1957年2月に確立した基本設計案SOL.VIII(第8設計案)においても、なかったのである。 ウィングダムは1959年2月のSOL.XIIで設置が決定した。 ダムの掘削工事開始直前であった。 そのSOL.XIIは1960年11月にSOL.XIVへと修正がなされた。 SOL.XIVは1960年3月までの工事休止期間に仕上げられ、4月から未施工部分である上部3分のコンクリート打ち込みが初められた。

黒部ダムの設計を進めるにあたって、模型実験も実施された。 そのうちの一つは東京大学生産技術研究所への委託研究であり、500分の1(模型ダムの高さ37.2cm)の石膏+珪藻土模型を使っての実験であり、Sol. VIII、XI、XIIに関して1958年3月から11月まで合計11の模型を作成し、実施された。 もう一つがイタリアISMESで実施された90分の1(高さ約2m)のSOL.XIVの1/90模型実験や、最終採用となったSOL.XVIの1/100模型実験である。 実験は1961年4月に終了した。

1961年5月には、アバットメント上部の仕上げ掘削が完了し、ロックテストも順調に進み、基礎岩盤の強度についての定量的な評価も進んだ。 1961年6月SOL.XVIを採用し、左岸側のドーム上部方の切り落としを決定。 1962年5月右岸側での切り落としを決定した。 

一方、1959年12月2日、フランスで421人の犠牲者が出たマルパッセ・ダム(Malpasset Dam)の崩壊事故が発生した。 マルパッセ・ダムは、崩壊した状態で現在も存在し、その位置は北緯43.51214、東経6.75676にあり、Google MapのViewで見ると、次である。

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マルパッセ・ダムは1954年に完成した高さ60mのアーチダムであることから、世界銀行は融資中のアーチダムの安全性の実施をすることとした。 黒部ダムについては、37百万ドル(当時の1ドル360円換算で133億円)の融資を世界銀行から受けており、その安全性が問いかけられた。 世界銀行東京事務所のこのWebでは「岩盤強度への疑念から黒部ダムの高さを186mから150mにするよう勧告しました。」と述べている。 そして、2年間の協議を経てとあるが、世界銀行もSOL.XVI案を承認した。

6) 発電開始から竣工まで

1956年8月に着工した関電トンネルは1958年5月に利用可能となり、その先の下流に向かう黒部トンネルが1959年2月8日に貫通し、4月19日から使用可能となった。 更に、インクライン斜抗が1959年4月に掘削が完了し、7月にコンクリート巻立後、レール敷設を行い、11月にインクラインの運転が可能となった。 大町から関電トンネル-黒部トンネル-インクラインのルートで地下発電所までがつながり水車・発電機・変圧器・遮断機等の大型機器が分解すれば輸送可能となった。 水圧鉄管も、大町から関電トンネルー黒部トンネルのルートで輸送され1959年7月から据え付けが始まり、1960年9月に完了した。

地下発電所では1959年11月に先ずは天井クレーンが据え付けられ、1960年1月以降は水車・発電機・変圧器・遮断機等1・2号機の設備据え付けが順次開始され、1960年10月に完了した。一方、ダムでは1960年10月1日貯水池に湛水を開始した。 コンクリート打ち込みは、一部発電可能な目標水位1380m(ダム高さ112m)を1960年12月に達成した。

1961年1月15日貯水位1380m、最大出力154MWでの運転を開始した。 1956年8月の工事開始時点でのダムの中間湛水一部発電開始の目標時期は1959年10月末であったので、2月半の遅れでの達成であった。 関電2号トンネルの破砕帯による遅れ10月を2月半に短縮したのであった。

1961年のダム工事はダムの設計変更に伴う基礎掘削の変更や軟弱部の処理工事もあり、コンクリート打ち込みは1961年6月から12月までで250,000m3に止まった。 1962年は4月からコンクリート打ち込みを再開し、年末までに340,000m3を完了し、累計1,600,000m3に達し、左右ウィングダムの一部を残すのみとなった。 3号機水車・発電機は1961年より据え付けを開始し、1962年8月1日に運転を開始。 黒部第四発電所発電出力は234MWとなった。

