夫婦別姓
11月10日に特別国会が召集され岸田氏が総理大臣に指名され、衆議院自民絶対安定多数と言う国会がはじまった。夫婦別姓に関する立法がどうなるかも、この岸田政権の一つの注目点と思う。
1) 選択的夫婦別姓へと法改正に進むのか
岸田内閣の期間中の立法となるかは、不明であるが、立法の方向に進んで行くと思う。理由は、10月18日の日本記者クラブでの9党首討論会で、司会者からの「来年の通常国会に選択的夫婦別姓法案を提出することについて賛成者は挙手を御願いします。」との要請に対して、与野党の9党首の中で岸田氏以外の8党首は手を上げたのである。(これに関するHuffpostの記事はここ また日本記者クラブの9党党首討論会 会見リポート にあるYouTube会見動画では開始から1時間55分経過したあたり )
9党首のうちN党以外の党は10月31日の衆議院選挙で議席を獲得したのであり、また自民党内においても河野太郎氏や野田聖子氏のように夫婦別姓導入賛成者もいる。党有志議員連盟に岸田氏自身名前を連ねたことがある。来年の通常国会での立法は不明であるが、来年の参議院選の動きによっては、選択的夫婦別姓の立法が進むと思う。まさか、参議院選で10月18日の9党首討論会から違った方向に各党は転換しないだろうから、参議院選での各党間の論争にも興味がわく。
2) 2021年6月23日最高裁大法廷の判断
最高裁の判断はここ にあり、全49ページの最高裁の判決としては非常に長い。もっとも、2ページの後半以降は補足意見、意見、反対意見が述べられているのであり、興味深い内容である。以下は、私の拙い纏めであり、最高裁の文書を読んで頂きたいと思う。
多数意見
民法750条の「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」が憲法24条に違反して無効であるといえないとした。夫婦の氏についてどのような制度を採るのかは立法の政策課題として相当であり国会で論ぜられ,判断されるべき事柄であり、夫婦同氏制を定める現行法の規定が憲法24条に違反して無効であるか否かという問題は次元が異なる。
深山卓也,岡村和美,長嶺安政裁判官の補足意見
選択的夫婦別氏制の採否を含む夫婦の氏に関する法制度については,子の氏や戸籍の編製等を規律する関連制度を含め,これを国民的議論,すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ,事の性格にふさわしい解決というべきであり国会において,この問題をめぐる国民の様々な意見や社会の状況の変化等を十分に踏まえた真摯な議論がされることを期待するものである。
三浦守裁判官 の意見
法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことは,憲法24条に違反すると考える。違憲の問題があるとしても,夫婦別氏の選択肢を設けるには,子の氏に関する規律をも踏まえ,戸籍編製の在り方という制度の基本を見直す必要がある。
その上で,夫婦の氏に関する当事者の選択を確認して戸籍事務を行うため,届書の記載事項を定めるとともに,その届出に基づいて行うべき戸籍事務(同法13条,14条,16条等参照)等について定める必要がある。国会においては,速やかに,これらを含む法制度全体について必要な立法措置が講じられなければならない。こうした措置が講じられていない以上,民法上等の関連規定の内容及び性質という点からみても,法制度全体としてみても,法の定めがないまま,解釈によって,夫婦別氏の選択肢に関する規範が存在するということはできない。従い、抗告人らの申立てを却下すべきものとした原審の判断は,結論において是認することができる。
夫婦別氏の選択肢を設けていないことは,憲法24条に違反すると考える理由は、
1. 氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,婚姻の際に氏を改めることは,個人の特定,識別の阻害により,その前後を通じた信用や評価を著しく損なうだけでなく,個人の人格の象徴を喪失する感情をもたらすなど,重大な不利益を生じさせ得ることは明らかである。したがって,婚姻の際に婚姻前の氏を維持することに係る利益は,それが憲法上の権利として保障されるか否かの点は措くとしても,個人の重要な人格的利益ということができる。
2. 憲法24条2項の「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」は立法に当たり,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきものとして,その裁量の限界を画しており,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害する立法措置等を講ずることは許されない。