本ブログ記事の執筆において、文中で引用や参考として掲げたWebアドレスやリンク先の資料以外は、関西電力株式会社 編『黒部川第四発電所工事誌』,土木学会,1966. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2510029 を参考としました。

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2023年8月23日 (水)

山林設置太陽光発電の危険性

太陽光発電は、場合によっては牙をむき、災害をもたらす。

この3月8日のブログで書いた小川町ソーラー発電に関して、東洋経済が埼玉・小川町メガソーラー、事業化困難で大誤算 という記事を掲載していた。この記事で、小川町ソーラーの山林事業予定敷地の治水畜雨量が、山林状態では60mmなるも、ソーラーパネル設置の場合は37mmに減少すると報じられていた。

100mmの降水があった場合、山林のままなら40mmが流出し、60mmは地中に浸透する。ところが、ソーラーパネルが設置されると、63mmが流出し地中浸透は37mmに減少する。 雨水流出量は、100mmの降水に対して40mmが63mmへと1.6倍になる。ソーラー設置場所付近の人々は大変だろうな。浸水リスクのみならず、土砂が流出してくる恐れや災害リスクが高くなると思う。今年の7月7日にも次の様なニュースがあった。

南日本新聞 2023年7月7日 メガソーラー建設現場 大雨で農地に大量の軽石流出 調整池は土砂で埋まる 県が昨年に続き措置勧告 姶良の山林

太陽光発電高値買取制度が始まったとき、導入に向けて自然エネルギーと呼んだバカがいた。高値買取制度はなくなったが、昔の権利が完全に消滅したわけではない。しかし、消費者が負担する再エネ賦課金も現在は1.4円/kWhであり、昨年の3.45円/lkWhより半額以下にはなっている。 悪や悪者は許さず、合理的な基準で推進することが重要です。

 

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2023年8月 6日 (日)

福島原発ALPS処理水について考える

間もなく福島原発ALPS処理水の海洋放出が始まろうとしているが、無責任な当事者や関係者が多すぎように思う。

1) 感情論のみで非論理的な漁協

7月30日に西村経済産業大臣と福島県漁業関係者との面会があったとのこと。 このNHKの報道 に接して驚いた。「処理水を放出したあとは、子どもたちにとれた魚を食べさせないという声が出ている」との懸念の声が漁協側から出たとある。 事実とは異なる情報により発生した被害を風評被害であるとして、自らが風評被害の発生源となる恐ろしさである。 声の主が漁業関係者や福島の人達だとすれば、反対のための反対をするための発言だと思ってしまう。 こんな発言を聞けば、皆恐ろしがって福島の魚を食べなくなる。

やるべきことは、論理的・科学的に分析・検討して、その結果問題点があれば、その改善を提言する。 安全なら、漁協自からも福島の魚は安全であり、食するに問題ないと広報・働きかけを行い、政府にもその広報の拡大・浸透に協力を求めるべきである。

2) 国際原子力機関(IAEA) 包括報告書

7月4日にIAEAのRafael Mariano Grossi総局長は岸田総理と会見し包括報告書を手渡した(読売のニュースはここ IAEAの発表はここ )。 IAEA報告書こそ、福島原発事故処理に関する一つの大きなマイルストーンと考える。 地球上での原発事故は残念なことだが、福島が最後とは限らないだろう。 万一、事故が発生した場合に、その国が国家主権を盾に外国の関与を拒むことがあるかもしれない。 IAEAが原発の事故処理、安全確保に関与することは重要であると考える。

原発事故が発生した場合、放射能汚染は、原発が位置する国に止まらない。主権国家が、幾ら法律を作っても、放射能は法律を守らない。放射能という物理的性質に対応して人類は対処しなければならない。 原発事故が発生した場合、IAEAが関与し、国家秘密を作らせず、必要な情報開示をすることを原発に関する国際的なルールにすべきと考える。 今回の福島事故に関するIAEAの関与については大賛成である。

IAEAの包括報告書はIAEA発表の中にリンク先がある。包括報告書は、信頼性高いと考えられ、タスクフォースには多くの国の専門家を含んでいると述べられている。アルゼンチン、オーストラリア、カナダ、中国、フランス、マーシャル諸島、韓国、ロシア、英国、米国、ベトナム。

ALPS処理水については、IEA包括報告書は次の様に述べている。(Executive SummaryのPage v)

The IAEA recognizes that the discharge of the ALPS treated water has raised societal, political and environmental concerns, associated with the radiological aspects. However, the IAEA has concluded, based on its comprehensive assessment, that the discharge of the ALPS treated water, as currently planned by TEPCO, will have a negligible radiological impact on people and the environment.
<ブログ主の参考訳>
AEAは、ALPS処理水の排出が、放射能汚染について、社会的、政治的、環境的な懸念を引き起こしていることを認識している。しかし、IAEAは、包括的評価として、東京電力が現在計画しているALPS処理水の排出は、人々および環境に対する放射線による影響はごくわずか(Negligible:無視可能域)であると結論付けている。

IEA包括報告書24ページ(2.6 人体への放射線影響)に関する表も興味深い。

  国際基準 ALPS処理水排出の場合(一人あたり)
通常の稼働状況での被爆リスク 年1mSV以下 年0.000002-0.00mSVm
事故等非常時の被爆リスク 1事故5mSV 1事故0.002から0.01mSV (下記参照)

事故時の被爆想定は、希釈前のALPS処理水のタンク10,000m3から漏水して海に流れ出た場合と10,000m3の3つのタンクから事故で1日間漏れ出した場合としている。 なお、環境省はこのWebのように日本平均の放射線被曝量は年2.1mSVと述べています。 海洋生物への影響についての表もある。(27ページ)

  国際基準(国際放射線防護委員会ICRP)

ALPS処理水

カレイ・ヒラメ 1日10-100 mGy 1日0.0000007mGy
カニ 1日10-100 mGy 1日0.0000007mGy
海藻類 1日1-10mGy 1日0.0000008mGy

海洋生物とは、多くが産卵からの平均寿命は極めて短いのであり、放射線の影響は人間や陸上動物とは異なる。 なお、海洋生物への影響であり、食用として摂取する場合の基準ではない。しかし、福島産の魚類等の放射線は測定不可能なレベルである(例えば、ここ に福島県の水産物検査結果があるが、海の物は全て検出せずとなっている)。 ALPS処理水を海洋放出しても、変わらないし、3H(トリチウム)を問題にするとしても、海洋中に既に存在するのであり、有効な測定方法はない。

IAEAがALPS処理水海水放出に問題なしとしているのだから、日本政府に日本及び世界に対して安全性を訴えるよう要求するのが漁業者としての賢い戦略と私は思う。風評被害の支援は、方向が間違っているように思う。

3) ALPS処理水

ALPS処理水の放射性物質は、そのほとんどが3H(トリチウム、三重水素)であり、分析結果を探すとIAEAの2023年5月の報告書の第5表に次の分析結果があった。単位は、1リットルあたりのベクレル(Bq/L)である。

Fukushimaalpswateriaea

ALPS処理水の排出について、東京は電力はこのWebで、100倍以上に希釈した上で、トリチウム放出量は22兆ベクレルを下回る水準にすると説明している。上の表で3H(トリチウム)の数字が一番高いのはLS(スイスの研究所)mp165,800Bq/Lであり、100倍の希釈だと1658Bq/Lに止まるが、100倍以上だし、サンプリング測定も実施するので、問題はないと考える。

4) 年間排出量22兆ベクレルについて

次に年間排出量22兆ベクレルについて考える。

このトリチウム(3H)に関する説明は多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会(第8回)における資料であり、3ページ目に日本の原子力発電所からの3H(トリチウム)の排出量についての記述がある。この3Hの排出量について、もう少し調べてみる。次は、東京電力福島第一原発で2003年度から2009年度まで海洋放出した3H(トリチウム)の量である。なお、この数値は原子力規制庁・原子力規制委員会が公表している原子力施設に係る放射線管理等報告((2012年までは原子力安全基盤機構による原子力運転管理年報)からである。