3. 民法750条の「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」とする規定は婚姻の際にその氏を定めることを前提とし、他に選択肢を設けていない。婚姻の際に氏の変更を望まない当事者にとって,その氏の維持に係る人格的利益を放棄しなければ婚姻をすることができないことは,法制度の内容に意に沿わないところがあるか否かの問題ではなく,重要な法的利益を失うか否かの問題である。これは,婚姻をするかどうかについての自由な意思決定を制約するといわざるを得ない。
4 夫婦同氏制についての趣旨,目的には,疑問がある。
* 婚姻及び家族に関する法制度は,多様化する現実社会から離れ,およそ例外を許さないことの合理的な根拠を説明することが難しくなっているといわざるを得ない。
* 同一の氏を称することにより家族の一員であることを実感する意義や家族の一体性を考慮するにしても,このような実感等は,何よりも,種々の困難を伴う日常生活の中で,相互の信頼とそれぞれの努力の積み重ねによって獲得されるところが大きいと考えられ,各家族の実情に応じ,その構成員の意思に委ねることができ,むしろそれがふさわしい性質のものであって,家族の在り方の多様化を前提に,夫婦同氏制の例外をおよそ許さないことの合理性を説明し得るものではない。
* 婚姻という個人の幸福追求に関し重要な意義を有する意思決定について,二人のうち一人が,重要な人格的利益を放棄することを要件として,その例外を許さないことは,個人の尊厳の要請に照らし,自由な意思決定に対し実質的な制約を課すものといわざるを得ない。
夫婦同氏制は,現実の問題として,明らかに女性に不利益を与える効果を伴っており,両性の実質的平等という点で著しい不均衡が生じている。婚姻の際に氏の変更を望まない女性にとって,婚姻の自由の制約は,より強制に近い負担となっているといわざるを得ない。
国際的な動向をみると,昭和60年に我が国も批准した「女子差別撤廃条約」は,締約国に対し,いわゆる間接差別を含め,女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃を義務付け,自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利並びに姓を選択する権利を含む夫及び妻の同一の個人的権利について,女性に対する差別の撤廃を義務付けている(16条1項(b),(g))。そして,女子差別撤廃委員会は,我が国の定期報告に関する最終見解において,繰り返し,女性が婚姻前の姓を使用し続けられるように法律の規定を改正することを勧告している。現民法制定の昭和22年当時は,夫婦が同一の姓を称する制度を定める国も少なくなかったが,現在,同条約に加盟する国で,夫婦に同一の姓を義務付ける制度を採っている国は,我が国のほかには見当たらない。(ブログ主による注:外務省によれば、締約国数189。)
宮崎裕子、宇賀克也裁判官 の反対意見
憲法24条1項の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」に違反する民法や戸籍法の規定は憲法適合性を欠くのであり、「夫は夫の氏,妻は妻の氏を称する」旨を記載し届けられた婚姻届も受理されるべきである。
1 民法によって定められた婚姻制度上の婚姻は,憲法適合性を欠く制約を除外した内容でなければならないと考える。夫婦同氏を婚姻届の受理要件とすることは、この制約に該当する。
2 氏を構成要素の一つとする氏名(名前)が有する高度の個人識別機能の一側面として,当該個人自身においても,その者の人間としての人格的,自律的な営みによって確立される人格の同定機能を果たす結果,アイデンティティの象徴となり人格の一部になっていることを指すものであり、人格権に含まれるもの個人の尊重,個人の尊厳の基盤を成す個人の人格の一内容に関わる権利であるから,憲法13条により保障されるものと考えられる。この権利を本人の自由な意思による同意なく法律によって喪失させることは,公共の福祉による制限として正当性があるといえない限り,この権利に対する不当な侵害に当たる。
3 夫婦同氏制を定める民法750条を含む本件各規定を,当事者双方が生来の氏を変更しないことを希望する場合に適用して単一の氏の記載(夫婦同氏)があることを婚姻届の受理要件とし,もって夫婦同氏を婚姻成立の要件とすることは,当事者の婚姻をするについての意思決定に対する不当な国家介入に当たる。個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律とはいえず,立法裁量を逸脱しており,違憲といわざるを得ない。