Tritium2023f1

日本における3H(とリチウム)の原子力発電所毎の年度別排出量は次のグラフの通りである。

Tritiumdischarge2023pp_20230805160401

発電所別ではなく都道府県別に整理すると次の様になりました。

Tritiumdischarge2023prf

何故、原子力発電所から3Hが排出されるかですが、ここに日本原子力産業協会の説明がある。 この説明によれば、核分裂や10B(ホウ素)の中性子照射により3Hが生成され大部分は燃料棒内に止まる。しかし、それ以外に制御棒に含まれる10Bや一次冷却水に添加されている10Bが中性子照射を受けて3Hが生成され、これが3H海洋放出となる。

3H放出量は、沸騰水型原子炉(BWR)と加圧水型原子炉(PWR)では、PWRでの放出量が多く、PWRの原発が運転されている福井県、愛媛県、佐賀県、鹿児島県、北海道における3H放出量が大きい。

ALPS処理水排出基準にしようとしている22兆ベクレルの由来であるが、上に示したこのトリチウム(3H)に関する説明の5ページ目に福島第一原発の「事故前の放出管理目標値は年間22兆ベクレル」とある。これを採用したのである。この22兆ベクレルは日本全体での過去最大が400兆ベクレルなら、その20分の1。現在日本全体で100兆ベクレルとすれば、その5分の1である。放出しないで管理することのリスクと低レベルに希釈して管理して放出することのリスクを考えれば、放出が妥当であると考える。

なお、福島第一原発の事故時に海域に流出した3Hは存在し、100-500兆ベクレルと言われているが、この流出は管理報告の対象外であり、除外している。

5) 世界の3H放出量

環境省のこのWebページに世界の原子力施設からの3H排出量の比較があり、フランスのLa Hagueという施設は年11,400億ベクレルということで、福島事故前の日本全体の水準の30倍という水準である。(環境省の説明は英語のみであり、日本語のページでは、幾ら探しても出てこない。 日本国民をどう考えているのだろうかと思ってしまう。)

La Hagueは、原子力発電所ではなく、MOX燃料等をつくる核燃料再処理工場である。日本も使用済み核燃料の加工をフランスに委託しており、La Hagueでの3H排出に無関係ではない。日本とフランス両国における3H排出量は次のグラフの通りである。

Tritiumdischarge2023fj1_20230806162501

また、4)の文章の出だしで引用したこのトリチウム(3H)に関する説明の最終9ページ目には次の図があり、世界では多くの施設で3H(トリチウム)が放出されている。

Worldtritium20238

La Hagueに見られるように、使用済み核燃料の再処理では特に多くの3Hの放出を伴うようです。日本でも、六ヶ所村再処理工場の稼働が始まれば、3Hの放出があるはずです。 廃炉にした日本の研究開発炉「ふげん」、「もんじゅ」からも3Hは現在も海水放出されている。 原子力潜水艦から、量は把握できていないが、3Hを放出される。 なお、核実験こそ、大量の3Hを放出する。次のグラフはフランスIRSNのこのページ(トリチウムと環境)にあるグラフで、1963年頃北半球に於ける大気中の3Hは異常に高かったことが分かります。 1963年に部分的核実験禁止条約(PTBT)が結ばれ、大気中、海中、宇宙に於ける核実験の禁止が当時米・ソ・英で合意された。 考えれば、水素爆弾とは2H(二重水素)や3H(トリチウム)の核融合エネルギーを利用する爆弾である。

Tritium_en_02

本テーマについては、報道等で取り上げられても、ある部分のみだけを伝えているのみと考え、ブログ主が考えていることを書いてみました。 ALPS処理水排出は夏休み明けなんて、良かれと思って発言されたと理解するが、風評被害の拡大にもなりかねない可能性がある。よく考えねばと思います。

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2023年6月29日 (木)