4 国会においては,全ての国民が婚姻をするについて自由かつ平等な意思決定をすることができるよう確保し,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律の規定とすべく,本件各規定を改正するとともに,別氏を希望する夫婦についても,子の利益を確保し,適切な公証機能を確保するために,関連規定の改正を速やかに行うことが求められる。
草野耕一裁判官の反対意見
夫婦同氏制を定めた民法や戸籍法の規定は憲法24条に違反するといわざるを得ないがゆえに,婚姻届の受理を命ずるべきであると考える。その理由は,以下のとおりである。
1 選択的夫婦別氏制の導入によって向上する福利が同制度の導入によって減少する福利よりもはるかに大きいことが明白であれば,当該制度を導入しないことは余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり,立法裁量の範囲を超え合理性を欠いているといわざるを得ず,憲法24条に違反すると断ずべきである。
2 選択的夫婦別氏制の導入によって向上する国民の福利と,それによって減少する国民の福利とを分析し,衡量すると;
* 慣れ親しんできた氏に対して強い愛着を抱く者は社会に多数いるものと思われる。これらの者にとっては,たとえ婚姻のためといえども氏の変更を強制されることは少なからぬ福利の減少となるであろう。氏の継続的使用を阻まれることが社会生活を営む上で福利の減少をもたらすことは明白であり,共働き化や晩婚化が進む今日において一層深刻な問題となっている。
* 夫婦で同一の氏を称することにより家族の一体感を共有することは福利の向上をもたらす可能性が高い。しかし、選択的夫婦別氏制を導入したとしても夫婦同氏を選択する夫婦も少なからず輩出されるはずであり,夫婦別氏を選択するのは,氏を同じくすることで得られる福利の向上よりも減少の方が大きいと考える夫婦だけであろう。選択的夫婦別氏制を採用することによって婚姻両当事者の福利の総和が増大することはあっても減少することはあり得ないはずである
* 夫婦別氏を選択した夫婦の間に生まれる子の福利に関して,子は,親とは別の人格を有する法主体であるにもかかわらず,親が別氏とすることを選択したことによって生ずる帰結を自らの同意なく受け入れなければならなくなる。親の一方が氏を異にすることが,子にとって家族の一体感の減少など一定の福利の減少をもたらすことは否定し難い事実であろう。しかしながら,夫婦別氏とすることが子にもたらす福利の減少の多くは,夫婦同氏が社会のスタンダード(標準)となっていることを前提とするものである。選択的夫婦別氏制が導入され氏を異にする夫婦が世に多数輩出されるようになれば,夫婦別氏とすることが子の福利に及ぼす影響はかなりの程度減少するに違いない。
* 夫婦が同氏となれば,氏を変えない婚姻当事者の親族は,相手方婚姻当事者と新たに氏を共有することによって同人との間の一体感を強化することができる。しかしながら,夫婦同氏とすることは,氏を変更する婚姻当事者がその者の親族との間に育んできた一体感を減少させる機能もあり,そうである以上,選択的夫婦別氏制の導入が婚姻両当事者の親族の福利の総和を減少させるとは到底いえない。
* 夫婦同氏制が長きにわたって維持されてきた制度であることから,夫婦同氏を我が国の「麗しき慣習」として残したいと感じている人々は存在する。しかしながら,選択的夫婦別氏制を導入したからといって夫婦を同氏とする伝統が廃れるとは限らない。もし多くの国民が夫婦を同氏とすることが我が国の麗しき慣習であると考えるのであれば,今後ともその伝統は存続する可能性が高い。伝統的文化が今後どのような消長を来すのかは最終的には社会のダイナミズムがもたらす帰結に委ねられるべきであり,その存続を法の力で強制することは,我が国の憲法秩序にかなう営みとはいい難い。
* 選択的夫婦別氏制の実施を円滑に行うためには戸籍法の規定に改正を加えることが必要であり,その内容については法技術的に詰めるべき部分が残されている。しかしながら,選択的夫婦別氏制の導入に伴い改正がされたとしても,戸籍制度が国民の福利のために果たしている諸機能に支障が生ずることはないであろう。
3 選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は,同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白であり,かつ,減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえない。そうである以上,選択的夫婦別氏制を導入しないことは,余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり,もはや国会の立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ない。