黒部ダム(1) 観光放水始まる

多くのニュースが、黒部のダムでの観光放水が始まったと伝えています。その中から、6月22日の信濃毎日デジタルニュースです。

夏を呼ぶ迫力の水しぶき 60周年の黒部ダム、観光放水始まる【動画・写真複数付き】

どの報道でも、黒部ダム60周年と伝えており、これを機会に黒部ダム、黒部水力発電開発、富山県水力開発に関しても、断続的になりますが、機会を見つけ、おりにふれて書いていきたいと思います。

なお、60周年と呼んでいるのは、1963年(昭和38年)6月5日に竣工式を行っており、竣工式から60年となるので60周年と理解します。なお、黒部第四発電所で発電を開始したのは、2年少し前の1961年1月15日からで、当初計画の3機の水車発電機全てが発電を開始したのは1962年8月1日でした。

1) 観光放水って何?

まずは、観光放水とは何であるのかですが、1956年(昭和31年)6月30日の厚生省富国第420号の黒部ダムに関する許可がその根拠であり、「XXXX申請の中部山岳国立公園特別地域内工作物の新築及び水位水量の増減を来たす行為の件は、次の条件を附してこれを許可する。」とある(出典:注1)。 当時と今では省庁の組織や役割分担も異なっている部分があるが、国立公園に関する行政事務は厚生省であった。

許可書の第1項目目に記載されているのが、次の条件である。(御前沢堰堤とは黒部ダムの当時の名称である。)

1 黒部峡谷の景観維持のため、御前沢堰堤から次のとおり放流すること。

(1) 放流時間

6月26日から7月31日まで、午前6時から午後5時30分まで
8月1日から9月10日まで、午前6時30分から午後5時まで
9月11日から10月15日まで、午前7時から午後4時30分まで

(2) 放流期間及び放流量

6月26日から8月15日まで、毎秒15立方メートル以上
8月16日から10月15日まで、毎秒10立方メートル以上

ただし、その日の放流停止後その日のうち又はその翌日にかけて、御前沢堰堤地点において、降水量が50mmに達したときは、その翌日中又は翌日の残余の時間の放流量は減ずることができるものとする。

放流の目的としては、黒部峡谷の景観維持とされている。ダム自体の観光目的ではなく、河川水の発電利用による減水区間の流水量維持がその目的である。具体的には、黒部ダムから黒部第四発電所・仙人ダムまでの黒部川の河川水維持である。

2) 黒部ダムー仙人谷ダム間(下廊下)

観光放流により水量維持をする区間には、下廊下と呼ばれている登山道があり、終点である仙人谷ダムから直線距離で約900m下った付近にある阿曽原温泉小屋があり、そのWebの (阿曽原温泉小屋Webアルバム)というこのページに、年間通行期間は平年だと9月下旬からで、10月末で小屋は営業終了と書いてあり、通行できるのは極めて短期間です。 阿曽原温泉小屋のWebに2023年の下廊下開通情報は未だないが、2022年はこの記事のように10月20日で「慎重に歩いてもらえれば通行できるまでに作業が進んでいます。」とのこと。2022年は通行可能約10日間だったということでした。

下廊下とは、どのような所かはこの富山県警地域部山岳安全課のYou Tubeを見ると迫力があり、よくわかります。

阿曽原温泉小屋のWeb (阿曽原温泉小屋Webアルバム)には、ルート整備について この区間は、関西電力が黒部ダム建設時に、旧厚生省(現環境省)との間で交わされた付帯条件として、ダム建設後もルートの整備を行なうこととなっております。
毎年、転石の除去・丸太桟道の補修や取替え・手すりの補修・迂回路の整備などなど、多額の費用と手間を掛けて地元業者が整備に当たっております。

下廊下ルート整備については、厚生省富国第420号の許可条件として、次の様にあります。

12 黒部川左岸旧日電歩道は、国立公園歩道としてこれを維持し、公衆の利用に供すること。

当時も今も関係者の方々が見守り、尽力していることにより成立しているプロジェクトだと考えます。但し、自然に手を加えたことに相違はなく、自然保護・環境保全の観点も忘れてはならない。黒部ダムに関連して、様々な角度から、この続きを書いてみたいと思います。

(注1) 国立公園協会発行「国立公園」81 AUG. 1956

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2022年12月 7日 (水)

原発対応を含め災害対応庁の新設はどうか

9月2日のこのブログ で、岸田首相が「原子力発電所については、再稼働済み10機の稼働確保に加え、設置許可済みの原発再稼働に向け、国が前面に立ってあらゆる対応を採ってまいります。」と述べたことを紹介したが、最近は化石燃料の価格の高騰による電気料金上昇やこの冬の電力需給逼迫の懸念もあり、原発再稼働やこの11月28日日経ニュースのように廃止が決まった原発の建て替え案も浮上している。

福島原発事故で、私が思ったのは、日本そのものの脆弱性についてである。日本の和歌や古文は日本の自然の美しさを讃え、喜び、日本に生まれ生きていることの感激を述べているものが多い。一方、現代人は自然科学や社会科学を持っている。科学的な研究、調査、分析、思考等様々な方法を駆使して、豊かな社会や生活を実現していく努力を継続すべきである。ところが、日本は、特に日本の制度は、十分に合理的とは言えず、改善すべきことは多いと考える。原発について考えるなら、現状の制度や仕組みのままで良いのかも、十分考えるべきである。

1) 福島事故菅直人現地視察の謎

首相ともあろうお方が、事故翌日の3月12日の午前7時11分から約1時間近く福島第一原発を視察・訪問している(参考:この共同通信:津村一史の記録(YahooNews) )。午後3時16分に1号機の水素爆発があったので、それは約7時間後のことであった。津波による全電源喪失が15時37分だったから、電源喪失から爆発までほぼ24時間。

そのような原発が爆発する危険を承知で首相は現場に行ったのではないはず。無知はあったかも知れないが、正確な情報や分析結果が届いていなかったのか、官邸主導だと言って聞く耳を持たなかったのか、それとも妥当な分析やシミュレーションが実施されていなかったのか、原因は不明である。「安全が確認された原発」という不思議な言葉を耳にする。100%の安全はあり得ない。何故なら人間だからである。人間だからこそ、漏れは否が応でも出てしまう。しかし、人間だからこそ、漏れに対しても臨機応変な対応もあり得るのである。

あえて一言言うなら、原発を運転する電力会社に全ての責任を押しつけるのは間違いである。当時、官房長官は電力会社に責任があると言い続けていたことを思い出す。この資源エネルギー庁の説明地図によれば、原発で現在稼働中は7基、停止中3基、設置変更許可7基、審査中10基、未申請9基で国内に36基の原発がある。電力会社(発電会社)の数では11社である。これらの原発を安全に管理・運転するための役所を作ってはと思う。

2) 災害対応庁の新設

米国FEMAを思うのであるが、FEMAは災害に関して大きな権限を持つ役所である。日本には、これに該当する役所がない。災害は、消防・地方自治体・総務省・国交省の担当であるのだろうか?災害対応は市町村役場の対応のようになっている面があるが、余りにも不透明と思う。災害への対応とは、災害発生前から発生時のシミュレーションを行い、対応を考え、計画することからスタートする。市町村・都道府県レベルより大きい国レベルの検討・対策・対応が必要である。なお、市町村・都道府県の役割は重要である。市町村・都道府県に責任を押しつけても最善の結果は生まれないのである。災害対応庁をつくれば、合理的な災害対応が計れると考える。

運転を止めても原発の使用済み核燃料や高濃度を含め放射性廃棄物は存在する。どのような体制でどう管理するのか、リスクは残り続ける。災害リスクは政治家に行くのではない。国民に行くのである。原子力災害を含め全ての災害は、国民に対するリスクである。

NHKは、このWebページで、原発運転延長との題で、様々な論点を述べている。原発運転延長が議論されるなら、その議論の中で、原発事故対応や政府の組織・権限のあり方、事業者の解体・再編を含めた合理的な仕組み構築を含めた検討をすべきと考える。

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2022年3月25日 (金)