3) 歴史
江戸時代において武士や公家以外の農民や町民(工・商)は、名字を持つことを公式には許されなかった。人口割合では90%が農・工・商であったので、90%の人は名字がなかった。では、名字があった武士はどうであったかというと、女性は結婚しても実家の姓を名乗っていた。
明治になり、1870(明治3)年9月19日に太政官布告第608号「平民苗字許可令」が公布され、名字(氏)の使用が許可されることとなった(参考 )。そして、1875(明治8)年2月13日に苗字の使用を義務づける「苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に苗字を名乗ることを義務づけました。(参考 )そして、明治8年11月9日の内務省の伺いに対して明治9年3月17日に太政官指令として婚姻後も出生時の使うようと次の様に 回答している。
「伺いの件につき、婦女は嫁しても、なお出生時の氏を用いるべきである。」(これ 国会図書館デジタルコレクション 法令全書. 明治9年 1453ページ )
1898年(明治31年)の法律第9号により民法(第四編)が交付され、これが旧民法と呼ばれている民法である。(国立公文書館のWebはここ )家という考え方を基礎としており、家と家長という概念を用いている。
732条 戸主の親族にして其の家にある者及び其の配偶者はこれを家族とす。
746条 戸主及び家族は其の家の氏を称す。
婚姻の結果、夫の家に入り、その家の氏を名乗ることが法律で決められたのである。
しかし、考えれば、今でも、そんな風習が残っている雰囲気はある。結婚式の看板に〇〇家 ✕✕家結婚式場と書いてあったり、結婚式の式辞で来賓より「〇〇家✕✕家のご親族の皆様に心よりお慶び申し上げます」なんてのが、あったりする。憲法24条は、どうなっているのかと思ってしまう。
1947年に新民法が成立した。旧民法の時代は49年しかなかった。新民法成立から74年経過している。ところが、たった49年しか施行されなかった旧民法の考え方を、日本の伝統であると考えてしまう人がいるが、それは誤解である。
4) 旧姓の使用
現在は、国の行政機関、地方公共団体、民間企業等ほとんどの団体で、職員等から申し出があった場合、旧姓の使用を認めている。しかし、職場での呼称等幾つかのケースについてである。正式文書は、本名でなければならない。源泉徴収票は新姓となり、印鑑証明が必要な書類も当然で、戸籍名=住民票名(新姓)である。銀行口座の名義もこの全国銀行協会 の説明のように、旧姓のままで放置しておくと不都合なことが生じる恐れもある。
マイナンバーカードや住民票、運転免許証は旧姓併記が可能であるが、併記であり、新姓が記載されるのであり、手続きは必要である。医師免許に関しては、免許証の書換義務がないので、旧姓のままでも良いが、保育士、介護福祉士は名義変更が必要。
基本的には、契約に関すること、銀行預金・証券に関すること、税金に関することは、戸籍名と一致していないとならない。マネーロンダリングや脱税そして不正取引のチェックにおいて抜け穴を生じさせる恐れがあれば、そのための配慮は必要である。悪事をする行為者は、思いつかないこともする。取り締まる仕組みが複雑化し社会的な負担が増加する場合は、その負担と便益の比較での判断が重要である。
法に基づかない旧姓の使用は解決に結びつく事項は少ない。根本的な解決にはならないと考える。
5) 私の考え
夫婦別姓に考えを巡らせると、愛、結婚、自由、基本的人権について思考を展開さざるを得なくなった。旧民法で謳われた家制度にノスタルジーを感じ、家制度による家長支配での家族が正しい姿と思い、選択的夫婦別姓に反対する人も存在する。思えば、戦後の高度成長の基盤には旧民法の家制度が少し変形された新民法の新家制度があったのかも知れない。
しかし、今や新民法の新家制度も維持することには無理がある。 祖父母との同居はまれであり、老人夫婦・老人単身世帯、共働き、家庭外保育が一般化している。旧家制度の観点では悪い現象なのかも知れない。しかし、悪いことではない。自らの意思とは限らないが、幸福追求のためには変化し、対応していかないとならない。そこに旧家制度の価値観で話をされると、バカと言いたくなる。
日本の社会をよりよくするためには、選択的夫婦別姓はどうしても必要であり、早期に法改正がなされることを望む。
(時間があれば、2で掲げた最高裁の決定文書を読まれることをお勧めします。)
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