やはり変だね朝日の記事

朝日新聞の記事がおかしいのか、記者がおかしいのか、理解不能となってしまう。

朝日 3月24日 電力、地域間融通に不全 送電設備が容量不足、教訓生かせず

有料会員記事となっており、読めない。紙の新聞のコピーでは次の通り。

Asahi20220324

地域間の連携送電線のキャパシティが低いと述べているが、誰が投資し、運営すべきかの議論には触れていない。「投資額は最大4.8兆円にのぼり一部は電気料金に上乗せされる」との記述には驚いてしまう。経済を無視した議論をどうどうと述べる。こんな新聞最低だと思う。

揚水発電についても信じられないことを書く。貯水量が朝100%で夜の10時で29%は、当然、健全な姿である。停電を避けるために運転したのである。揚水も含め水力は、貯水した水を水車に流すことにより発電する。揚水の場合は、貯水イコール蓄電である。そして、「これからは柔軟な運用がさらに広がりそうだ。」と述べている。今やっているのが、その類いの運用ですよと言いたいが、理解せずに記事を書いている。

3月22日のデータは公表されていないが、今年の1月6日の雪の日の発電データは東京電力パワーグリッドのでんき予報過去データからピックアップすることができる。それにより作成したグラフが次である。なお、発電とは東京電力パワーグリッドに接続された発電機による発電であり東京電力とは限らない。

Tepcosupply20220106

比較のため、前日の1月5日のグラフは以下であった。赤が揚水発電で黄が太陽光発電である。6日は、昼間揚水で発電した電気が多い。一方、5日は昼間太陽光による発電が多かったので、昼間は揚水運転で水をポンプアップしている。グラフでゼロより下に伸びているのが揚水運転である。

Tepcosupply20220105

連携線となっているのが、東北系統及び中部系統との電気のやりとり(合計数値)である。私は、日本で電力供給に係わっておられる企業や関係者の方々は、それなりに任務を果たしておられると考えている。批判は、自由であるが、誤解を生むような批判は避けるべきと考える。

なお、前のブログで電力取引所の価格が1kWh80円になったことを書いた。自由化された卸電力市場で電力を購入し、消費者に販売している企業も存在する。今後、清算取引になっていくと、倒産する電力販売会社もでてくると思われる。

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2022年3月24日 (木)

電力需給逼迫は本質を見極めるべき

東京電力管内(正確には東京電力パワーグリッド送配電網管内)の電力需給が逼迫しているとして、3月22日は政府が支障のない範囲での節電協力を呼びかけた。16日の地震で火力発電所の停止が続き季節外れの寒さが大きく関係しているが、中には原子力推進とか送電網整備とかを述べる人もおられるようだが、何がどうしたのか、正確な分析が重要だと考える。

1)3月22日の東京電力パワーグリッド電力供給データ

各送配電事業者は、でんき予報というのを公表しており、東京電力パワーグリッドの3月22日の電力供給カーブは次のチャートの通りである。3月23日の供給カーブ並びにそれぞれの日の太陽光発電実績も記載した。

Tepcosupply20220322a

需要・供給カーブは午前9時頃までは22日も23日も余り差はない。それ以後19・20時頃までは23日が低かった。一方、太陽光発電は23日では最大1270万kWを越える発電であったが、22日は雪・雨の日であったことから最大178kW程度に止まった。1日の違いで、電力需給の姿は大きな差があった。

2)電力取引所取引価格

一般社団法人 日本卸電力取引所(JEPX)が運営している卸電力市場の東京エリアプライスを見てみると次のチャートの通りである。

Tepcosupply20220322b

スポット取引は翌日渡しであり、23日に24日の価格が決定している。22日と23日の取引価格は午前7時から午後11時過ぎまで1kWあたり80円であった。前日に決定する必要があるが、工場設備の一部を停止してでも外部に売電できる電力は卸市場で電力を販売すれば良い電力ビジネスをすることができた日であった。需要が大きければ、価格は上昇する。当然であり、そのことが正常な供給をもたらすことになる。

3)この冬最大の需要であったのか

今年は1月6日が雪であり、需要が大きかったが、太陽光発電は少なく3月22日と同様な日であった。そこで、1月4日、5日、6日、7日と2月10日、そして今回の3月22日と23日の7日間の需要供給カーブを比較するグラフを書いてみた。

Tepcosupply20220322c

今回の3月22日の受給カーブは、5000万kWを越えた1月6日や2月10日より下の方に行くのである。でも、今回は供給力が少なくて需要逼迫。

4)運転停止中の発電所

運転停止には様々な要因があり、3月16日の地震の影響が全てとは言えないと考える。例えば、JERA広野5号機は3月18日(ここ )に復旧。福島ガス発電の福島県相馬郡新地町にある2基で1180MWのLNGを燃料とするGTCC火力発電所は16日の地震で運転を停止していたものの3月20日には再開(参考ここ )。定期点検での停止も他の発電所との計画とすりあわせて決定しているはずである。いずれにせよ、発電所の運転停止と需給の逼迫は関係性はあり、調査は必要と考える。

なお、地震による停止中の主な 発電所は、この資料が参考となる。

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2022年3月10日 (木)

LNGについて

原油価格の高騰が続き、ガソリン価格の抑制のための補助金拡大となっているとのニュースがあります。

日経 3月9日 ガソリン価格介入に限界、原油高騰続く 補助25円到達も

原油価格をチャートで見ると次の通りです。

Oil_price_charts20220310

LNGの価格を通関統計で調べると次の通りでした。

Lng20223a

LNGをトンあたりの価格で聞いてもピンとこない。そこで、熱量あたりの価格とし、同様に原油価格も円換算して同じ熱量あたりの価格としてチャートを作成してみた。比較にあたりWTI原油価格はそのまま円換算し、熱量は原油38.28MJ/Lとし、LNGは55.01MJ/kgとした。

Lng20223b

熱量あたりでLNGと原油を比較するとほぼ同じ価格推移となった。当然と言えば、当然だし、ガソリンのトリガー価格なんてことではなく、エネルギー全体についての課題・問題としてとらえて、研究・検討することが正しい解決と考える。それでも、エネルギー価格とは、大きな変動がある商品だと思う。

原油にしても、LNGにしても日本は輸入国である。どこから輸入しているかのチャートを最後に掲げることとする。オーストラリア、マレーシア、カタール、米国、ロシア、ブルネイ、パプアニューギニアで2021年の場合は90%を占めていた。なお、チャートにあるように輸入量は毎年減少傾向にある。(消費量も同一と考えられる。)

Lng20223c

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2021年9月30日 (木)

核燃サイクルはまずは議論を開始せよ

自民党総裁選は終了し、岸田文雄氏が総裁に選出された。9月10日のエコノミストOnlineに次の記事があった。

「核燃サイクルはやめるべきだ」「青森県に保管料を払え」河野太郎氏が示した首相の決断

破綻している核燃料サイクルを維持する意味は、どう考えてもない。河野氏が言うとおりである。

高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃止措置は2018年3月に認可され、プルトニウムを燃料とする原発建設の計画はない。MOX燃料を既存の原発で使用するとしても、どれだけのプルトニウムを消費するか、少ない量と思う。

しかし、問題はそれだけではない。プルトニウムこそ原爆の原料であり、長崎原爆のプルトニウム量は10-15kgで核分裂を起こしたのは、そのうちの1.2kg程度であった(このIAEAのINIS )。100万kWの原発が1年間の運転で生み出すプルトニウムの量は200kg 程度である。多いと思えるが、交換する量が35-40トンであるので、プルトニウムは0.5%程度。MOX燃料だと4-9%と言うわけで、原発でどれだけ使用するか不明であるのにプルトニウムの濃度を上げれば、核兵器転用のリスクをあげるだけと思える。

方針の転換は大変である。まずは、研究をすべきである。研究とは、技術課題のみに限らず、政府内部、地方自治体、住民・国民、関係する企業、国際的な関係も含めて方針転換について議論をすべきである。どう考えても非合理と思える核燃料サイクルが維持されてきたのは何故か?誰も猫にスズを付けたがらなかったからなのか。スズを付けることは、それほど大変なのか。研究・議論しないと分からない。

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